「さっきの話だけど、気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
「じゃあ、」
波留の顔色がパッと明るくなる。
近くには、知り合いはもちろん人の気配もなかった。
けれど、念のために小声で囁く。
「でも、僕は波留の番にはなれない」
「オレじゃ、亜樹先輩の番になれませんか?」
さっきまで嬉しそうにしていた波留の顔色がとたんに悪くなる。本当に分かりやすいやつ。こういう素直なところが可愛いし、波留はいい人だ。一年前に告白されていたら、たぶん僕は波留を受け入れていたと思う。
「波留がダメとかじゃなくて、僕はもう番は作れないんだ」
「それは、どういう意味ですか?」
意を決して伝えたけど、波留はあまり良く分かってないみたいだった。普通は番を解除されるΩがいるなんて考えないだろうし、ピンときてないのかもな。
さっき確認したはずだけど、もう一度辺りに
「亜樹先輩? どうかしたんですか?」
慎重に周囲の様子を伺っていたら、波留は僕を不思議そうに見つめていた。苦笑いを返してから、いつもつけているチョーカーをそっと外す。それから、波留に背中を向けた。
「それ……」
波留が息を呑んだ音が聞こえた。
波留は僕の首を見て、僕が過去に番持ちだったことを察したはずだ。チョーカーで隠していたうなじには、未だに玲人に噛まれた跡が生々しく残っているから。
「これで分かったよな」
言いながら、外したチョーカーをもう一度つける。
その間、ずっと波留の視線を首筋の辺りにヒシヒシと感じ、余計にいたたまれない気分になった。
一言も発さず、波留はただ目を見開き、じっと僕を見つめている。『ガッカリしました。他のΩを探します』でも『悲惨ですね』でも良い。とにかく何でもいいから、何か言ってほしい。そうでないと、とんでもない自虐の言葉を吐いてしまいそうだ。
「波留と番になりたくないんじゃなくて、誰とも番になれないんだよ。番契約したαから捨てられたから」
気まずい空気に耐えられなくなり、僕は苦笑いを溢す。
「引いてる?」
「そうじゃないんです。ただびっくりして……。いつか亜樹先輩と番になりたいと思ってたから……」
波留は視線をさまよわせてから、ためらいがちに言う。
「ごめんな。僕みたいに面倒な事情持ちのΩじゃなくて、他の人を探した方がいいよ」
「他の人なんていません。亜樹先輩がいいんです」
オロオロしていた波留がしっかりと僕を見つめ、はっきりと言い切った。
玲人と出会う前の僕なら、波留の言葉を何の疑いもなく信じることができたと思う。だけど、今の僕にはもう無理だ。
「今はそう思っていても、数ヶ月後には気が変わってる」
玲人みたいに。と心の中で密かに付け加える。
玲人じゃなくたって、αなら簡単にΩを切れる立場だ。
嫌になったら捨てて、自分は次のΩを探せばいいだけなんだから。
「どうしてそんなことが分かるんですか」
「分かるんだ。知ってるから」
波留は、玲人じゃないって分かってる。
波留は、波留だ。玲人みたいな結末にはならないかもしれない。分かっていても、もう僕は『もしも』を信じられないんだ。波留が望んでくれた番にだって、一生なれないんだから。
「僕にはもう関わらない方がいいよ」
それだけ言って、僕は波留を残し、その場から去る。
昨日、波留と繋がったとき、『違う』と思ってしまった。僕の番の玲人じゃない、と。
玲人なんか好きじゃないのに。
それでも僕は、一生玲人に縛り続けなければいけない。
皮肉なことに、波留――玲人以外のαに抱かれて、それがはっきりしてしまった。