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第三十七話 愛してる

 退院した当日。待ち合わせをしている駅に立っていたら、波留が向こう側から歩いてくるのが見えた。


 波留も僕に気がついたみたいで、歩くペースが少し早くなる。


 波留の顔を見たら、衝動が抑えきれなかった。

 会わなかった期間は一週間ぐらいなのに、もう何年も会っていない気がする。


「波留!」


 周りにはたくさん人がいたけど、名前を呼んで、彼の胸に飛び込む。


 普段の僕はこういうことをあまりしないので、波留は少し驚いているみたいだった。戸惑いつつも、僕を抱き返してくれた。けれどすぐに僕から身体を離し、じっと僕を見つめる。


「どうかした?」


 波留がどうしてそんな反応なのかはなんとなく察しつつも、自分から核心をつくのが恥ずかしくて、はぐらかすようなことを言ってしまう。


「いや、いつもの匂いがしないような……?」


 一度言葉を止めてから、波留は僕の目をのぞきこむ。


「めちゃくちゃ強い香水とかつけてますか?」

「……つけてると思う?」


 早く種明かしをしたらいいのかもしれないけど、やっぱり言いづらくて、また曖昧な言い方をしまった。すると、波留は僕の首元に鼻を近づけ、フンフンと匂いを嗅ぐ。


「何の匂いもしません」


 しばらくして顔を上げ、僕から少し距離をとった波留は、不思議そうに首をひねっている。


「ここでする話じゃないから、まずは僕の家に行かない?」

「分かりました。でも、ちゃんと話してくださいね」


 念を押してきた波留を促し、徒歩で僕の家に移動する。


 ◇


 家についてから、十分。

 お茶を出したり、トイレに行ったり、どうにか引き延ばしていた。ローテーブルの正面に座っている波留は、その間ずっと僕を咎めるような目で見ていたけど。


「いつ話してくれるんですか?」


 けれど、しびれを切らしたらしい波留がついにそう切り出した。


 さすがにそろそろ言わないとダメか。

 意を決して、大きく息を吐く。


「実は、Ωフェロモンの除去手術を受けたんだ」

「え? それって……?」


 理解できなかったみたいで、波留は聞き返してきた。


「Ωとしてのフェロモンを減らす手術」

「そんな手術があるんですか?」


 波留は急に真顔になって、僕の目を見据えた。

 一つ頷いてから、医者から受けた説明を波留にも伝える。


「今の技術では、完全にはΩ性をなくすことはできないらしいけど……」


 一応フェロモン除去ということになっているけど、正しくはらしい。


 誰でも受けられるわけじゃなくて、正当な理由がある人しか手術はしないとか。現状では、本田くんみたいに『α以外のパートナーがいるΩ』か、僕のように『番から捨てられたΩ』ぐらいしか、ほとんど許可がおりないらしい。


 まあ、もしかしたらかなりお金を積めばどうにかなるのかもしれないけど、学生の僕たちには関係ない話だ。


「それでも、Ωとしての本能は今よりもずっと軽くなる」


 玲人と番にならなかったら、もっと早く波留に出会えてたら。僕たちはαとΩとして、深く愛しあえていたのかもしれない。


 本当は、波留と番いたかった。

 波留だけのΩになりたかった。


 だけど、今さら言ったって仕方ないし、もう波留と番えないなら、この方法が最善なはずだ。


「それなら、オレもその手術受けたいです」


 言うと思ってたけど、やっぱり予想通り波留はそう言った。


「αは無理なんだって」


 αとΩではフェロモンの仕組みが全く違うらしく、現状ではαの方のフェロモンを軽減する手術はないらしい。


 まあ、自分のフェロモンに困ってるのはαよりもΩの人の方が圧倒的に多いだろうし、Ωの手術研究の方が優先されてるということなんだろう。


「そうなんですか」


 残念そうに言ってから、波留はハッとしたように僕を見た。


「大学を休んでたのも、手術を受けてたからなんですか? 最近忙しくしてたのも?」

「心配させてごめん」

「というか、なんで言ってくれなかったんですか? 嫌われたんじゃないかって心配してたんですよ。言ってくれたら、手術代も負担できたし、オレもバイト増やせたし、お見舞いにもいけたし、付き添えたのに」

「だって波留、絶対心配するし、申し訳なくて。黙って手術受けて、怒ってる?」


『今からでも手術代出します』と波留が言ってきたのには聞こえないフリをして、話を進める。


「怒ってはないんですけど……、やっぱり怒ってます。勝手に手術受けるなんて、酷いですよ。体調は大丈夫なんですか?」


 怒ってると言いながらも、波留の声も、僕を見つめるその目も優しい。


「体調は大丈夫。麻酔も抜けたし、元気だよ」

「それなら良かった。いや、良くはないですよね。その手術って、リスクがあるんじゃないですか?」


 一瞬ホッとした表情を浮かべてから、波留はすぐに眉を下げた。さすがに何のリスクもない手術があるわけないってこと、波留も分かるよな。


「そうだな。一生発情期も来なくなるし、嗅覚も弱くなる。あと、就活もΩ枠での採用はなくなる」


 医者から伝え聞いたリスクを伝えたら、波留はガーンと効果音がつきそうなほどにショックを受けていた。


「大変じゃないですか………っ。ケーキやチョコレートの甘い匂いも、肉のおいしそうな匂いも、全部分からないなんて」

「全く分からなくなるわけじゃない」

「でも……! 就活でも、Ωとして優遇されることもないんですよ!?」

「優遇なんて必要ないよ。自力でがんばるから」


 大丈夫だと伝えても、波留はまだ心配そうだ。


「全部覚悟の上だよ。玲人の影響を少しでも減らして、波留を安心させたかった」

「オレのためだけに……?」


 僕が手術を受けた意図にようやく気がついたみたいで、波留は息をのんだ。


「僕が自分で決めたことだから、負担に感じないでほしい」

「負担になんて感じてません。ただ嬉しいだけです。亜樹先輩の身体が心配ですが、でも、」


 正面に座っていた波留は立ち上がり、僕の隣に座った。


「ありがとうございます」


 波留は僕の手を握り、顔を寄せてきた。


「負担がある手術を受けさせてごめんなさい。ありがとうございます。本当はそんなことさせたくなんてなかった。亜樹先輩がオレのためにそうしてくれて、すごく嬉しいです」


 身体に負担のかかる手術を受けさせたくないのに、嬉しいなんて。波留の言葉は一見矛盾してるようだけど、何が言いたいかは十分伝わってきた。


 そんな波留だから、僕も波留のために何かしたいと思ったんだ。


「愛してる、波留」


 そう伝えてから、波留の頬にキスをする。


「オレも愛してます。ずっと愛してる」


 唇を一瞬だけ重ね、波留は僕を強く抱きしめる。


 いつもは匂ってくる波留の香りが、今日はもう香ってこない。獣の匂いも、αの匂いも、何も感じない。


 内側から沸きたつ匂いは感じなくても、やっぱり波留の唇も、腕も好きだ。波留の全部が好き。Ωの本能なんてなくても、波留の腕の中にいると幸せだ。

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