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第10話 ネコの旅籠屋 夜鳴き

「相変わらず、賑わってる町だなー……」


 昼間の緑風町リョクフウマチは、夜よりもさらに活気に満ちていた。

 広場では市場が開催されていて、色とりどりのテントや屋台が並び、遠くからでもその賑わいが見てとれる。新鮮な野菜や果物が山積みにされ、魚介類は氷の上で輝き、肉の塊が豪快に吊るされていた。俺の世界で見たことがあるものもあれば、未知の食材もある。


 商人たちの呼び声があちらこちらから響き渡り、それに応える買い物客たちの声が重なり合って、こっちまで浮き足立ってしまいそうだ。場の雰囲気に飲まれ、金があればあれこれ買い込んでいたかもしれない。


「この町は街道や交易路の交差する場所にあるの。まわりにダンジョンや鉱山も多いし、自然と人が集まるのよ」


「ほーーーー」


 市場の一角には、交易のため遠くの地から来たのであろうキャラバンが陣取っていた。馬車やラクダに積まれた大きな荷物が所狭しと置かれ、異国情緒を漂わせている。空から吊るされたたくさんのランタンは灯りを消していたが、そのカラフルさは見ているだけで十分に楽しめた。



「霧のかなた、東の大陸から渡ってきた人達が築いた町でね。衣食住すべてに独自の文化が発展してるから、観光地としても人気」


「東の大陸かぁ……」


 俺の世界でいう、海を渡ってきたアジア人が築いた町という解釈でいいのだろうか。異世界だというのに親近感のある街並みなのは、そのおかげかもしれない。


「……やっぱり、何も知らないのね」


「えっ!? あ、ああ! 記憶喪失の影響かな? よく覚えてないんだ! し、新鮮だな~!」


「そうかもね」


 一瞬、すごく怪しまれた気がするが、エマはそこまで興味はないようで、すぐに前を歩き出した。あまりまわりの光景に気を取られていると、泳ぐように人ごみをすり抜け、スイスイと進むエマの背中を見失いそうだ。


「なあ、エマはどこの出身なんだ? この町の人間じゃないって言ってたよな?」


「言ってもわからないんでしょう?」


「ああ……、うん。たぶんね……」


「さっき話した、東の大陸よ」


 時折、町の人たちはすれ違うエマに声をかけた。その度に彼女は親しみやすい笑顔で応じ、挨拶を交わす。町の人たちの言葉遣いや態度から、彼女をこの町に受け入れている様子がよくわかる。とくに今日はキヨちゃん、ミヨちゃんの話が伝わっているようで、感謝の印にと次々に手渡される野菜、フルーツ、屋台の食べ物などで両手が塞がっていった。


「友だちが多いんだなエマ」


「旅で大事なのは人脈と情報収集よ。親しくしておいて損はないわ。この町、いい人が多いし……」


 打算的なことを言い出したかと思ったが、最後の一言でつい笑ってしまう。しっかり者だけど、優しいところは一貫している。


「もらったもの、持とうか?」


「もう夜鳴きにつくから大丈夫。ほら、そこ」


 坂になっている階段を登ると、立派な手彫りの看板「猫の旅籠屋はたごや 夜鳴よなき」を掲げた店が見えてくる。和洋折衷な建物で、奥行きのある二階建て、瓦屋根になっており、両端には猫を模した迫力のある鬼瓦が飾られていた。


 一階部分には大きな木製の玄関扉とガラスの格子窓が並び、店先にはよく手入れのされた盆栽や花が飾られ彩りをそえている。玄関前の長椅子では、お客らしい男とトラ模様のでっぷりした猫が、のんびりと日向ぼっこをしていた。

 二階部分には美しい欄干らんかんがついた縁側があり、色あざやかな着物を着たネコ族の女性たちが花柄の布団を干している。


 ガラス窓を鏡の替わりに貸してもらった夜は、全体を見渡す余裕がなかったが、こんなに立派な佇まいだったのか。


「アマヤ? ぼーっとしないで、入りましょう」


「あ、ああ!」


 エマに促され、俺は玄関へと足を踏み入れた。

 内装もまた外観に負けず劣らず独特な雰囲気があった。畳の床に漆塗りの家具が並び、壁には美しい掛け軸や浮世絵が飾られている。猫と桜を描いたものが多い。天井からは繊細な和紙の提灯ちょうちんが吊り下げられ、柔らかな光で室内を包み込んでいた。


「お帰りなさいませエマさん。いらっしゃいませお客さま」


 迎えてくれたのはこのあいだ会った女性とはべつのネコ族の女性だった。柔らかな笑顔を浮かべ、礼儀正しくお辞儀をしてくれる。


「ただいま。あの、さっそくで悪いんですが、ルリさんに時間があるか聞いてもらえないでしょうか」


「はい。お待ちくださいね。お荷物はお部屋にお運びしましょうか?」


「お願いします」


 迎えてくれたときとおなじように笑顔でお辞儀をし、女性が二階への階段を登っていく。荷物は男性の従業員が受け取り運んでいった。対応を待っているあいだ、俺は館内に漂う優しい香りが気になり鼻をくんくんさせていた。甘ずっぱくてジューシーで、なのにすごく懐かしさを感じるような……これは、桜の香りか?


「お香? すごくいい香りだ」


「そうよ。夜鳴きの専任魔法使いが調合したオリジナルの香りなの。従業員みんながまとっているし、香り袋が部屋にも置かれているから、ここはどこもいい香りがするのよね。お土産としても売ってるわよ」


 指さしながら説明するエマの顔はどこか幸せそうで、やっぱり女の子はこういうのが好きなんだなと気持ちがほんわかする。未来みくもアロマやお香を集めるのが好きだったな。お土産は向こうの世界に持ち帰ることができるんだろうか。

ところで今、かなり衝撃的なワードを聞き流してしまった気がする。


「ん……? 魔法使い!?」


「……魔法使いも、覚えてないの?」


 落ちつけ俺。蛇女のモンスターや、猫耳、ツノっ子、ミノタウロスだっているんだ、魔法使いがいたっておかしくはない! でも、マジか。いるのか。すげえな。もしかして「魔法使いに帰り方を聞く」案が現実味を帯びてきたか?



「……会えたりする?」


「夜鳴きの魔法使いに? なんの用かわからないけど、会えたとしても専任よ。頼み事は高くつくわ」


「そういうものなのか……」


 なるほど。先立つものが必要なのは異世界だろうと変わらないようだ。金、金かぁ……。結局、俺の持ち物だって見つけられなかったしな。それに、市場を通ってきたときに商人と客のやり取りで「銀貨」だの「銅貨」だの聞こえた。そもそも俺の世界の通貨が使えるとも思えないな。



「エマーーーー!」


 考え込んでいると、ひときわ華やかな着物を着て、胸元を大きく開いた花魁のような格好をした女性が二階から声をかけてきた。

 彼女は見ている方がヒヤヒヤするスピードで一気に階段を駆け下りて、エマに飛びつく。近くで見てすぐにわかった。この女性は間違いないく、あの日ボロボロの俺に手ぬぐいをくれた猫耳美女だ。


「あーーん! 本当にありがとうエマ! キヨミヨ無事に帰ってきたよー!」


「あはは。良いんですよルリさん、2人とも無事で良かったです」


「怪我してない? 依頼の報酬とはべつに、お駄賃たっぷり弾むようおばばに言ってあるからね? お腹すいてない? お風呂は?」


「えっと、まず食事から良いですか? 私と彼のぶん」


「あら」


 ルリと呼ばれた猫耳美女はここでようやく俺の存在に気づいたようで、目を丸くした。上から下までじっと観察されたあと、桃色に光る唇をニヤリとさせ、肘でエマのことをつんつんと小突く。


「あらあらあら〜?」


「なにか変なこと考えてると思うんですけど、違いますからね!」


「やだエマ、助けてもらっちゃったりした? 吊り橋効果ってやつ?」


「助けたんです! 私が!」


「頼りない男も、かわいく見える時期があるわよねぇ。それで連れて帰ってきちゃったんだぁ?」


「それは、聞きたいことがあって! もう、ルリさん!」


 エマが遊ばれている……。嗜虐的しぎゃくてきな猫耳美女にからかわれ顔を真っ赤に染めるツノっ子、この二人のたわむれは実に目の保養になる光景だが、俺がとめなきゃ収拾がつかなくなりそうなので、エマを助けるつもりで割って入ることにした。


「えーと! ご挨拶が遅くなりました! 俺はアマヤといいます。ルリさん、先日はありがとうございました!」


「アンタ、誰だっけ?」


「せ、先日……店先で手ぬぐいを頂きました。そのおかげで、森で死にかけていたところをキヨちゃん、ミヨちゃん、エマに助けて頂いたというか……」


「森ぃ……?」


「あっ、だめ!アマヤ……!」


「オマエかーーーー!!」


 エマがあわてた顔をした瞬間、ルリさんから俺へと強烈な右ストレートが放たれた。そうだった、キヨちゃんとミヨちゃんは俺のせいで森に入り迷子になったんだった。


「お、おちついてルリさん。彼も反省してますから」


「ふざっけんなコイツ!こんなんじゃ足りないわよ!!」

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