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第13話 扉の選別

 金属の摩擦音を立てて、抜かれた刀が喉元に突きつけられた。どうして、どうしてこんな事になるんだ。そんな目で俺を見ないでくれ。


 エマ。




「アマヤ、あなたは――」





***





 しばらくネコの旅籠屋はたごや 「夜鳴き」の雑用係として働くことになった俺は、朝から晩までみっちりこき使われることになった。



 早朝、まだ薄暗い時間に起きて朝食を食べたら、まずは館内の掃除から始まる。モップを持ち、廊下や階段を掃除していると、ネコ族のスタッフたちが元気に「おはよう」と声をかけてくれる。おばば様の計らいは上手くいったようで、俺のセクハラ疑惑は記憶喪失ゆえの過ちということでみんな許してくれたそうだ。もちろん撫でてしまったネコ族たちには心を込めて謝罪した。


 掃除が終わったら今度は使用済みのタオルや布団カバーの洗濯が待っている。リネン室は狭くて蒸し暑く、大量の洗濯物に囲まれて作業するのは一苦労だ。汗だくになりながらも、なんとか一枚一枚畳んでいく。


 昼食の時間が近づくと休憩をもらい、食堂で手早く昼飯を済ます。お客が満足そうに食事を楽しむ姿を見ていると、数日前のエマとの時間を思い出した。館内で彼女の姿を見かけることは何度かあったが、昼前には外出し、夜遅くに宿に戻っているらしく、タイミングが合わず会話する機会が持てずにいた。あえて避けられている可能性もある。エマから話しかけてこないということは、まだ時期じゃないんだろう。モヤモヤで胸がつかえる度に、仕事に精を出して誤魔化した。



 午後は、館内の植物や庭の手入れ。草むしりや花の手入れは意外と楽しく、自然に触れることでリフレッシュもできる時間だった。ネコ族の子供たちが遊んでいる姿を見ながら、ほっと一息つく瞬間もある。ふわふわの耳やしっぽは見飽きることがない。この時間はルリさんがちょっかいを出しに来ることもあった。彼女は俺から話しかけると「フン」と鼻を鳴らしてそっぽを向くことが多いが、俺が忙しくしているとやたらと体を擦り寄せたりもたれかかったりしながら絡んでくる。気まぐれで愛らしく憎めない、まさに猫らしい人だ。


 夕方になると、夕食の配膳を手伝ったり、館内の備品の補充や、新しいお客を迎えるための客室の準備などで慌ただしくなる。時折、お客から感謝の言葉をかけられることもあり、それが疲れた体に少しだけ元気を与えてくれた。

 キヨちゃんとミヨちゃんが学校から帰ってくる時間で、会うと「遊ぼう」「遊ぼう」と手を引かれた。本格的に遊ぶことはもちろんできないが、仕事をしながらできる範囲で俺の世界の童話やおとぎ話を聞かせてあげると、とても喜んだ。




 夜も遅くなると、最後の仕事。 共有スペースの片付け、ごみの回収、たまにルリさんからのおつかいなどを済ませ、夕食をとる。浴場の掃除ついでに風呂に入り、ようやく一日が終わる頃には、体はくたくたで、部屋に戻るなり布団に倒れ込む。


 忙しい日々だが、少しずつ仕事に慣れて頼りにされる場面が増えるたびに、この世界での自分の存在が認められていくようで安心感を覚えた。身分も証明できない異世界で、清潔な浴衣に袖を通し、三食うまい飯が食えて、一日の終わりには熱い風呂にも入れる。夜鳴きと、間をとりもってくれたエマにはいくら感謝しても足りない。



「アマヤ、いる?」


「え!?」


 エマの声だ。いままさに彼女のことを考えていたから、空耳かと疑ったが、入口の引き戸の前に人の気配がある。あわてて立ち上がり、戸を引いた。


「こんばんは。夜遅くにごめんなさい」


「エマ!」


 そこにはたしかにエマが立っていた。ひさしぶりにまともに顔を合わせた嬉しさで自分の声が跳ねるのがわかる。


「二週間ぶりくらいか?元気そうで良かった」


「あなたもね。よく働いてるってルリさんから聞いたわ」


「ルリさんから? そっか、うん、がんばってるよ。覚えることが多くて大変だけど、みんな親切だし、飯もうまいし。紹介してくれてありがとなエマ」


「……いいの、良かったわね」


 エマは微笑んでいるが、なんだがぎこちない。表情に影が落ちているように見える。あまりいい話をしに来たんじゃなさそうだ。


「……調べもの、終わったか?」


「うん、大体ね」


「部屋、上がる?」


「いいえ。疲れてるところ悪いけど、ついてきてくれるかしら」


「わかった」


 草履を履き、前を歩くエマの背中を追った。

 夜鳴きから出て、町を出て、明かりのない道に差しかかると、エマが小さくなにかを呟いた。すると彼女と俺の周囲が柔らかい光に包まれる。


「魔法……なのか?」


「ええ」


 森の小屋で見た光源のわからない明かりはこれか。エマは魔法が使えたんだな。なんとなく、剣士と魔法使いのイメージが結びつかないで想像すらしていなかった。


「ここを進むわ。足元、気をつけて」


 一度だけ振り返り、そう告げるとエマは黙り込んでしまった。ポニーテールの長い髪が左右に揺れる背中を見ながら、竹林の中を奥へ奥へと進んでいく。あたりには霧がたちこめ、気温も下がってきたように感じる。どこまで行くのか不安になって口を開きかけたが、いま何を聞いてもあまり意味がなさそうなので堪えた。


「ついたわ、そこに座って」


「……ああ」


 しばらく進んだあと、人工的に開拓されたような丸く開けた場所に出た。大きな丸太がいくつか横向きに置かれ、椅子の役割をしている。中央には焚き火をした枝の跡があり、エマがその前にしゃがみ込んで火をつけた。一瞬だったから、これも魔法だろう。二人とも別々の丸太に腰をおろし、話はじめた。


「時間がかかってごめんなさい。あなたが言っていた森の扉のようなものについて、調べられる範囲で調べてきたわ」


「なにかわかったのか?確信がもてない、と言ってたけど……」


「そうね……。まず、異世界から来た人間について話すわね。あなたは信じてもらえないと思っていたみたいだけど、異世界からこの世界に来た人間はあなた以外にもいるの。それも大勢。文献にも残っているし、実際に会ったことはなくても、話だけなら私も聞いたことがある。だから信じられる」


 異世界から来た人間が他にも大勢いる、それは俺にとって朗報だった。しかし、エマの表情には陰りが残っている。彼女が異世界の話をすぐに信じた理由はわかったが、一瞬でも俺を恐れた理由や話をにごした理由がまだわからない。


「他にも大勢って……その人たちはまだここにいるのか? 元の世界に帰る方法は見つかってる?」


「それは……わからないの。帰ったという記述や話は聞けなくて……。あのね、ここからが大事な話よ」


 エマは、言葉を選ぶようにゆっくりと話を続ける。



「この世界では何千年も前に、天に住む種族と、地上の種族と、地底に住む種族のあいだで大きな戦争が起きたの。扉が作られたのはそのとき」


「ちょ、ちょっと待って。天と地底? 天使と悪魔か? いるのか? この世界に?」


「アマヤの世界ではそう呼ぶのかしら……。ここではセレスティアとヘリオンと呼ぶんだけど、天と地の種族はいるわ。地上で見かけることはほとんど無いけど」


 たしかにこの数日、宿で働いているあいだに色々な種族を見た。魔法だって存在しているファンタジーな世界だ。天使や悪魔のような種族がいてもおかしくはないのかもしれない。


「ごめん。ちょっと驚いただけ、続けて」


「天界のセレスティアと、地底のヘリオン、この二種族は強大な力を持っていたけれど、地上のすべての種族を相手にするには数が足りなかった。だから扉を作り、異世界の人間を召喚しては加護や能力を与えて自軍の戦士に加えて戦わせたの。……ここまでは理解できる?」


「ああ……。ひどい話だけど、なんとか」


「つまり、召喚の扉には二種類ある。セレスティアの扉と、ヘリオンの扉」


 エマが人差し指と中指、二本の指を立ててピースサインの形をつくる。


「戦争はセレスティアと地上の種族が和平を結んだことで終わったわ。セレスティアの扉は一箇所を除いてすべて破棄された。今、その一箇所は厳重に管理されてる」



 中指を折りたたみ、残り一本。



「和平によって負けが明確になったヘリオンは、ほとんどの扉を放置し撤退したの。その一つがあの森にある、あなたが通ってきた扉だと思う」


「戦争は終わったのに、兵士を召喚するための扉がまだあちこちで機能してるってことか」


「そういう事になるのかな」


「そうか。力がどうのって、そういう事か」


 食堂でエマが見せた動揺や、暗い表情をしていた理由はこれだ。俺が誰かを傷つける目的で召喚されたこと、そのための特別な力を持っていないかと恐れていたんだ。断言できる、そんなもの持っていない。


「大丈夫だよエマ、俺は戦争で戦えるような能力なんて何も持ってない。誰も傷つけないから、安心して」


「……そうね、そう信じたい」


 エマが静かに立ち上がり、俺を見下ろす。その表情はやっぱり強ばっている。



「二種類の扉から召喚される人間は、それぞれ選別されているの」


「……エマ?」


 様子がおかしい。なんだ、この空気。


「セレスティアの扉から召喚されるのは、罪なき清らかな者」


 エマが刀に手をかける。紅い眼が、俺を見据える。


「ヘリオンの扉から召喚されるのは、殺生を犯した大罪人」



 金属の摩擦音を立てて、抜かれた刀が喉元に突きつけられた。どうして、どうしてこんな事になるんだ。そんな目で俺を見ないでくれ。


 エマ。




「アマヤ、あなたは誰かを殺したからここへ来たのよ」







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