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第12話 誤解と怒りを抱きしめて

 食堂前でキヨちゃん、ミヨちゃんと合流したあと、俺は二人に手を引かれ、帳場ちょうばの横に位置する部屋へと案内された。部屋のふすまの横には「主人の部屋」と手彫りされた木札が掛けられている。


「ルリ。おばば。連れてきたよ」


「ルリ。おばば。入るよ」


 ルリさんの発言から察するに、おばばとはキヨちゃん、ミヨちゃんの捜索依頼の報酬を支払う立場の人だ。二人の家族か、夜鳴きのオーナーかもしれない。その人がいまこの部屋の中にいる。急に緊張してきて、背筋が伸びた。失礼の無いようにしなければ……。俺はサラリーマン、しかも営業担当だ。自分より上の立場の人間に接することには慣れている。姿勢、表情、話し方、相手を不快にしないマナーはひと通り習得している。落ちついて、いつも通り、平常心を心がけよう。


「失礼いたします」


 障子を開け、45度の角度でお辞儀をして中に入る。室内は小上がりの和室になっていた。部屋は広くはなかったが、温もりと落ち着きが感じられる空間だった。床は畳張りになっていて、飾り窓の向こうからやさしい陽光が差している。台座に置かれた丸い木枠の大きな金魚鉢が目を惹く。履き物を脱ぐスペースには、女性用の草履が一組だけ揃えられている。



「上がりなさい」


 座布団に座っているルリさんが、俺たちに声をかけた。

 隣には、繊細な刺繍が施された分厚いクッションが置かれていて、その上に香箱座りをした猫がくつろいでいる。でっぷりとしたトラ柄の猫だ。ほかには誰も見当たらない。


「あれ……、ルリさん一人?」


「はぁ?」


 ルリさんが顔をしかめる。機嫌が悪そうだ。靴を脱いで畳に上がり、正座をしてあらためて辺りを見渡すが、やはり彼女と猫以外には、俺と、キヨちゃん、ミヨちゃんしかいない。


「おばばって……ルリさんのこと?」


「アンタ、一発じゃ足りないようね?」


 額に青筋をたてたルリさんが、拳を握り、腕をまくり出した。しまった、疑問のあまり死ぬほど迂闊うかつな発言をした。どう見ても彼女はおばばと呼ばれるような年齢じゃない。


「ちょっ、ちょちょちょっと待っ――」


 両腕を前に突っ張り、ルリさんから距離を取ろうとしたが、彼女はなんなくその腕をすり抜けて俺に馬乗りになった。あっという間に畳の上に組み敷かれて、胸ぐらを捕まれる。振り上げられるルリさんの拳を見てこれは本格的にボコられると焦るが、それよりも前のめりになった彼女の、かなりエマージェンシーなことになっている胸元が気になってしょうがない。


「こぼれる! ルリさんこぼれるから!!」


「うるっさい! 大人しくしろ!」



 マウントを取られてしまってるとはいえ、男と女。力の差があるはずなのに、軽くいなされてしまう。なんでこんなに喧嘩慣れしてるんだよこの人!

 これ以上あらわになってしまわないように必死にルリさんの両腕を抑えながら、キヨちゃん、ミヨちゃんに助けを求める。二人は手をばってんの形にして「無理だ」と意思表示していた。


「ちょ、まって! まって! マジであぶない!!」


 こぼれてしまう!! おそらく下にブラ的なものをつけていないぞ、まずい! かくなる上はこの手しかないと、俺は思い切り力をこめて突っ張っていた両腕を離し、ルリさんの背中にまわした。急に支えを失ったルリさんの体が俺の胸に倒れ込んできたところを、そのままきつく抱きしめる。これで、はだけた彼女の胸元を見てしまうことは防げたが……。


「は?」


「すみません、暴れるから……。ほんと、不可抗力です……」


「はあーーーーーーーー!?」


 今まさに殴り飛ばそうとしていた男から熱い抱擁を受けたルリさんの、素っ頓狂な声が館内に響き渡り、そして結局は殴られた。




***



「エマから頼まれてた件よ。おばばに話を通しといたからね」


 俺のみぞおちに一発のパンチをお見舞いしたあと、ルリさんは大人しく身なりを整えて座布団の上に座りなおしてくれた。あれだ、瞬間湯沸かし器タイプの人だ。カッとなるのも早いが、最高潮まで盛り上がったあとは冷めるのも早い。


「……頼まれたって、なにを?」


「アンタの衣食住の面倒よ。しばらくここに泊めて食事もさせてあげるから、代わりに雑用係として働きなさい」


「……それだけ?」


「そうよ、なにか文句あるの? 言っとくけど、夜鳴きはこの辺りじゃ人気の旅籠屋はたごやなんだからね。どこの馬の骨かわからない男なんて、本来は使わないんだから。エマの頼みだから聞いてあげるの」



 エマ……。追い出して欲しいとか、警戒しろとか、そういう事は言わなかったんだな。

 俺が自分の世界で平穏な日々を送っていて、見知らぬ他人に「自分は異世界から来た」なんて言われたら、どう反応するだろうか。まあ、まず、信じない。笑い飛ばしてみて、それでも言い張るのなら、現実と空想の区別がつかなくなったヤバい奴か、かわいそうな奴だと認定するかもしれない。少なくとも、あの時のエマのような反応はしない。

 彼女の真意はまだわからないが、厚意こういを無駄にはしたくないし、金や生活の心配も勿論ある。ありがたく申し出を受けることにした。



「わかった。ありがとう、本当に助かるよ。よろしく頼む」


「私は反対したんだからね。もう、おばばったら優しいんだから」


「その、おばばって方に会えるかな? 直接お礼がしたいんだけど……」


「さっきからなんなのよアンタ、ムカつくわね。いるじゃないここに! ネコ族を見たことがないの!?」


「え!?」


 ルリさんが指さしたのは、クッションの上で目を閉じ、しっぽをユラユラと揺らしている猫だ。いやまさか。さすがにただの猫だろそれは。しっぽが二つに分かれているとか、額に特別なマークがあるとか、変わったところは何もないぞ。まてまて、ここは異世界…俺の常識でものごとを考えたらいけない。どうもルリさんと話が噛み合っていないと思ったのはこのせいか? ただの猫じゃないのか!?


「ネコ族ってネコ型もいるの!?」


「ネコ族なんだから当たり前じゃない!!」


 またもや迂闊な発言をしてしまったらしく、ルリさんがキレかかっている。同じ種族に人型とネコ型がいるなんて普通は思わないだろ、いろいろとどうなってるんだよ!? すごく言い返したいが、俺はこの世界の常識を知らない。余計なことは言わないほうがいいだろう。秒でぶん殴られるぞ。


「ほっほ。落ちつけルリ。記憶が抜けているところがあると、エマから聞いたじゃろ」


「おばば! それでも失礼よコイツ!」


「喋った!?」


 まさかだった、クッションの上の猫が流暢に人語を話した。ルリさんの張り手を喰らったが、驚きの言葉を口にせずにはいられなかった。おばば様はクッションの上で優雅に座り直し、じっと俺を見つめた。彼女の目はまるで深い湖のように澄んでいて、その視線には不思議な力が宿っているように感じた。


「驚かせてしまったようじゃのう。わしがこの宿のあるじ、そしてこのあたりのネコ族の長老じゃ。キヨとミヨが世話になったのう」


 俺は急いで正座をしなおし、深く頭を下げた。


「大変失礼いたしました。おばば様にお会いできて光栄です。キヨちゃんとミヨちゃんのこと、申し訳ありませんでした」


「ほっほ。あまり堅苦しくせんでよい。お主が故意にやっていない事はわかっておる。ネコ族の子供の好奇心の強さは制御できん、無事に帰って来たんじゃ。気に病むな」


「ありがとう、ございます……」


 おばば様の声は優しさに満ちていて、緊張を和らげてくれる。普通の猫にしか見えないというのがまた良い。むかし、ばあちゃんの家に似たような猫がいた。懐かしい。高齢であまり動かなかったが、撫でると嬉しそうに顔をあげて喉を鳴らしてくれた。大好きだったな。

 撫でる、撫でるか……ああ、まずい。



「やばい! 俺、館内で何匹か猫を撫でたぞ!? みんなネコ族だったのか!? セクハラになる!?」


「あれは引いたよね」


「あれは良くないよね」


「最悪だわ、最悪!! このバカ!! いまごろ嫌われてるわよアンタ!!」


「ほっほ。みなにはワシから言うておくわ。今後は気をつけなさい」



「ああああ申し訳ない!!」



 自分が猫界隈でとんだセクハラ野郎と化していたことを知り衝撃を受けた。誰か教えてくれても良くないか? 俺の世界で例えるなら、無言でいきなり他人の体を撫で回すやべえ奴だろ。そりゃあ近づきたくもないな。これから雑用係としてここで働くと決まったばかりなのに、すでにハラスメント方面の嫌われ者だなんて冗談じゃない。おばば様の説得に賭けるしかないと、深々と頭を下げた。



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