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第14話 記憶の闇と魔法の痛み

 パチパチと、焚き火の音だけが静寂を破り、その炎が刀に映り込んで揺れている。俺を見下ろすエマの呼吸は落ち着いているように見えるが、その奥には緊張が感じられた。


「エマ……どうするつもりだ? 俺を殺すのか? 罪人かもしれないから?」


 情けないことに、俺の声はかすかに震えている。

 刃物を突きつけられるシチュエーションなんて、フィクションの中で飽きるほど見てきた。俺ならこう動くのに、と妄想の中で何度も悪に打ち勝ったりした。それがどうだ、実際に体験すると手も足もだせない。心臓の鼓動が耳元で鳴り響き、呼吸が浅く、早くなるのを感じる。冷や汗が背筋を伝う。頭の中は真っ白だ。ただ、目の前のエマの一挙一動に全神経を集中させるしかなかった。


「たしかめさせて欲しいの」


 刀の刃がほんの少し喉に食い込む。


「私の魔法はね、霧が濃いほど強力になるの。森であなたを蘇生できたのも、環境のおかげ」


 蘇生。エマはあの小屋で俺が死んでいたと言っていた。それを魔法を使って生き返らせたのか。にわかには信じ難いが、彼女がこんな嘘をつく理由も思いつかない。あの時、キヨちゃんとミヨちゃんに口止めしていたのはこの事なんだろう。



「私、あの町が好きなの。大罪人を引き入れてしまったのなら、蘇生した私が責任をとらなきゃ……」


「やめてくれエマ、俺は誰も殺してない。大罪人なんて、なにかの間違いだ」


「名前すら覚えてないのに! 本当にやっていないと言えるの!?」


「――っ」



 言い返せない。そうだ、俺はどうやってここに来た。いつ扉を通ったんだ。最後の記憶は、会社の帰り道、未来みくのためのケーキ、部屋に帰ったこと。そのあと何が起きた。くそ、なんで思い出せないんだ。俺は何をした。


「ここは霧が深いでしょう」


 エマが手をかざすと、吸い寄せられるように霧が集まり、じわじわと俺たちのまわりを囲んでいく。


「魔法の強制力が強まるということよ」


 もうほとんど景色なんて見えない、エマと俺だけが真っ白で冷たい霧のなかに取り残されてしまったみたいだ。


「太古の根と蒼き緑、縛れ、見届けよ」


「……っ! なんだ!?」


 エマが短い呪文のようなものを唱えると、遠くからしなるような音がかすかに聞こえ、霧の向こうから突然なにかが伸びて俺の手首と足首を掴んだ。


「これは……植物か……!? くそ、外れない……!」


 細く食い込むそれは植物のツルのようで、振り払おうともがくと、首や腕へと余計に数を増やし絞め上げてくる。


「っ、エマ! なんだよこれ! こんなことしなくていい……!」


 足首を掴んでいたツルが引かれ、バランスを崩し地面に倒れ込む。いそいで膝立ちに起き上がってエマを見上げると、さっきまで俺に突きつけていた刀を鞘に納めている。


「保険よ。それにあなたのため。すごく苦しいから」


 斬り殺されるかもしれないという恐怖は一時的に去ったが、彼女の言葉で、次に何がくるのか身構える。必死にあたりを見回して警戒しても、霧以外にはなにも見えない。ちくしょう、魔法ってこんなに厄介なものなのか。


「誰にも使いたくないの、こんな魔法」


 苦しげに呟いたエマが、俺に手を伸ばす。


「時の霧よ、記憶を呼び覚ませ。古きをしのび、真実を開け」


 手のひらが額に触れた瞬間、頭の中に冷たい電流のような衝撃が走った。脳の奥から無理やり記憶を引きずり出されるみたいだ。痛みと嫌悪感でその場にうずくまる。


「っう、ぐ、うぅ……!」


 目を閉じても開いても、視界が真っ白に染まっている。未来みくの笑顔、チョコレートケーキと苺のタルト、メッセージアプリ、暗い玄関、寝室のドア、強制的に断片的な記憶が再生されていった。


「やめっ……ろ……、いやだ、やめろ……!!」


 思い出したくない。そうだ。俺はこれを思い出したくない。夢だと言い聞かせ、見ないふりをして、蓋を閉じた。吐きそうだ。やめてくれ。見たくない。聞きたくない。思い出したくない。


「抵抗するほど苦しむことになる、あきらめて」


 霧のなかでエマの声が響きわたる。


「思い出すのよ」



△△△



 俺には兄弟がいる。双子の弟だ。名前は斗真とうま

 一卵性の双子だけあって見た目はよく似ている。でも、性格は真逆と言ってもいい。大学を卒業してすぐに大手の飲料メーカーに就職をした俺、ふらふらと何をするでもなく好きに生きていた弟。


 決まった仕事をしているわけでもないのに俺と同じタイミングで田舎から東京に出てきた弟は、案の定というか、生活が苦しくなると何度も俺に金を借りにきた。その度に飯を食わせてやり、必要があれば部屋に泊めた。弟は人懐こく空気を読むのがうまい。だから人に好かれた。面倒を見てやりたくなるタイプらしく、女性が途切れることはなかった。どこでなにをしているかは知らないが、借りた金は少しずつだがちゃんと返ってくる。手はかかるが、憎めないやつだった。

 母さんや親父にうとまれているわけでもなく、兄弟仲も悪くない。きっと俺たちみんな「今は遊び歩いている弟も、いつかは立派な大人になる」とぼんやり思い描いて目を逸らしていた。


 だから何度も金を貸したし、当たり前のように彼女の未来みくを紹介した。未来みくと斗真はタイプは違うが、俺を介してお互いすぐに打ち解けた。週末は三人で未来みくの手料理に舌鼓を打ち、酒を飲んで楽しく過ごすことが多くなった。同棲を初めてからもそれは続いた。




 バカな事をした。弟は人懐こく空気を読むのがうまい。だから人に好かれた。面倒を見てやりたくなるタイプらしく、女性が途切れることはなかった。未来は実年齢よりもずいぶんしっかりした子で、誰にでも優しく、みんなに可愛がられた。ああ、俺はなんてバカなんだろう。






 目にしたのは、ランプのやわらかな光に照らされ、弟の上で腰を振る未来の背中だった。二人とも俺には気付かず、熱心にベッドを揺らしている。弟が一方的に未来みくを襲っているのではないか、という僅かな希望は、愛おしそうに斗真の名を呼ぶ彼女の一声で消えた。


 裏切られた。これから家族になるはずの女性に。裏切られた。よりにもよって、実の弟に。


 真っ赤なインクを足らされたように視界が染まり、ひどい立ちくらみと耳鳴りに襲われた。ギシギシと軋んだ音を立てるベッドや、自分以外の男に抱かれる未来みく嬌声きょうせいを聞き続けるくらいなら、このまま鼓膜が破れてくれるほうがマシだった。


 力の入らない足でフラフラとキッチンに向かい、引き出しから出刃包丁を取り出す。リビングのソファに座り、寝室のドアを睨んだ。





△△△






「ああああああああああああ!!!!!」


 自分の絶叫で目が覚める。


「やめろ!」


 鼻血が口の中にまで入ってきて、鉄の味が広がった。この魔法が与える苦痛に、体が耐えられていない。


「やめろ!!!!」


 体を起こし、引かれるツルの力に逆らって地面に頭を打ち付けた。額に鋭い痛みが走り、血が地面にしたたり落ちるのを感じる。同時に、意識が少しずつはっきりとしてきた。もう少し、もう少しで覚めきる。さっき見た光景を頭から追い払いたくて何度も何度もくり返す。


「――めて!やめてアマヤ!!」


『パンッ』


 乾いた音がして、頬がじんわりと熱くなった。続いて痛み。目の前にしゃがみこんだエマに頬を張られたらしい。もう霧は薄れていて、揺らぐ焚き火の明かりと竹林の影が姿を現している。


「魔法にこんなふうに抵抗しちゃ駄目……本当に死んじゃうから……」


「……はっ、殺そうとしたんじゃないのかよ」


「違う、たしかめようとしてるの」


 首や手足に絡んだまま緩んでいるツルを剥ぎ取り、投げ捨てた。這いずるように丸太に背をもたれて、深く息を吐く。最悪の気分だった。なにもかもが嫌になって、目に映るすべてに当たり散らしたい。どうしようもない怒りが俺の中で喚き散らしている。許せない。悔しい。どうにかしてやりたい。


「なにか……思い出せた?」


「だったら何だよ」


「真剣に聞いてるの、ちゃんと答えて!」


「俺の婚約者と、俺の弟がヤッてたよ。浮気してたんだ、殺されて当然かもな。これで満足か?」


「……殺したの?」


 もし本当に誰かを殺してこの世界に来たのなら、まちがいなく、あの二人をったんだろう。包丁を握りしめた感触を覚えている。二人に対する激しい怒りも、裏切られた悔しさも。


「見てない。可能性は高いけどな」


 吐き捨てるように言って、立ち上がる。もう、ここまで来たらやるしかないんだ。続きを見せてもらわなきゃ、気が収まらない。


「もう一度やれよエマ。人殺しだって確認してきてやる」


「……いいえ。あなたは魔法に対する抵抗力が無い。今日はもう体がもたないわ。明日、また迎えにいくから……」


「いまぶっ壊れようが、明日まで待って罪人として始末されようが、結果は同じだろ」


「今日はもう、傷つく必要はないの。お願いだから言うことを聞いて。帰るの」


 好きにしろよ、もう。どうでもいい。

 火を消したエマの後ろを歩き、竹林を抜けると、二つの人影が待ちかまえていた。身知った二人だ。同心どうしんのシキヤとランドル。


「どうやった? エマちゃん」


 シキヤがエマに問いかける。二人の存在に無視を決め込み、横をすり抜けて町に向かって歩を進めた。俺が逃げ出したときのための保険か、死体の始末の手伝いか、しっかり男手を用意している。エマの本気が伝わってきた。この二人も、もう俺がなんなのか聞かされているんだろう。


「おいお前!」


 ランドルに呼ばれて振り向くと、敵意のこもった目で睨まれた。怒りに飲み込まれている今、そんなの怖くもなんともない。挑発するように鼻で笑って、背を向けた。心が荒みすぎて、誰でもいいから殴り合いたい気分だった。なんでもいいんだ、この感情をどうにかできるなら。死ぬまで殴られたってかまわない。



「いいんですランドルさん! 行かせてください!」


 エマの静止でそれも失敗に終わる。

 話し込む三人を置いて夜鳴きに戻り、自室に入る。一人になると、襲ってくるのは例えようのないむなしさだけだった。

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