目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第四十七話 もしも僕が死んだら

 昨日の夜からずっとコハルの元気がなかったから、今日は有給をとって病院に連れて行った。

 薬をもらって、コハルはひとまずはソファーの下の定位置で眠ってるけど、なんだか落ち着かない。


 一人で不安な気持ちで過ごしていたら、今日は波留も早めに帰ってきてくれた。


「コハルは?」


 家に帰ってくるなり、波留はただいまも言わずにコハルの容体を尋ねる。


「とりあえず大丈夫。大きな病気はなさそうだけど、年だからあちこち悪くなってても仕方ないって」


 先生から受けた説明をすると、波留はホッと息を吐く。


「コハルも老犬だから、いつ何があってもおかしくはないんだろうけどな」


 コハルがいなくなったら。いつかは確実に来る別れを想像するだけで泣きそうになる。なんでコハルは人間と同じぐらい生きられないんだ。


 寿命が長すぎても看取れないから、それはそれで問題があるのかもしれないけど。人間の平均寿命の半分も生きられないなんて、短すぎる。


 スヤスヤと気持ち良さそうに眠っているコハルを見ても、もし明日の朝起きて冷たくなってたらどうしようと心配になってしまうし、とにかく悪い想像しか出てこない。


「コハルも落ち着いてるし、大丈夫ですよ」

「そうだといいけど……」

「そんな顔してたら、コハルも心配しちゃいますよ」

「うん……」

「悪いことばかり考えないで。とにかくオレたちも今日は早めに休みましょう」

「波留、ごはんは?」

「車の中でおにぎり食べました。亜樹こそちゃんと食べました?」

「うん、僕もコンビニで買ったおにぎりだけど」

「少しでも食べられたなら良かった。さあ、もう寝ましょう。疲れてますよね」


 波留に促され、寝室に移動する。


 ◇


 電気を消して、おやすみと言い合ってから。

 ふと思い立ち、薄暗い中で波留に視線を向けた。


「もし僕が死んだら、波留は新しい人を見つけて、再婚してほしい」


 いきなりそんなことを言い出した僕を波留はポカンとした表情で見つめ、あんぐりと口を開ける。


「え? また何で急にそんな話を……」


 不思議そうにしていた波留がふいにハッとしたみたいな表情を浮かべ、口をつぐむ。


「え、待って。もしかして、何か大きな病気が見つかったとかそういう……」


 顔面蒼白がんめんそうはくって言葉がまさにぴったりなぐらいに、波留の顔色が悪くなっていく。


 ん、あれ。盛大に勘違いされている?


「違う、違う。そうじゃないよ。もしもの話」


 あわてて否定する。


「なんだ、良かった。あせった……」


 波留は胸に手を当てて、ホッと息を吐く。


 まさかそんな風に捉えられるなんて思ってなかったけど、悪いことしちゃったかな。


「何もないなら、そんな話しないでください。ただでさえ、コハルのことがあったばかりなのに。亜樹が死ぬなんて、考えたくもないです」

「でもさ、いつかはそうなるわけじゃん。だから、今から考えておいても悪くないのかなって」

「それはそうですけど……。オレたち、まだ三十代ですよ? さすがに早すぎませんか」


 そう言う波留は、やっぱり二十代前半にしか見えない。年をとるどころか、年々若返ってる気がするし、下手したら高校生に間違えられることさえあるんだから。

 僕は『二十代かと思った』とお世辞込みで初対面の人からたまに言われることはあっても、もう学生には絶対に間違えられない。


 最初から年の差があったならともかく、自分だけがどんどん老けていくってのは、かなりしんどいものがある。


 けど、どれだけ嫌でも僕には止めようがないし、そこはまあ仕方ないと受け入れるしかない。けど、受け入れたら、今度は自分が死んだ後の波留のことが心配になってきた。


「最近、時間が経つのが早いから。元気いっぱいだったコハルも、今ではほとんどの時間を寝て過ごすようになったし。今日みたいなこともたまにあるし。僕たちの三十代もたぶんあっという間に終わると思う」

「四十代でもまだ死ぬ年じゃないですよ」

「それは分からないよ」

「そんなこと言ったら、オレの方が先に死ぬ確率だってあるじゃないですか」

「それはない。波留の寿命がどのくらいかは分からないよ。だけど、たぶん僕が死んだ後の長い時間を波留が一人で過ごさないといけないと思うと、それだけで胸が痛くなる」

「今からそんな心配しないで。二人で過ごす時間だけ考えましょう」

「分かった、今はそうするよ。けど、僕がいなくなってからも、どうか幸せでいてほしいんだ」

「全然分かってないじゃないですか。とにかくオレは亜樹以外の人を好きになる気もありませんし、再婚する気もありませんから」


 少しだけ語気を荒げ、波留は早口で言い切った。


「怒るなよ、波留」


 波留のふわふわの髪を撫でる。


「そうやってまた年下扱いして。オレは亜樹の夫だって、分かってますか」

「波留が大学生じゃないのは分かってるし、ちゃんと夫だと思ってるよ。でも、……」

「でも?」


 波留は先を促しつつ、責めるような目で僕をじっとりと見つめた。


「今の波留とケンカすると、自分がすごく大人げなく感じる」

「どういう意味ですか」


 今まではムッとしていた波留の声が、困惑しているようなものに変わる。困らせてるんだろうなって思うけど、本当に僕がいなくなった後の波留が心配なんだ。


 ずっと元気でいてほしいけど、波留のお母さんも、コハルも、僕や波留よりも先にいなくなる確率がかなり高いだろうし。それで僕まで死んだら、波留は一人だ。


 もし、僕たちの間に子どもがいたら、波留を一人にしなくてすんだかな。


 心から愛し合っていても、何回波留に抱かれても、僕は波留の子どもを産むことができない。


 もう十年以上も前のことだ。今さら玲人を憎んだり、誰かと番う前に波留に出会えなかった運命を恨んだりなんてしない。恨むとしたら、浅はかな選択をした自分だけだ。


 過去の過ちも失敗も、全部受け入れているはずなのに、時々後悔することがある。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?