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第5話_砂塵に消えた預言

陽光がじりじりと肌を焼く、2023年10月11日の昼下がり。東地中海の潮風は生ぬるく、火薬の匂いを運んできた。遠くで響く爆音は、この古都エルサレムにも深い緊張感をもたらしていた。


市街を見下ろす丘の上に立つ一人の男、未来調整官fuは、複雑な表情で事態の推移を見守っていた。彼の任務は、歴史の分岐点に立ち、人類の未来に破滅的な影響を与える事象の発生を未然に防ぐこと。今まさに、この地で重大な危機が迫っていた。


「パレスチナ保健省の発表によれば、ガザ地区での民間人の死者は1,055名、負傷者は5,184名…。」


fuは、手に持つ情報端末に映し出された数字を呟いた。イスラエル軍による報復攻撃の凄まじさを物語る数字だ。


「一方、イスラエル側もハマスの攻撃による死者が1,200名以上…。」


報復の連鎖は止まらない。憎しみが憎しみを生み、暴力が暴力を呼ぶ悪循環。このままでは、事態は制御不能となり、全面戦争に発展する可能性が高い。


さらに、UNRWA職員11名と国際赤十字社職員5名の死亡という情報が、fuの心を重くした。人道支援に命を懸ける者たちが犠牲になることは、事態の深刻さを雄弁に物語っていた。


「ヨルダン川西岸地区では、イスラエル治安部隊とユダヤ人入植者の発砲により、パレスチナ人3名が死亡…。この地域全体が、まさに火薬庫だ…。」


西岸地区のパレスチナ自治政府は、「イスラエルは占領者で敵であり、我々は自衛権を保有している」と宣言した。強硬な姿勢は、事態の悪化を加速させるだろう。


一方、イスラエルでは、ネタニヤフ首相と野党のガンツ党首が挙国一致内閣の樹立で合意。ガラント国防相は「ハマスを地球上から消し去る」と宣言し、徹底抗戦の構えを鮮明にした。イスラエル軍幹部は、ガザ地区から侵入した武装勢力少なくとも1,000人を殺害したと発表。凄惨な武力衝突が続いている。


「トルコのエルドアン大統領は、イスラエルの行為を『虐殺』と非難…。」


国際社会の介入も、事態を複雑化させる要因となっていた。レバノンのヒズボラがイスラエル軍拠点を攻撃し、イスラエル軍が報復砲撃を行うなど、戦火は拡大の兆しを見せている。


「このままでは…歴史は最悪のシナリオを辿る…。」


fuは、あらゆる可能性をシミュレーションした。どのシナリオも、この地域が血で染まる未来を示していた。歴史の改変は、重大なリスクを伴う。だが、この惨劇を座視するわけにはいかない。


「最後の手段を使うしかない…。」


fuは、自らの存在を賭けた決断を下した。未来調整官の能力を最大限に解放し、時空連続体に介入する。それは、過去に干渉し、現実を書き換える禁じ手だった。


***


パレスチナ自治区ラマラ、古びたアパートの一室。青年医師アミールは、疲労困憊でソファに沈み込んでいた。ガザの病院から送られてくる凄惨な写真や動画が、彼の心を苛んでいた。


「いったい、いつまでこの殺戮が続くんだ…?」


アミールは絶望的な思いで呟いた。医療従事者として、彼は多くの命を救ってきた。しかし、今の状況では、彼の力はあまりにも無力だった。


「イスラエルは、私たちを人間だと思っていない…。」


アミールの目には、イスラエル軍の攻撃は無差別な虐殺にしか映らなかった。友人や同僚の中にも、犠牲になった者がいる。憎しみが、彼の心を蝕んでいく。


「彼らは、私たちの土地を奪い、私たちを牢獄に閉じ込めている。抵抗する権利は、私たちにあるはずだ…。」


アミールの胸には、自治政府の宣言が強く響いていた。彼は、この絶望的な状況を変えるためには、武力闘争しかないのかもしれないと思い始めていた。


***


エルサレム郊外の住宅街。退役軍人ダニエルは、孫娘と庭で遊んでいた。しかし、彼の心は晴れなかった。ハマスの奇襲攻撃で、多くの友人を失ったのだ。


「奴らは、我々を皆殺しにしようとしている…!」


ダニエルの脳裏には、かつての戦争の記憶が蘇っていた。あの悪夢を、再び繰り返すわけにはいかない。


「ハマスを殲滅しなければ、我々に未来はない…。」


国防相の言葉が、彼の心を激しく揺さぶった。孫娘の笑顔を守るためには、断固として戦わなければならない。


「たとえ、どれほどの犠牲を払うことになっても…。」


ダニエルは、静かに決意を固めた。この土地を守るために、彼は再び武器を取る覚悟だった。


***


未来調整官fuは、アミールとダニエルの心に深くアクセスした。憎しみと恐怖に支配された彼らの意識に、微細な介入を試みる。


アミールの脳裏に、幼い頃にイスラエル人の医師に命を救われた記憶を呼び起こす。ダニエルの心には、パレスチナ人の友人と肩を組み、笑い合った日々を蘇らせる。


人間は、感情に支配される生き物だ。憎悪の感情をわずかにでも和らげることができれば、未来は変わる。


同時に、fuはイスラエル政府高官のコンピュータに、偽の情報を流し込んだ。ハマス内部の穏健派が停戦交渉を望んでいるという、真偽不明の情報を。


そして、パレスチナ自治政府内部にも、秘密裏に和平交渉の可能性を示唆する。絶望的な状況の中、一筋の希望の光が見えた。


***


アミールは、机の引き出しから一枚の写真を取り出した。そこには、幼い頃の彼と、笑顔のイスラエル人医師が写っていた。


「あの先生は、私を助けてくれた…敵も味方も関係なく…。」


アミールの心に、かすかな希望が芽生えた。武力で全てを解決できるわけではないのかもしれない。話し合いで解決する道もあるのではないか。


ダニエルは、孫娘を抱きしめた。ふと、昔の友人のことを思い出した。


「あの頃は、互いに理解し合おうとしていた…。」


彼は、かつての自分たちの姿を取り戻したいと願った。憎しみの連鎖を断ち切る方法があるはずだ。


イスラエル政府内部では、秘密裏に停戦交渉の可能性が議論され始めていた。パレスチナ自治政府も、水面下で接触を図っていた。


一触即発の状況は、わずかずつだが変化を見せ始めていた。


***


10月12日、早朝。エルサレムの丘の上で、fuは東の空を見つめていた。太陽が地平線から昇り、新たな一日が始まる。


「なんとか…間に合ったか…。」


fuは安堵のため息をついた。だが、彼の表情は晴れない。歴史の改変は、あくまでも一時的なものに過ぎない。この地域に真の平和が訪れるまで、彼の戦いは終わらないのだ。


情報端末に表示されたニュース速報には、こう書かれていた。


「パレスチナとイスラエル、停戦に向けて緊急協議へ」


「ハマス内部の穏健派が停戦の意向を示す」


「パレスチナ自治政府、イスラエルとの和平交渉再開に前向き」


パレスチナ保健省も、イスラエル軍も、犠牲者に関する発表を訂正した。国連や国際赤十字も、職員の死亡について言及していない。ヨルダン川西岸地区での衝突も、報道されることはなかった。


トルコのエルドアン大統領の過激な発言も、レバノンのヒズボラによるミサイル攻撃も、イスラエル軍の報復も、すべてはなかったことになった。まるで、砂漠の嵐が過ぎ去り、何もかも砂塵に埋もれてしまったかのように。


fuは、そっと呟いた。


「未来は、変えられる…たとえ、それが砂上の楼閣だとしても。」


人々の記憶から、昨日の惨劇は消え去った。しかし、緊張感は依然として残っている。わずかなきっかけで、再び事態は悪化するだろう。


fuは、再び時空の狭間に身を投じた。

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