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第11話_螺旋の楔

プロローグ:運命の糸車


2023年10月17日。中東の地は、絶えず揺れ動く砂丘のように不安定な情勢に包まれていた。パレスチナ保健省の発表は重苦しい事実を突きつける。10月7日以降のイスラエル軍の攻撃によるガザ地区の民間人死者約3,000人、負傷者12,500人。怒りと悲しみが渦巻き、憎悪の連鎖が断ち切れない。


更に追い打ちをかけるように、アルアハリ病院での爆発で500人以上の命が奪われたという報せが世界を駆け巡った。責任の所在を巡り、イスラエルとパレスチナの主張は真っ向から対立。事態は一層深刻化し、バイデン大統領とエジプト、パレスチナの代表者との会談は中止となった。アラブ諸国では抗議行動が激化、イスラエルへの非難の声が轟く。一方でヨルダン川西岸地区では、ハマスを支持するアッバス自治政府議長に対する抗議行動が起こるなど、パレスチナ内部の分裂も露呈していた。


イスラエル軍はガザ地区のハマス拠点5000カ所への空爆を発表、ヒズボラとの衝突も発生。閉鎖されたラファ検問所には支援物資を積んだトラックが列をなし、人道危機が深刻化していく。まさに火薬庫。一触即発の緊張感が張り詰め、世界は息を呑んで事態の推移を見守っていた。


しかし、誰一人として知る由もない。この混沌とした現実の裏で、たった一人、未来の調整官「fu」が人類滅亡の危機を回避すべく孤独な闘いを続けていたことを。


第一幕:少女の瞳に映る絶望 - マリアムの怒りと哀しみ


ガザ地区の瓦礫の中で、12歳の少女マリアムは瓦礫の山を呆然と見つめていた。数日前まで、そこには家族と笑い合って暮らした家があった。しかし今は、爆撃によって粉々に砕け散り、思い出の欠片すら見つけることはできない。両親と弟を失ったマリアムの心は深い絶望に沈んでいた。


「なぜ…?どうして私たちだけがこんな目に…?」


小さな拳を握り締め、マリアムは震える声で呟く。アルアハリ病院の爆発で、運ばれてきた怪我人の治療を手伝っていた兄も犠牲になった。希望の光は消え、目の前には暗い闇だけが広がっている。ニュースでは、イスラエル軍による空爆だと報じられていた。怒りがこみ上げる。大切な人たちの命を奪った者たちへの憎悪が、幼い心を蝕んでいく。


「絶対に許さない…必ず復讐してやる…!」


復讐という言葉の意味さえ理解していないかもしれない。それでも、マリアムはそれしか考えられなかった。夜空を切り裂く戦闘機の轟音に怯えながら、マリアムは瓦礫の中で独り泣き続ける。彼女の瞳から零れ落ちる涙は、希望を失った人々の哀しみを映し出していた。


第二幕:兵士の誓い - ダビデの決意と苦悩


イスラエル軍の兵士ダビデは、国境付近の陣地にいた。7日以降、激しい戦闘が続いている。ハマスによる攻撃で多くの同胞が犠牲になり、ダビデの心も深く傷ついていた。ガザへの空爆命令が下るたび、ダビデの胸は締め付けられる。アルアハリ病院の爆発は、イスラム聖戦のロケット弾誤射によるものだと軍は発表していたが、アラブ諸国ではイスラエルの攻撃だと非難されている。ダビデは混乱していた。真実はどこにあるのか? 何を信じれば良いのか?


「俺たちはただ、国を守っているだけなのに…なぜ誰も理解してくれないんだ…?」


幼い頃から聞かされてきたユダヤ民族の受難の歴史。安住の地を求めて戦い続けてきた先祖たちの苦難。ダビデもまた、その意志を継ぎ、国を守るために命を捧げる覚悟だった。しかし、敵はすぐそこにいる。銃を向けなければ、殺される。戦場で正義を語ることは許されない。生きるか死ぬか、それだけだ。


ダビデの脳裏に、妻と幼い娘の笑顔が浮かぶ。もし自分がここで死んだら、二人はどうなるのだろうか。恐怖と不安が押し寄せる。しかし、ダビデは自分の感情を押し殺し、再び銃を握りしめる。守るべきもののために、彼は戦い続けなければならない。


「神よ、私たちに力を…」


祈りを捧げながら、ダビデは夜空を見上げた。遠くで爆発音が響く。終わりの見えない戦いに、ダビデの心は疲弊していた。それでも、彼は戦うことをやめない。それが兵士としての宿命だと信じているから。


第三幕:未来からの介入 - fuの孤独な闘争


人類滅亡の危機を回避するため、未来から派遣された調整官「fu」。彼は時空を超えて干渉する力を持ち、歴史の分岐点に介入することで、最悪の未来を修正する任務を帯びていた。現在の地球は、複数の時間軸が複雑に絡み合い、崩壊寸前の状態にある。特に中東情勢は、人類滅亡のトリガーとなり得る危険な因子をいくつも孕んでいた。


fuは特殊な装置を用いて、無数の時間軸を観測する。それぞれの時間軸における事象の因果関係を分析し、どの時点で介入すれば人類の滅亡を防げるのかを探る。それはまるで、巨大なパズルのピースを一つ一つ組み合わせていくような、気の遠くなる作業だった。


マリアムの絶望とダビデの苦悩は、fuにとって重くのしかかる。彼は知っていた。このまま事態が悪化すれば、大規模な戦争へと発展し、最終的には核兵器の使用によって人類が滅亡してしまうことを。


時間軸の分岐点を探る中で、fuはアルアハリ病院の爆発が重要な鍵を握っていることに気づく。この事件をきっかけに、イスラエルとパレスチナの対立は決定的なものとなり、国際社会を巻き込んだ全面戦争へと発展していくのだ。何としても爆発を阻止しなければならない。だが、過去に直接干渉することは、タイムパラドックスを引き起こす危険性を伴う。fuは慎重に介入の方法を探った。


まず、fuは病院に設置されていた監視カメラのシステムに侵入し、爆発の瞬間の映像データを改ざんした。本来の映像では、爆発の原因は特定できなかった。しかし、fuはイスラム聖戦のロケット弾が病院に落下する映像を作り出し、あたかも誤射によって爆発が起きたかのように見せかけた。同時に、SNSを通じてフェイクニュースを拡散し、世論を誘導していく。


次にfuは、イスラエル軍の通信システムに侵入し、空爆命令の伝達にわずかな遅延を生じさせた。これにより、空爆開始時間が数分遅れ、結果的に病院への誤射は回避された。更に、ハマスとイスラエル双方の強硬派の人物に対し、微弱な電磁波を照射することで一時的に判断力を低下させ、過激な行動を抑制した。


時間軸を操る能力は強力だが、その反動も大きい。fu自身の時間軸にも影響が及び、彼の存在が消滅してしまう可能性もあった。それでも、fuは任務を遂行する。人類の未来を守れるのは自分しかいない。その強い思いが、fuを突き動かしていた。


第四幕:希望への道筋 - 揺れ動く現実


アルアハリ病院で爆発は起きなかった。ニュースではイスラム聖戦が発射したロケット弾の軌道がそれたものの、病院には着弾せず空き地に落下したと報じられた。病院は無事で、死傷者は出なかった。しかし、誤射の責任を巡ってイスラエルとパレスチナの非難合戦は続いている。ガザ地区では依然として空爆が続き、民間人の犠牲も出ている。それでも、歴史は確実に変わり始めていた。


爆発がなかったことで、国際社会の反応は大きく変化した。アラブ諸国での大規模な抗議行動は回避され、イスラエルへの非難の声も以前ほど大きくはなかった。バイデン大統領とエジプト、パレスチナ代表の会談も予定通り行われることになった。ラファ検問所も限定的に開放され、支援物資の一部がガザ地区に届けられた。


マリアムは家を失った悲しみから立ち直れてはいなかったが、それでも生きる希望を捨ててはいなかった。アルアハリ病院でボランティアをしながら、傷ついた人々を助けている。


「いつか故郷に平和が訪れ、皆が笑顔で暮らせる日が来る」


そう信じて、マリアムは懸命に働いていた。病院で出会った医師や看護師、同じように家族を失った子どもたちと支え合いながら、彼女は少しずつ前を向いて歩き始めていた。心に刻まれた傷は決して消えない。それでも、未来を諦めたくはない。失われた命の分まで、精一杯生きたい。それがマリアムの願いだった。


一方、イスラエル軍のダビデは、アルアハリ病院の爆発が回避されたことに安堵していた。最悪の事態は免れたものの、緊張状態は依然として続いている。それでも、彼は希望を捨ててはいなかった。いつかパレスチナと和平を結び、互いに認め合う日が来ると信じている。ダビデの胸には、幼い娘の笑顔がある。娘の未来のために、彼は平和のために戦いたいと思っていた。


しかし、現実を前にすれば、その希望も儚く消え去りそうになる。戦闘は終わりを見せず、憎しみの連鎖は断ち切れない。本当に、この地に平和は訪れるのだろうか? ダビデの心は揺れ動いていた。それでも、彼は銃を置くわけにはいかない。国を守るという使命を放棄することはできなかった。


「今は戦うしかないのか…」


呟きながら、ダビデは再びパトロールに出発した。その背中には、重苦しい現実がのしかかっていた。だが、同時に彼の心にはかすかな希望の光も灯っていた。


fuは遠く離れた場所から、マリアムとダビデを見守っていた。彼の介入によって時間軸は修正され、人類滅亡の危機は一時的に回避された。だが、問題の根本が解決されたわけではない。憎しみ、偏見、貧困、資源の枯渇…人類の未来を脅かす要因は数多く存在する。fuの任務はまだ終わっていない。未来調整官としての孤独な闘いは、これからも続く。


「まだ安心はできない。新たな危機が生まれる前に、次の手を打たなければ…」


fuは再び時間軸の観測を始めた。無限に広がる時間軸の中から、わずかな可能性を探り、未来を修正していく。人類の運命は、彼の手に委ねられていた。重圧に押し潰されそうになりながらも、fuは決して諦めない。未来を、希望を、守るために。


エピローグ:平和への祈り


2023年10月17日は、多くの人々にとって忘れられない一日となった。アルアハリ病院の爆発は回避されたものの、中東の緊張状態は続いている。それでも、世界は僅かな希望を胸に、和平への道を模索し続ける。


その裏で、未来調整官fuは誰にも知られることなく、孤独な戦いを続けていた。彼の働きによって世界は破滅の淵から救われたが、不安定な状況は変わらない。fuは絶えず変動する時間軸を監視し、新たな脅威に備える必要があった。時間軸を修正するという行為は、常に予期せぬ結果を伴う。ある世界線を修正すれば、別の世界線に歪みが生じるかもしれない。


fuの脳裏には、マリアムの悲しみに濡れた瞳と、ダビデの苦悩に満ちた表情が焼き付いていた。彼らのような市井の人々が平和に暮らせる未来を守るために、fuは自分の存在を犠牲にすることも厭わなかった。


遠い未来、人類が歴史を振り返った時、2023年10月17日はどのように記録されるのだろうか?危機を回避できた「幸運な日」として記憶されるのか、それとも破滅への序章に過ぎなかったと解釈されるのか?それは、これからの人類の選択にかかっていた。


fuは星空を見上げ、静かに祈りを捧げた。人類が愚かな争いをやめ、共存の道を選びますように。憎しみの連鎖を断ち切り、平和な未来を築けますように。そして、自分が調整した時間軸が、本当に人類の幸福につながっていますように。


彼の祈りが届いたのか、星々が一層強く輝きを増したように見えた。fuは未来への希望を胸に、再び時間軸の海へと意識を沈めていく。螺旋のように複雑に絡み合った時間の中で、彼の孤独な闘いは続いていく。


そして、誰一人として知らない。世界が破滅の危機を回避できたのは、未来からの訪問者、調整官fuのおかげだということを。世界はただ、運命の歯車が偶然にも良い方向へ回転したと思っている。しかし、その偶然こそが、fuが命を懸けて作り出した奇跡だったのだ。


やがて朝が訪れ、太陽は中東の地を照らし出す。その光は、混沌と混乱の中にある人々にも、等しく降り注ぐ。新たな一日の始まり。それは、絶望と希望が交錯する、長い旅路の始まりでもあった。


fuが書き換えた時間軸は、果たして平和な未来へと繋がるのだろうか。それとも、別の危機を招いてしまうのだろうか。その答えを知るのは、遥か遠い未来の、更に別の誰かなのかもしれない。ただ一つ確かなことは、未来は常に揺れ動き、変わり続けるということだ。そして、その変化を導く一筋の光が、未来調整官fuの手に握られているということだ。


未来への道は、まだ開かれたばかりだ。希望と不安が入り混じる中、人々はそれぞれの明日へと歩みを進めていく。その道の先には、果たして何が待っているのだろうか。全ては、時のみが知っている。

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