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第4話 花護家の事情


 怪盗という人物がどういう人なのか。

 邸の人に聞くと、意外な事に、下働きの女中が詳しかった。


「講談になったり、絵はがきが出たり、相当な人気なんですよ。かくいう私も、頂いたお給金で、絵はがきを買い求めてしまいましたもの!」


 見せてもらった絵はがきには、漆黒の礼装にマントを身に纏った、長身の男性が描かれていた。

 顔は見えない。


「お顔を見た人は居ないということです! だから、ものすごい美形か、一目と見られない醜い男かどちらかだろうって言われてます。勿論、美形だって思ってます」

 顔は、マスクのようなものを身につけていた。


 顔の描かれていない能面のような、ぺったらとした白い仮面だった。口許だけが、わずかに開いている。随分、詳細な絵だと、美優人は思う。


「……宝石だけを、狙うと?」


「ええ、そうなんですよ! 今までに、狙われたのは、侯爵家の碧玉、宮様のところの金剛石、伯爵家の翡翠、大使公邸の瑠璃……すべて、名のある宝石ばかりだとか。怪盗の家は、美々しいもので満ちあふれているのでしょうね……。きっと、怪盗は、坊ちゃまのことも、そこへ並べて愛でるつもりなのですわ」


 うっとりとした表情を浮かべる女中の言葉を聞いた美優人は、(冗談じゃない)と思った。


(たしかに、僕は、道行く人々を失神させる習性があるけど……、ケースに入れられて愛でられるのはまっぴらだ……)


 そう思った時、美優人は、花護男爵家に訪れている、もう一つの、問題を思い出した。


 恵比寿屋。

 恵比寿屋角右衛門という豪商が、花護男爵家と昵懇じっこんであった。

 長らく、良好な関係を築いて居たのだが、ある時、恵比寿屋角右衛門から借り受けた貴重な仏像を、何者かに盗まれるという事件がおこった。


 恵比寿屋では、家宝としてあがめているもので、仏像がなくなれば恵比寿屋は衰退するほかなくなる。それで、期限までに取り戻すことが出来なければ、その代償として、美優人をもらい受けると通達されている。


 父はいつ交わしたのか解らないというが、借用書の条件についても、その旨、記載されているので、どうしようもない。


『美優人様のお美しく神々しいお姿は、本当に貴重なものですからね。そのまま、産まれた姿のままで、蓮のうてなの上に座して頂ければ、まさに生き仏ですからな』

 と下卑な笑いを浮かべた、脂ぎった老人の事を、思い出す。


 紛失してしまった仏像は、戻らないだろう。


 そうすると、月末には、恵比寿屋角右衛門の男妾になる道が待ち受けているだけだ。


(……なら、いっそ、怪盗とやらに攫われてしまった方が良いのでは……?)


 絵はがきに描かれた絵姿がその通りだとは思わないが、それでも、ガマガエルみたいな恵比寿屋角右衛門の慰み者になるくらいならば、怪盗に攫われてしまった方がいくらかマシな気がした。


(最悪、命を取られるとか、そう言うことはあるのかも知れないけど……)

 さすがに、攫われてしまった美優人を、なんとしてでも差し出せとは、恵比寿屋角右衛門も言わないだろう。


「それにしても、さっきの中院さまも仰ってたけど……なんで、今回は、宝石じゃなくて、僕なんだろう?」

 首を捻りつつ、美優人は、身の回りの整理をすることにした。


 攫われるのを前提にするならば、私物は、少々持っていった方が良いだろう。




 大切なもの。

 高等学校を入学する時に、兄から頂いた、銀の懐中時計。


『不埒なものにみさおを奪われそうになったら使うのだよ』と兄に持たされた、先祖伝来の懐剣。


 苦労して入った高等学校の学生手帳。

 気に入りの本と、文具。あとは、兄の留学先から送っていただいた絵はがきや、本、手持ちの金などを小さなカバンの中へ入れておけば良いかもしれない。


 部屋の窓についた花台の所に住み着いた鳩は、豆之介と名付けてかわいがっていたが、美優人が居なくなれば、エサを貰うことが出来るかもしれないから、直前で、これも連れてくことにする。


 そこまで支度を終えたとき、不意に、何年も昔に、辻に店を出していた占い師に呼び止められて言われた言葉を思い出す。



『これは不幸なことだ……。

 あなたは、とても美しい。これからももっともっと、美しくおなりだろう……けれど、行く付く場所は、男妾おとこめかけだ……』



 たしかに、今まで、どこかに連れ込まれそうになったり、触られたり、嫌な思いはたくさんしてきた。


「結局、僕は、男妾おとこめかけしかないのかあ……」

 そう思うと、切なくなってくる。


 物語の登場人物たちのようにも恋に身を焦がしてみたいと、思うこともあるが、今まで、恋人がいたこともない。


「怪盗さんが、変な趣味を持っている人じゃないと良いなあ……」

 奉仕させられるのだとしても、耐えられるような事であるように、と祈らずには居られなかった。


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