時は一九二〇年を迎えようとしていた。
大正という時代。日本は日清日露戦争という苦難を経て、世界の列強への道を歩み始めていた。
さらに一九一四年に始まった欧州大戦では連合国側に与し、先年のドイツ帝国の敗北によりまた、勝利者としての美酒に酔いしれていた。
帝都東京。
人口は三百万をゆうに超え、近代的な建物が立ち並び交通網も日進月歩の勢いで網の目のように整備されつつあった。
人々の生活も洋風化し、食べ物から乗り物まで新しいものが幅を利かせはじめていた。
スーツ姿のサラリーマンが、洋食屋でカツレツを頬張る。学生服姿の学生が、本屋で政治に関する専門書をめくる。一方で、かつての江戸時代の風景もそこかしこに見られた。少し路地裏に入ってみれば、主婦が井戸端会議に興じる姿は、江戸時代の長屋そのものであった。人々の来ているものは和服が大多数であり、丁髷のないことが、この時代であることを示しているようにも見えた。
東京の都心ですらそんな状況である。
じっと、少女はそんな窓の外の風景を眺めていた。両肘を窓のひさしにのせ、澄んだ黒目がちの目がすこし潤んでいるようにも見えた。
茶色い木々が広がる風景。季節柄、枝が目立つが夏になれば一面緑の海になるだろうことは簡単に予想できた。
ここが一〇〇年後にはビルが林立するオフィス街になるとは到底、予想もできないほどの田舎である。そんな中にそびえる大理石づくりの大きな建物から、少女はあたりを眺めていた。
ため息をつきながら――
赤坂にその建物はあった。聖アリギエーリ高等女学校の寮、『春申寮』である。
当然彼女は聖アリギエーリ高等女学校の女学生であり、寮生でもあった。
窓から手を離し、踵を返す。やや短めの色の薄い髪が、光りながら揺れる。
広い部屋。丁寧にワックスがけされた床が光り、部屋を下から照らしているようだった。質素ではあるがしっかりとした机とベッドが二つ。一つの方には自分の名前が流暢な筆字で記されていた。『物巾部(ものきべ)すざく』と。
視線をもう一つのベッドに泳がす。そこには『有栖燁子』という名前が同様に記されていた――がその人はここにはもう居ない。燁子はすざくと入学以来ルームメイトとして一緒であった親友であった。今年の一月に、この学校を退学するとともに退寮していった。
「今度結婚することになったの」
そう、嬉しそうな不安そうな微妙な感情の入り混じった顔ですざくに報告するルームメイトのさざな。彼女の年の頃は数えで十七歳。この時代の結婚適年齢から考えても、そんな不思議でもない。まして相手が、華族の御曹司とあっては――
聖アリギエーリ高等女学校。赤坂の閑静な場所に立つ全寮制の女学校である。もともとは宣教師アリギエーリ神父が開いた教会学校であったが、それに目をつけたのが維新の功労者吉葛古光朗伯爵である。
『華族の、とりわけ女子の高等教育を与える場が必要である。条約改正のためにも、海外の文化風俗に通じた教育が必要であろう。この学校で学んだ華族の子女が同様に華族に嫁ぎ、日本でも『サロン』のような場を開ける人材を育てたい』
この主張は抵抗なく、華族たちに受け入れられた。華族だけではなく、政財界の子女たちにも門戸を開き、半官半民のような形で設立された聖アリギエーリ高等女学校はここ赤坂に居を構えていた。
そして、卒業する前に縁談が決まり結果退学していく女性とも少なくない。あくまでも、この学校は『華族の貴婦人』を育成することが目的なのだから。
すざくはもう一度大きくため息をつくと、すでに板張りになった燁子のベッドの上にそっと手を触れた。
「親友――だと思ってたんだけれどな」
すざくはこれからのことを考えていた。
今まではほとんど燁子と一緒に行動していた。学校もそして日常生活も。友達は他に多くいるわけでもない。正直、すざくはあまり人付き合いが得意な方ではなかった。そんな自分が社交性を重視するこの女学校にいること自体が、気の重いものであった。
しかしそれはしょうがない。なぜならそれは自分の家『物巾部(ものきべ)』家が存続する、多分唯一の方法でもあったのだろうから。自分にはもはやここ以外の居場所がないことを、痛いほど彼女は知っていた。
そんな大正九年(一九二〇年)の正月明け。ルームメイトが居なくなること以上の大きな変化が彼女の身に起こることとなる。それは、『新たな』ルームメイトとの出会いであった――