花護男爵邸に、警視総監と名探偵が現れたのは、15時であった。
示し合わせたのでもないのに、門のところで鉢合わせをして、
「貴様が先に入るな!」
「同時に来たのだから、どちらが先に入っても構わないだろう!」
と門前で四半刻も言い争いをしていたほどの、犬猿の仲である。
美優人はとりあえず、学生服から部屋着に着替えて、応接室で二人と対峙することになった。
応接室、ソファに座し、テーブルを挟んだ形だ。
「いやあ、花護くんのところは、ばあやさんの作る、ふかし饅頭が絶品で!」
などと言いながら、警視総監・下河内貴文は、暢気にふかし饅頭と煎茶を飲んでいる。
本来、警視総監という要職に就くような年齢ではないが、聖上の格別の思し召しで、この人事が成ったらしい。なお、その当時の聖上の、
すらりとした痩躯に、切れ長の眼差し。鋭利な刃物のような『印象』というのがこの方の大方の評判だが、『張り子の虎』という素晴らしい異名を持っていることからも、大方の評価は知れたモノである。
対する、名探偵・中院正隆は、やや、もっさりとした様子の方で、年甲斐もなく(花護家の長兄と大学の同期であれば、二十八歳の好男子であるはずである)、書生姿である。
「おい、貴文。……のんきに、ばあやさんの饅頭などを喰らっている場合か!」
中院が怒鳴るが、何吹く風で、皿に残っていた饅頭に手を伸ばす。
「まあ良いではないか。
中河内は、手に付いたあんこをぺろりと舐めとりながら言う。
「……この怪盗というのには、警察の方でも、大変、手を焼いているのですよ」
急に真面目な顔をして、中河内は花護男爵に言った。
「手を焼いている?」
「無論。面白おかしな新聞報道でもご存じかも知れませんが、このものは、華族の邸宅ばかりを狙い、高価な品を狙って行くのです。しかも……美々しい宝石ばかり」
「宝石……」
「こういう怪盗というのは、一定の美学のようなモノを持つことがあります。宝石のみを狙っていたこの怪盗が、ご令息を狙ったというのが、私には少々、意外な事のように思えてならないのです」
名探偵・中院が、告げる。
「あー、それは、うちの美優人が、宝石の如く美しいというのだろうな!」
兄・勝彦が、ぽんっと手を打って言う。
品行方正、冷静沈着な兄・勝彦だったが、美優人の事になると、
「ふむ。宝石の如くに弟君が美しいというのは、帝都の誰しもが認めることであろう。なにせ、道行く人々を失神させて行く、星を落とす美少年とまで謳われし弟君だからな!」
下河内が、ふかし饅頭を食べながら言う。
星を落とす美少年―――という二つ名には少々抵抗感はあるものの、美優人は、実際、そういった場面に頻繁に遭遇するため、下河内の言葉を否定出来ない。
「いや、しかし、貴文」と、中院が口を挟む。「こういう怪人というのは、美学があるからこそ、怪人なのだ。物語の義賊が、急に私利私欲の為に快楽殺人などをすれば、義賊から離れるだろう」
「正隆さんは、黙ってくれ。これは物語ではない」
ぎりぎりとにらみ合う二人の様子に、ため息が漏れそうになった時、勝彦が美優人にそっと教えてくれた。
「お二人は、大学のころからあの調子でね。……中院さんのほうが、奇蹟の8浪だから、大分年上で、下河内さんも、まったく頭が上がらないんだけどねぇ」
「奇蹟の8浪……」
兄は、帝国大学の法学部の出身だ。たしかに、8浪しても行きたいという人は居るだろうが、じっさい、どんどん不利になるため、8浪して入学する人は居ないだろう。
「それより、お二人。私の、可愛い弟の事を、ちゃんと考えてくださいよ」
勝彦の声で、二人はハッと我に返ったようだった。
「あー、すまん」
頭をぽりぽりとかきながら、中院が言う。
「正隆さんが、現実離れしたことを言うものだから、時間を浪費しましたよ……しかし、この、警視総監が参りましたからには、大船に乗ったつもりで居てください!」
「貴文が用意するのは、たいてい泥船だから、気を引き締めていきましょう」
中院がやんわりとして笑顔を浮かべる。
「なにを言うか、正隆さんっ!」
「事実だろ。だいたい、君は、ツメが甘いんだよ。なんで、自分の部下なりなんなり、警察を引きつれてこないんだい」
「くっ……私に直属の部下はいないっ!」
二人のやりとりを見ながら、美優人はため息を吐いた。
「兄様……」
「なんだい、美優人」
「どうしてこのお二人をここに呼んだんですか……?」
どう考えても、水と油のような二人が、協力して何かをするとは思えない。
「もちろん、世界で一番大事なお前を守る為だよ!」
兄の、混じりけのない、爽やかな笑顔を見た時、美優人は、(これは、かなり、ダメかもしれない)と思って、「頼りにして居ます」とだけ告げることにした。