空がまだ暗くなりきらない時間帯、周囲の慌ただしい声と足音に目を覚ました。頭がぼんやりとしている中、耳に入ってくるのは誰かが何かを叫んでいる声だ。重い体を起こし、部屋を見回す。
「なんだ……何が起きてる……?」
布団から抜け出し、急いで着崩れた浴衣を整えて声のする玄関広間に向かった。数人のスタッフとエマ、そして明らかに取り乱しているルリさんがいる。
「ルリさん、どうした? 何かあったのか?」
「アマヤ……キヨとミヨが見当たらないの! どこにもいないのよ!」
ルリさんをなだめるように、エマが優しい声で問いかける。
「落ちついてルリさん。最後に二人を見たのはいつですか?」
「昼ごろ、アマヤの部屋の前にいたわ」
「それは確か? アマヤ」
「ああ、俺もルリさんと一緒にいた。二人の声を聞いたよ。あれから誰も姿を見てないのか?」
スタッフたちが不安げに首を振る。胸がざわついた。ネコ族の子供の好奇心の強さは制御できない……おばば様の言葉が頭をよぎる。俺とルリさんがしていた会話を最初から聞いていたのなら、もしかして……。
「エマ、二人はまた……森にいるかもしれない」
「どうしてそう思うの?」
「ルリさんと、扉の話をしてたんだ。……たぶん聞かれてた」
エマの表情が険しくなり、ルリさんは泣きそうな顔で口元を抑えている。
「わかったわ。今から森に探しに行く。ルリさんはシキヤさん達に、町の周辺を探すように伝えて」
「俺も行く!」
反射的に声を上げたが、エマは首を横に振った。
「いいえ、あなたはここにいて。悪いけれど、足手まといになるだけ」
「でも、俺のせいかもしれないんだ。俺がここに来たせいで……また二人が危険に晒されてる。頼むから、一緒に連れて行ってくれ!」
「だめよ」
厳しく言い放ち、背を向けて歩き出したエマの手を掴んで引き止める。
「エマ!! ……頼む、頼むから」
彼女は一瞬だけ考えたあと、険しい表情のまま深く息をついて頷いた。
「わかったわ。時間がない、急ぎましょう」
すぐに夜鳴きを出発し、馬を走らせて森へと向かう。もちろん俺は一人で乗馬なんて出来ないから、エマの後ろに乗せてもらった。馬にまたがったときの高さに驚きつつ、振り落とされないようにエマの腰に腕をまわしてしがみつく。本当に足手まといでしかない自分が情けない。全速力で走らせる馬のスピードは想像よりもずっと早く、風を切る音と地面を蹴るひづめの音以外には何も聞こえなかった。
あの森の危うさは身をもって体験している。子供だけで入ってしまえば、すぐにでも命にかかわるかもしれない。心配と焦燥感で胸が潰れそうだった。それはきっとエマも同じ。
「ごめん……本当にごめん」
「…………」
声が届かないのはわかっているが、口にしないと気が持たなかった。
数十分もすると森につき、エマと俺は馬から降りて魔法の明かりを頼りに二人の痕跡を探した。
「アマヤ、見て!」
呼ばれた場所に駆け寄ってエマの指さすほうを見ると、朝方に降った雨でぬかるんだ土の上に子供の足跡が二つ並んでついていた。やっぱり、扉を探しに森に入ってしまったんだ。
「奥まで続いてる、急いで追いましょう」
「ああ!」
心の中で二人の無事を祈りながら、しばらく奥へと進んでいった。張感が高まる中、ふいにエマが立ち止まる。
「……聞こえる?」
耳を澄ますと、どこからか低く唸るような音が聞こえた。俺が出会った蛇女のように、モンスターが近くにいるのかもしれない。
「エマ……」
「……周りに注意して。行くわよ」
刀に手をかけ、あたりを警戒するエマを見て、俺もなにか武器になるものを持ってくるべきだったと後悔した。もしモンスターが出てきても、俺は何もできずただエマに守られるだけじゃないか。
「キャーーーーーーーーーー!!!!」
突然、森に子供の悲鳴が響いた。俺もエマも弾かれるように声のした方向に走りだす。
「キヨちゃん!ミヨちゃん!」
かばい合うようにしゃがんで抱き合う二人の姿が見え、エマが声を張り上げる。周囲にモンスターの姿は見えない。だけど顔をあげたキヨちゃんとミヨちゃんはひどく怯えた表情をしていた。エマが駆け寄るなか、二人は空を指さしなにか言おうとしている。恐怖で声がでないようだ。
「上だ! エマ!!」
「……!!」
キヨちゃんとミヨちゃんのもとまであと一歩というところで、上空から勢いよく巨大な何かが降ってきた。地響きと共に着地したそれを間一髪のところでかわし、エマが体勢を立て直す。
「
悪い予感ほどよく当たってしまう。モンスターだ。エマが睨みつけた先には、毛むくじゃらの八本の長い足をもつ、巨大な蜘蛛の姿があった。
「嘘だろ……」
蜘蛛なんて、大きくてもせいぜい手のひらサイズのものしか知らない。目の前の蜘蛛は足の高さだけでもエマの倍はある。丸く膨らんだ体は人間を何人でも丸呑みできそうな巨大さだった。ゆっくりと足を動かしながら回転し、エマと向き合ったその顔には鋭いツノと血走った目が光っている。
「なんだあれ……牛……?」
ただの巨大な蜘蛛じゃない、顔だけが牛の姿をしていて、恐ろしいほどの威圧感を放っている。異様さに鳥肌が立った。
「なぜここに来た、人間ども……」
鋭い牙を見せながら、牛鬼と呼ばれたモンスターが言葉を発する。低く響く声が森の中にこだまして、木の葉を揺らす。
「その子たちを探しにきたの。無事に返してくれればあなたに手出しはしない」
「愚かな人間……この森は我が住処だ。侵入者は誰であろうと容赦しない……!」
牛鬼が素早く足を振り上げ、エマに向かって攻撃を仕掛けた。うまく避けたが、周囲の木がなぎ倒される。あんな攻撃に巻き込まれたら、普通の人間じゃひとたまりもない。牛鬼がエマに気を取られている隙に、キヨちゃんとミヨちゃんの元に駆け寄った。
「二人とも怪我してないか? 立てる?」
「お兄ちゃん……」
「怖いよぉ……」
「捕まって。絶対に逃がすから、大丈夫だよ」
腰が抜けてしまっている二人の手を引いて立たせようとしていると、牛鬼がこちらの動きに気付いて顔を向けた。
「グオオオオオオオオォォ!!」
血走った目が俺を捉える。一層大きな唸り声をあげると、巨体を揺らし突進してきた。だめだ。キヨちゃんとミヨちゃんを逃がすには、とても間に合わない。せめて少しでも衝撃から庇えるように二人を抱き込み、牛鬼に背を向けた。
「……っ!」
「太古の根と蒼き緑――」
エマの声に振り向くと、周囲の木々の根が地面から伸びて牛鬼の脚に絡みついていた。きのう俺にも使われた魔法だ。動きを封じられた牛鬼は逃れようと激しく抵抗し、怒りの声を上げている。
「喰ってやる……喰ってやるぞ……!!」
八本の足が振り下ろされるたびに地面が震え、木々が揺れる音が響く。ブチブチと音を立て、一本、二本と、拘束する植物のツルが引きちぎられていった。
「こっちに来て! 早く!」
「掴まって、キヨちゃん! ミヨちゃん!」
きつくしがみついてくる二人を抱き上げて、エマの元へと走った。
「よくやったわアマヤ、あとはまかせて。下がっていて」
俺たちを背にかばい、エマが牛鬼に向き直り抜刀の構えをとる。瞬間、月明かりが彼女の刀に反射し、青白い光を放った。素早く、正確に牛鬼の八本の足へと次々と斬りつける。彼女の動きは滑らかで、舞踊のように美しく、そして致命的だった。一撃一撃が確実に暴れる足を切り飛ばしていく。
「オオオオオオォォ!!」
牛鬼は激しい怒りの咆哮を上げると、たまらずに上空へと飛び上がった。が、エマは怯まない。器用に木々に足をかけて上から睨みつけてくる牛鬼に向かい刀を構え直した。
「おのれ……おのれ……侵入者がァァァアアア!!」
涎を撒き散らし、大きな叫び声をあげながら牛鬼がエマに向かって跳躍した。緊張でキヨちゃんとミヨちゃんを抱く俺の腕にも力が入る。
「やあああああああ!」
声をあげて駆け出したエマが牛鬼の下にスライディングするように潜り込み、刀を突き立てて腹部を切り裂く。牛鬼はそのままぐちゃりと音を立てて着地し、勢いのまま木々に激突した。衝撃でまた何本かの木が倒れ、枝が折れる音と轟音が響く。
エマが静かに立ち上がり、刀を振って血を払う。地面に伏して、二本だけ残った足と血の海の中でもがき苦しむ牛鬼の頭に飛び乗った。
「……いま、楽にしてあげるから」
鋭い刃が牛の頭に深く突き刺さる。牛鬼の体が一瞬痙攣し、そして完全に静止した。