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第17話_オリーブの木陰で揺れる未来

鉄と硝煙の協奏曲



地中海からの湿った風が、ガザ地区の乾いた砂塵を舞い上げる。太陽は容赦なく照りつけ、瓦礫と化した街並みを白く炙り出していた。2023年10月23日、この小さな土地は、絶望と怒りの渦中にあった。



視点1:アミール(35歳、ガザ地区の医師)



爆発音で目が覚めた。またか、とアミールは重い体を起こす。壁に亀裂が走り、窓ガラスは粉々に砕け散っていた。外では人々の叫び声が交錯し、サイレンがけたたましく鳴り響いている。ここ数週間、これが日常だった。イスラエル軍による空爆は日増しに激しさを増し、病院は負傷者で溢れかえっている。食料も水も不足し、子どもたちの泣き声が絶えず耳に届く。昨夜も小さな女の子が運び込まれてきた。瓦礫の下敷きになり、息も絶え絶えだった。懸命に処置を施したが、小さな命を繋ぎ止めることはできなかった。怒りがこみ上げる。なぜこんな目に遭わなければならない?私たちはただ、平穏な生活を望んでいるだけなのに。


「アミール先生、急患です!」看護師の声がアミールを現実に引き戻す。新たな負傷者が運ばれてくる。その顔は、絶望に染まっていた。



視点2:ダニエル(40歳、イスラエル国防軍兵士)



砂漠に沈む夕日が、戦車の金属装甲を赤く染め上げる。ダニエルはスコープから目を離し、大きく息を吐いた。今日も一日が終わろうとしている。ハマスによる奇襲攻撃から数週間、緊張状態が続いていた。ダニエルの任務は、ハマスの地下トンネルやロケット発射基地への攻撃だ。上層部からは「敵を殲滅せよ」と厳命されている。しかし、攻撃の度に巻き込まれる民間人の姿を見るのは辛い。画面に映し出されたのは、崩れ落ちる建物と逃げ惑う人々の姿だった。敵も味方も、同じ人間なのに…。ダニエルは自らに言い聞かせる。これは必要な犠牲なのだ。テロリストを根絶やしにしなければ、私たちの家族、そして未来を守れない。


「ダニエル、警戒を怠るな!」隊長の声が響く。ダニエルはスコープを覗き込んだ。そこには、夕暮れに染まるガザの街並みが広がっていた。



転換点



未来調整官fuは、時空の狭間に浮かぶ管制室で、事態を注視していた。彼の任務は、歴史の分岐点となる出来事を修正し、世界線が破滅へと向かうのを防ぐことだ。このガザ地区の状況は、まさに歴史の分岐点だった。このままでは、更なる暴力と報復の連鎖が続き、やがては世界全体を巻き込む大規模な戦争へと発展してしまう。それは、絶対に避けなければならない。


fuは、アミールとダニエルの感情の波を読み取り、彼らの行動を僅かに操作した。アミールが搬送された少女のペンダントに、母親からのメッセージが刻まれていることに気づかせた。それは、どんな状況でも希望を捨てないという、強い母の願いだった。ダニエルには、攻撃目標の建物に子供たちが隠れている幻を見せた。それは彼の心の奥底に眠っていた、良心と葛藤を呼び覚ますための策略だった。


さらに、fuはG7のオンライン会議に微弱な電波干渉を行い、声明の内容に「双方の即時停戦と和平交渉の開始」という文言を追加させた。また、ハマスが拘束しているイスラエル人女性2人の解放を早めるため、交渉に関わる人物の潜在意識に「時間がない」という焦燥感を植え付けた。



沈黙の夜明け



翌朝、ガザ地区には奇妙な静けさが訪れていた。イスラエル軍の攻撃は鳴りを潜め、ハマスのロケット発射も止んでいた。アミールは少女の母親を見つけ、ペンダントを渡すことができた。母親は涙を流し、感謝の言葉を繰り返した。アミールは、かすかな希望の光を感じ始めていた。一方、ダニエルは攻撃命令を拒否し、上官に民間人被害の可能性を強く訴えた。その結果、攻撃目標は変更され、民間人の犠牲は避けられた。


G7の共同声明は、国際社会に停戦への機運をもたらした。人質解放交渉は加速し、予定よりも早く2人の女性が解放された。事態は急速に収束へと向かっていた。



過去補填官paの登場



管制室に戻ったfuは、安堵のため息をついた。ギリギリの任務だった。その時、背後から声がした。「ずいぶん、派手にやったわね」振り返ると、そこには過去補填官paが立っていた。


「勝手な歴史修正は禁じられているはずよ」paの目は冷たい。


「わかっている。だが、放置すれば世界は破滅する。今回は必要な措置だった」fuは反論する。


「あなたには見えていない。あなたの介入で歪んでしまった未来が。ツケは必ず回ってくる」paの言葉に、fuは一瞬言葉を詰まらせた。確かに、彼が歴史に介入したことで、別の歪みが生じる可能性はある。だが、他に方法はなかったのだ。


「それなら、その歪みを修正するまでだ」fuは決意を込めて言った。


「いいわ。見せてもらいましょう。あなたの『正義』とやらを」paは意味深な笑みを浮かべ、時空の彼方へと消えていった。


fuはモニターを見つめた。そこには、静寂を取り戻したガザの街並みが映し出されている。だが、彼にはわかっていた。これは、終わりではない。新たな試練の始まりに過ぎないのだ。


オリーブの古木が風に揺れている。ガザの空には、まだ厚い雲が垂れ込めているが、その隙間からかすかに光が差し込み始めていた。希望の光か、それとも新たな嵐の予兆か。未来はまだ、誰にもわからない。ただ、一つだけ確かなことがある。それは、fuとpaの戦いが、まだ始まったばかりだということだ。


そして、2023年10月23日の歴史は、誰にも知られることなく、静かに修正された。パレスチナ保健省が発表する死者数は、当初の発表よりも大幅に減少し、イスラエル軍の攻撃規模も縮小された。病院付近への空爆も、誤情報だったことが判明する。ハマスのミサイル攻撃やイスラエル兵の発砲事件も発生せず、G7の声明はより具体的で建設的な内容へと変化した。全ては、fuの介入によって、歴史の表舞台から消し去られたのだ。だが、その代償として、未来には新たな不確実性が生まれてしまった。歴史の歯車は、目に見えないところで確実に狂い始めている。fuは、その責任を一身に背負い、孤独な戦いを続けていくしかない。オリーブの古木が、未来調整官の孤独な背中を静かに見守っていた。



影と代償



それから数ヶ月後、ガザ地区には一時的な平穏が訪れていた。国際社会の介入により、イスラエルとパレスチナの暫定的な停戦合意が成立したのだ。アミールは病院で忙しい日々を送りながらも、少女の母親と定期的に連絡を取り合っていた。彼らの小さな希望の光は、まだ消えていなかった。一方、ダニエルは軍を離れ、平和活動に参加するようになった。彼は、戦場で見た光景を忘れることができず、未来のために何かをしたいと強く願っていた。


しかし、fuの介入によって生まれた歪みは、徐々に表面化し始めていた。歴史修正の影響で、中東地域における地政学的バランスが崩れ、新たな紛争の火種が生まれつつあったのだ。さらに、fuが干渉したG7声明の文言が、予期せぬ誤解を生み、加盟国間の緊張を高める結果となってしまった。


「予想以上に、影響が大きかったようね」時空の狭間に現れたpaが、皮肉めいた口調で言った。


「想定外の出来事が続いている。だが、修正は可能だ」fuは疲れた表情で答えた。彼は、昼夜を問わず事態の収拾に奔走していたが、問題は次々と発生し、まるでいたちごっこのようだった。


「あなた一人では、もう限界でしょう。私に協力させて」paは意外な提案をした。


「君が?なぜだ」fuは驚きを隠せない。


「あなたとは立場が違うけど、この世界が壊れるのは見たくない。それだけよ」paの表情は真剣だった。


fuはしばらく考え込んだ。paの言葉を信じていいのか、迷いがあった。しかし、今の彼には頼れる者がいない。孤独な戦いの中で、心身ともに限界に近づいていた。


「…わかった。君の力を貸してくれ」fuは、paに協力を求めることを決断した。



揺れる天秤



paの協力により、fuは歴史修正の副作用に対処し始めた。彼女は過去の記録を詳細に分析し、fuが見落としていた問題を指摘した。二人は互いの知識と能力を補完し合い、効率的に問題を解決していった。しかし、全てが順調に進んでいるわけではなかった。修正を重ねるたびに、歴史の歪みはより複雑になり、予測不可能な事態が発生するリスクも高まっていった。


「こんなことを続けていて、本当に大丈夫なのか?」不安そうなアミールの顔が、fuの脳裏に浮かぶ。歴史修正は、人々の運命を大きく変えてしまう可能性がある。彼らの未来を勝手に書き換えていいのだろうか。そんな迷いが、fuの心を苛んだ。


「迷っている暇はないわ。時間が迫っている」paの冷静な声が、fuを現実に引き戻した。彼女はモニターに表示されたデータを指し示し、新たな問題点を指摘する。そこには、修正された歴史の影響で、軍事技術が予想外の進化を遂げていることが示されていた。このままでは、未来において更なる破壊的な兵器が開発され、世界は新たな脅威に直面することになる。


「何としても阻止しなければ」fuは、新たな歴史修正に取り掛かった。paの助言を受けながら、軍事技術の進化の道筋を変更する作業を進める。それは、まさに針の穴に糸を通すような、繊細で複雑な作業だった。一歩間違えれば、歴史全体が崩壊してしまう危険性がある。


修正作業が佳境に入った時、管制室に警報が鳴り響いた。時空の歪みが臨界点に達したのだ。モニターには、断片化された未来の映像が映し出されている。そこには、荒廃した大地と絶望に沈む人々の姿があった。


「間に合わなかった…?」fuは愕然とした。これまでの努力が全て水の泡になるのだろうか。


「まだ諦めるのは早い」paは冷静にシステムを操作し、歪みの拡大を食い止めようとする。しかし、事態は悪化の一途を辿っていた。このままでは、世界は破滅へと向かってしまう。


「他に方法はないのか?」fuは最後の望みをpaに託した。


「一つだけ、方法がある。でも、大きなリスクを伴う」paは躊躇しながら答えた。


「どんな方法だ?」


「時間軸を初期化する。ただし、その代償として…」paは言葉を濁した。


「代償は何だ?」


「あなた自身の存在が消えるかもしれない」



消えゆくオリーブ



時間軸の初期化。それは、歴史の歪みを全てリセットし、世界を本来あるべき姿に戻す方法だった。しかし、その代償として、歴史に干渉したfuの存在は世界から抹消される。彼は、時空の管理者としての記憶と力を失い、ただの人間として新たな人生を歩むことになるだろう。


fuは一瞬迷った。全てを捨てて、普通の人間として生きる。それは、長い間孤独な戦いを続けてきた彼にとって、ある意味では解放なのかもしれない。しかし、同時に深い喪失感も感じていた。彼は、自分の存在意義をかけて、世界を救おうとしてきたのだ。その全てが消えてしまうことに、耐えられるだろうか。


「どうするの?」paの声が、fuの思考を遮った。


「…やるしかない。世界を救えるなら、私の存在なんて些細なことだ」fuは覚悟を決めた。


paは頷き、初期化プログラムを起動した。管制室のモニターが眩い光で満たされ、時空の歪みが徐々に収束していく。その光の中で、fuはこれまでの戦いを思い返していた。絶望の淵に立たされた人々の顔、歴史の分岐点で下した決断、そして、paと共に乗り越えてきた困難。全てが、走馬灯のように駆け巡る。


「ありがとう、pa」fuはpaに感謝の言葉を述べた。


「あなたのおかげで、私は大切なことを学んだ。歴史を守ることの意味、そして、希望を捨てるなということ」paの目に、涙が浮かんでいた。


「最後に一つだけ、頼みがある」fuは言った。「ガザの人々を…アミールを…見守ってやってほしい」


paは静かに頷いた。



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光が強さを増し、fuの体が光に包まれる。しかし、彼の存在が消えることはなかった。時間軸の初期化は成功したが、予想とは異なり、fuは歴史から抹消されずに済んだのだ。それは、彼が歴史に深く関与しすぎたためか、あるいはpaが何らかの操作を加えたためか、理由は定かではなかった。


光が消えた後、管制室にはfuとpaが二人で立っていた。モニターに映し出されたガザの街並みには、穏やかな日常が戻っている。アミールは病院で患者の治療にあたり、ダニエルは平和活動に励んでいた。全ては、元に戻ったのだ。


「どうやら、私はまだこの世界に必要とされているらしい」fuは呟いた。


「そうみたいね」paは微笑んで答えた。


「だが、なぜ私は消えなかったんだ?」fuは疑問を口にした。


「わからない。でも、今は考えるのをやめましょう。世界は救われたのだから」paは言った。


地中海の風が、優しくオリーブの木を揺らしていた。fuはモニターを見つめながら、自分がまだここにいる意味を考えていた。時間軸の初期化によって歴史の歪みは修正されたが、未来は依然として不確実なままだ。彼には、まだ果たすべき役割があるのかもしれない。


「pa、私はこの仕事を続ける。世界が本当に平和になるまで」fuは決意を新たに言った。


「私も協力するわ。今度は、二人で一緒に」paの言葉に、fuは力強く頷いた。


ガザの空に、再び朝日が昇る。それは、苦難の歴史を乗り越え、未来へと歩み続ける人々を祝福するかのように、優しく、そして力強く輝いていた。そして、オリーブの古木は、未来調整官fuと過去補填官paの新たな旅立ちを、静かに見守っていた。歴史の証人として、未来への希望の象徴として。

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