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第四十六話 こわいんだ

 翌週、木曜の夜。『残業で遅くなるから、先に寝てて』と波留から連絡があったから、簡単な夕食とシャワーとコハルの世話を済ませ、早めにベッドに入った。


 暗がりの中でボーッとスマホをいじっていたけど、だんだん眠たくなってくる。広いベッドで一人うとうとしていたら、ふいに後ろから手が回された。


「波留?」


 片手で目を擦り、もう片方の手を抱きしめてくる腕にそっと伸ばす。


「寝てました?」


 さらに距離を詰められ、いつもよりもボリュームを落とした波留の優しい声が耳元で囁かれる。


「寝ようとしてたけど、まだ起きてたから大丈夫」


 波留の腕の中でモゾモゾと体勢を変え、彼と向き合う。そうしたら、何も言わずにいきなり唇にキスしてきた。


「ごはん食べたの?」

「外で済ませてきました」

「シャワーは」

「さっき浴びました。着替えてるでしょ」


 波留の腕に触れてみたら、スーツじゃなくて、寝る時用のスウェットだった。


「本当だ」


 腕をさすりながら、スンスンと匂いを嗅ぐ。

 でも、やっぱり相変わらず何の匂いも感じられない。


 普通だったら、暗がりの中でもシャンプーの匂いで気づいたりするのかな。大学生の頃に受けたフェロモン除去手術の影響で、香りをほとんど感じられなくなった身としては、全く分からなかった。


 たまに不便はありつつ、今のところは日常生活にそこまで大きな支障が出ることはないから、特に問題はないけども。


「いつでも寝れるな」


 波留の腕をポンポンと叩いて、そのまま胸元に顔を寄せる。


「もう寝るの?」

「ん〜……、波留は?」


 僕の質問に答える前に、波留が何度かキスしてくる。

 そのままにしておいたら、僕を抱き寄せ、舌を入れてきた。


 ……波留、したいんだな。

 僕は今日は早上がりでそんなに疲れてないから、全然大丈夫だ。でも、波留は毎日残業続きで絶対疲れてるはずなのに。


「波留はいつまでも若いよな」


 ついそんな言葉が口から漏れてしまう。

 すると、僕のスウェットの下から手を入れようとしていた波留はピタリと動きを止めて、僕の顔をじっと見つめてくる。


「したくなかったんですか?」

「なんで?」

「セックスの前に言うってことは、そういうことなんじゃないですか?」

「あー……。そういうのじゃなくて」

「何?」


 本当のことは言いづらくて、言い淀む。

 さっきまで眠たくてぼんやりしていた頭が妙にさえてきた。目もだんだん慣れてきて、暗闇の中でも波留の顔がしっかり分かる。僕の答えをただじっと待っている顔。こういう時の波留は引かないんだよな。


「いや、さ。僕はもう三十超えたおじさんなのに、波留は学生みたいに若々しいなって最近思うことが多くて」


 ポツリとつぶやいた僕の声が静かな空間に響いて、余計に虚しく感じる。


「亜樹はオジサンなんかじゃないですよ。まだまだ若いじゃないですか」


 波留はすぐに否定してくれたけど、それで『そっか。それなら、良かった』で解決するようなら、こんなにうじうじ悩んでない。


「大体亜樹がオジサンなら、一つしか違わないオレだってそうです」

「波留の見た目が若すぎて、そうは見えないだろ」


 何を言われても、波留の見た目で言われてもなと思ってしまう。数年前まではこんなこと思ったこともなかったし、たった一つの年の差なんて全く気にしたこともなかったのに。


「年のわりには若く見られますけど、たぶん今だけですよ」


 そう、なのかな。

 もう少ししたら、波留も年相応の見た目になる?

 とてもそうは思えないんだけど。


「見た目だけじゃなくて、体力も全然違う気がする。僕は昔よりだいぶ疲れやすくなったけど、波留は大学生の頃と変わってない」

「それは、個人差がありますし」


 たしかに個人差はあるんだろう。

 見た目も、体力も、全部個人差と言ってしまったら、それまでだ。でも、そうじゃない気がするんだよ。


 あー……、ダメだ。

 こんなこと言っても困らせるだけだろうし、言いたくなかったけど、もう無理だ。僕一人じゃ抱えきれない。


「……。かっこ悪いこと言っていい?」

「もちろん」 


 波留は僕の背中を優しくさすって、言葉の続きを促す。

 言ってもいいものなのかまだ迷っていたものの、波留の温もりと手に励まされ、重い口を開く。


「こわいんだ」

「こわい?」

「波留がこのまま老けなくて、僕だけがどんどん歳をとっていったらと思うと、たまにすごくこわくなる」


 波留が何か言おうとして、口を開きかける。

 けれど、波留が言葉を発する前に、僕は先を続けた。


「十歳差ぐらいだったら、まだいいよ。そのぐらいの年の差なら、全然めずらしくもないし。でも、もっと離れて見えるようになったら? 年の離れた兄弟だったらまだいいけど、そのうち父と息子に見られたりして」

「まさか」

「それどころか、おじいちゃんと孫に見られるかもな」


 冗談めかして言うはずだったのに、全然上手く笑えなかった。


 波留は今と変わらない若々しい姿なのに、隣にいる僕はシワだらけのおじいちゃんになる。想像したら、ゾッとした。


 出会った時も僕の方が年上だったけど、どっちが年上かなんて見た目じゃ分からなかったし、二人とも年相応だったのに。二人で一緒に年をとっていけると思ったのに。


「今はまだ僕もどうにか波留の体力についていけてるけど、これからどんどんついていけなくなる」


 こんなこと言ったりして情けないし、面倒なやつだなって自分でも思うのに、止まらなかった。


「セックスの頻度も減るだろうし、セックス自体出来なくなるかもしれない。そうしたら、きっと波留は僕よりももっと若い人と一緒にいたくなるよ」

「別にオレたちセックスだけが目的で一緒にいるわけじゃないじゃないですか」


 波留は僕の頬を撫で、なだめるように言った。


「だけど、大事なことだろ」


 セックスぐらいって、これからずっと一緒に暮らすんだからもっと他に大事なことあるだろって。そう言う人も多いけど、そんな風におざなりにできることじゃないと思う。セックスの相性が合わないのが離婚理由にもなるぐらいなんだから。


「まあ……、そうですね」


 少し戸惑いつつも、結局波留も認めた。

 やっぱり、そうだよな。


「両方とも性欲ないならともかく、どっちかが我慢しなきゃいけない関係なんて長く続かないんだよ」


 波留だけが若いままだったら、きっとこれからセックスも、それ以外でもたくさんのことを我慢させるはず。

 波留から見捨てられるのも怖かったけど、波留に辛い思いをさせるのも嫌だった。


 波留とずっと一緒にいたいのに、離れるなんて考えられないのに。でもこのまま波留と一緒にいるのが怖い。


「うーん……。言いたいことは分かるんですけど……」


 波留は一つ息を吐き出してから、僕に顔を近づけた。


「でも、二人の願望が全部同じで、全く無理しなくてもいい関係ってあるんですか?」

「それは……」


 ある、のか?

 あるともないとも言えず、何も答えられない。

 そうしたら、代わりに波留が先を続けた。


「オレは、無理してでも亜樹と一緒にいたい」

「波留……」

「もし亜樹だけがおじいちゃんになって、セックスができなくなっても、毎日キスして、一緒に寝ましょう」

「それは、義務じゃなくて?」

「そうしたいだけです。他の人からはおじいちゃんと孫にしか見えなくても、僕たちは夫夫ですよね」


 波留におでこを寄せられ、心臓がぎゅっとなった。


 波留は、――。

 もしも僕だけが年をとっていって、いずれはおじいちゃんと孫にしか見えなくなっても、変わらず僕をパートナーとして愛してくれるのかな。


 そうさせちゃいけないし、そんなの間違ってると思うのに。でも、そうであってほしいと願う浅ましい自分が確かにいて、本当に嫌になる。


「何年経っても、変わらず愛してます。オレには亜樹だけなんです」


 もしもこの言葉を波留が何年後かに後悔して、僕を捨てたくなったとしても、やっぱり波留が好きだ。今は、波留と一緒にいたい。


「ありがとう、波留。もし波留が使い物にならなくなって、満足できなくなっても、僕も愛してるよ」

「オレはまだまだ使い物になりますし、元気ですよ」


 ちょっとムッとしたような口調で言い返してきた。

 さっきのはムキになって言い返すところじゃなくて、感動するところだったのに。


「知ってる」


 自分の性欲をアピールしてくる波留がおかしくなってしまって、ちょっと笑ってしまった。


「あの、さっきのセックスができなくなったらって話は、もっとずっと先の話なので……」


 波留は僕の手をぎゅっと握ってから、言葉の途中で視線を斜め上にそらす。その視線をもう一度戻してから、波留は言った。


「とりあえず、今日はしていいですか?」


 上目遣いで誘ってきた波留が可愛くて、胸がきゅっとなる。さっきまでグダグダ悩んでいたはずなのに、年の離れた年下夫も悪くないかもとか思ってしまった。波留は一つしか違わないから、実質同じ年みたいなものなのに。


「……うん、しよ」


 大きく両手を広げて、波留に抱きつく。

 すぐに波留も僕の背中に手を回し、顔を寄せる。それから、ゆっくりと僕を押し倒し、唇を重ねた。







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