それから、五年後。六月三週目の日曜日。
僕は教会の控え室で一人、本番を待っていた。
純白のタキシード、紺のベストとネクタイ。
それから、大学生の時に波留から贈られたチョーカーは、今も首にはめている。
今日は一生に一度の晴れ舞台だから、失敗はできない。
鏡の前で何度もネクタイを調整して、他におかしいところがないかもついでに確認する。
時間があるとずっとソワソワしてしまうし、落ち着かないから、いっそのこと早く始まってほしい。
鏡の中の自分を確認したり、無駄に歩き回ったりしていると、トントンとドアがノックされる。
「いいよ、入って」
個室に入ってきたのは、一生を共にする新郎――じゃなくて、断ち切りたい悪縁で結ばれた元番の玲人だった。
「お、亜樹〜。似合ってるじゃん」
玲人もスーツを着て、赤いネクタイをしめている。
だけど、断じて玲人は僕の結婚する相手じゃない。
「なんで玲人が来てるんだよ」
「そりゃ、亜樹が結婚するんだから。駆けつけないとだろ?」
答えになっていない答えを返し、玲人はバチっとウインクしてきた。あー、最悪。せっかくの晴れの日なのに、始まる前から気分が悪くなった。
腕を組み、ハァとため息をつく。
目線をそらすと、開けっぱなしのドアから、本当の新郎が困ったような顔でこちらをのぞいていた。
「波留」
僕と同じようなデザインの純白のタキシードだけど、波留の方はパールグレーのベストと蝶ネクタイを付けていた。灰色のケモ耳が生えた姿によく似合いそうだなと思いつつ、今の茶色の髪にも似合っている。
「似合ってる」
「亜樹も」
まずは波留のタキシード姿をほめたら、そう返ってきた。
波留と付き合いはじめてから、もう五年以上が経つ。
いまだに敬語が抜けなかったり、たまに先輩呼びに戻ったりするけど、普段は呼び捨てになった。
お互いに大人になって、変わったこともあるものの、波留を好きな気持ちはあの頃から変わらないままだ。
「ついに亜樹が結婚かー……。寂しくなるな」
僕たちを眺めながら腕を組み、玲人はうんうんと一人でうなずいていた。玲人を冷めた目で見てから、波留に視線を向ける。
「波留、玲人呼んだ?」
「呼んでないですね。亜樹が呼んだと思ってました」
「呼ぶわけない」
「親友の俺を呼ばないなんて、お前ら酷くね?」
波留と話してたのに、玲人が口を挟んできた。
「誰が親友だよ」
今日ぐらい笑顔で迎えたかったのに、玲人のせいでため息しか出てこない。
「親友どころか友達でもないし、赤の他人だからな。さっさと帰って」
「マジ? そういうこと言う?」
玲人の背を押して、無理矢理追い出そうとする。
大学生の時は、元番の玲人に近寄っただけで、いちいち欲情してた。けど、今は何ともない。
Ωとは言えないほどフェロモンの薄くなった僕は、もう元番だろうが関係ない。今の玲人は、僕にとってただの迷惑男だ。
足を突っぱねて抵抗してくる玲人に負けないよう、僕も全身の力を込め、個室から出て行ってもらおうとした。
「大人しくしてるなら、いてもいいんじゃないですか」
そんな僕たちを見かねたのか、波留が『まあまあ』となだめてくる。
「波留は甘すぎるんだよ。そうやって甘やかすから、こいつがつけあがる」
一時期は玲人を敵視していたのに、僕が玲人を気にしなくなったからか、今では波留はたまに玲人と飲みに行ったりしている。こんなやつ、相手しなくていいのに。
「そろそろよろしいでしょうか?」
控え室でワァワァ騒いでいたら、会場の人が呼びにきた。
「じゃあ、またあとでなー」
玲人は手を振って、係の人についていく。
本当に参加する気かよ。
あまり派手なのは僕も波留も好きじゃないから、式にはお互いの家族だけを呼んだ。
数少ない友達でさえ呼んでないのに、よりにもよって玲人が参列するのは不本意だ。こうなったら、玲人はいないものと思おう。玲人は、空気。教会の背景の一部。もしくは、彫刻。
「新郎様たちもご準備よろしいでしょうか?」
会場の人たちが僕たちの入場を促す。
波留と一緒に入場して、愛を誓い合って、誓いのキスをする。結婚式の流れを復習してから、波留と手を繋ぎ、教会のドアを開ける。
さっき自分に言い聞かせたかいもなく、教会の後ろの方の席に座った玲人にニヤついた笑顔で手を振られ、早速イラッとしてしまった。
だけど、カメラマンが入場から写真を撮っているのが見えて、笑顔をつくる。
ムッとした顔を写真に残したくないし、怒ったように入ってきたら、お母さんたちも驚かせてしまうだろう。
波留と手を繋ぎ直し、神父の元へと歩く。
途中、左側の端の方に座っていた親を見つけ、軽くうなずく。
お父さんもお母さんも、すでに瞳を潤ませていた。
αと番ったと思ったら、解除されて、しかもフェロモン除去手術まで受けた。
勝手なことばかりしてたから、お父さんお母さんにはずいぶん迷惑と心配をかけたと思うけど、ようやく安心させられてよかった。
神父による演説とみんなの歌があってから、いよいよ愛の誓いとキスだけとなった。
「誓います」
「誓います」
波留と愛を誓い合って、正面を向き合う。
波留は銀行、僕は保険会社にそれぞれ就職。大学を卒業してからはずっと同棲してたから、もう結婚してたようなものだった。でも波留からそろそろ結婚しようと言われた時はやっぱり嬉しかったし、波留と結婚できて、幸せだ。
見つめあってから、瞳を閉じて、波留からのキスを待つ。
ほどなくして、波留の唇が僕の唇と重なる。
これで、正真正銘波留と結婚したんだ。
目を開けて、参列席側に向き直る。
うちの親、玲人のお母さん、……あとおまけで玲人が僕たちの方を見ていた。
波留のお父さんも一応招待したんだけど、やっぱりきてくれてないみたいだな。波留のお父さんとは、結局一度も顔を合わせてない。
『一度も会ったことがない人を父とも思えないし、今さら父親ぶられても困る』とか波留は言ってたから、もう一生会わないままなのかな。僕は、会ってみたいんだけどな。
波留のお父さんの不在、玲人の乱入。
イレギュラーは多少あったものの、僕たちの結婚式は滞りなく終わった。