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第三十四話 今だけは

 大学から、僕の家までの数分間。

 電車の中でも、道でもほとんど会話がないまま、僕の家に着いてしまう。


 波留はそのまま自分の家に帰るのかと思ったけど、なぜか僕の家の中まで着いてきた。リビングにカバンを置いてから、後ろを振り返る。


「波留。あの、さっきのは」


 言葉の途中で波留が顔を近づけてきて、言い訳をしようとしていた唇を塞がれた。


「んっ。波留、待って。話を」


 『聞いて』と言おうとする前に、また唇を塞がれる。押し返そうとした手もぎゅっと握られ、わずかな抵抗の術も奪われてしまった。


 仕方なく波留の手を握り返し、目を開ける。すると、茶色から灰色に変わった波留の頭の上には、モフモフの耳が生えていた。


 最近は耳としっぽが生えてくることも少なくなって、発情期でさえも人間の姿を保っていられるほど、落ち着いていたのに。だいぶ上手くなったはずのコントロールができないほど、感情が乱れてるんだ。


 耳が生えてると波留に伝えようとして、口をつぐむ。

 自分で気がついていないみたいだし、教えたら余計に落ち込みそうだ。


「何でもないって分かってます」

「大丈夫です」

「何も心配してない」


 僕が口を挟む暇もないぐらいに、波留は同じ言葉を繰り返す。僕に言っているというよりも、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。


 本当は、大丈夫なんかじゃないくせに。

 だけど、『気にしてる』『嫌だ』『大丈夫じゃない』と言ったら、僕が気にすると思ってるから、波留は言わないだけ。耳としっぽが生えた今の姿を見たら、それぐらい分かるよ。


 長めのキスをしてから、波留は僕の手をもう一度握り直した。


「好きです」

「僕も好きだよ。僕の彼氏は、波留だけだ」

「分かってます」


 波留はまたそう言って、唇を押し当ててくる。

 キスが深くなってきて、波留の背中に手を回す。そうしたら、そのまま波留に抱き上げられた。


 腕の中に抱えて僕を運び、ベッドにおろす。

 それから、すぐに覆い被さってきた。


 波留を安心させてあげられるようなことを言えたらいいんだけど、残念ながら上手い言葉が何も浮かんでこない。


 僕にできるのは、ただ波留を受け入れることだけだった。

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