「んん……?」
目を覚ますと、いきなり身体に走った違和感に首をひねる。
頭はズキズキするし、うなじの辺りもなんだかものすごく痛いし、とにかく全身が痛い。それにここ、……どこ?
明らかにホテルの部屋のものではない木の壁を見ながら、反対側に寝返りを打つ。すると、隣には、まだ眠っている上半身裸の波留がいた。――え。
「はる……っ」
両手で自分の口を塞ぎ、思わず出そうになった声をのみこむ。あー……、そっか。そういえば、昨日波留と……。
だんだんと何があったのか思い出してきて、頭を抱えたくなってきた。……波留が起きたら、どうしよう。気まずすぎるな。
起きませんようにと祈りながら、もう一度波留を見る。昨夜はあったモフモフの耳もしっぽもなくなっているし、髪色も灰色から茶髪に戻っていた。
昨夜のことを思うと頭が痛くなるけど、とりあえずホテルには帰れる状態に戻ったみたいだな。
ひとまず散らばっていた服をかき集め、急いでそれを着る。服は全部あったけど、昨日持っていたはずのスマホが見つからない。どこかに落としたのかな。
スマホを探しているうちに、波留が目を覚ました。
「おはよう」
動揺しているのがバレても、余計気まずいよな。
僕はどうにか平静を装い、波留に声をかける。
「おはよう……、ございます……?」
波留はまだ眠そうな顔をしながらも、挨拶を返してくれた。
「どこかにスマホ落としたみたいなんだ。探すの手伝ってもらってもいい?」
「はい。それはいいんですけど、あの、昨日って……」
「早く戻らないと。教授に見つかったら、また単位落とすから」
「はぁ、でも、」
「さすがに三回も同じ講義受けたくない」
波留に口を挟む隙を与えないよう、早口でまくしたてる。波留にも服を着るように促し、僕たちはコテージをそっと出た。
外はいい天気で、さわやかな気候だったけど、僕たちの空気は重い。
スマホを探すために来た道を辿りながらも、会話はほとんどなかった。ずっと下を見ていたけど、波留がチラチラ僕を見ているのが分かってしまって、居心地が悪い。
頼むから今は話しかけないで。そう、思ってたのに。
波留が意を決したようにこちらを向いた時は、思わずため息をつきたくなってしまった。
「すみませんでした」
足を止めて、波留は頭を下げる。
何について謝っているのかなんて、言われなくても分かる。どう考えたって、昨日の件だ。
一度波留に視線をやってから、僕はそのまま足を進める。僕が離れていったのに気がついたのか、波留もすぐに追いかけてきた。
「やっぱり怒ってますよね」
「怒ってない。波留のせいじゃないし」
「オレのせいです」
「事故みたいなものだから、気にしなくてもいい」
なるべく距離を取りたくて早足で歩いても、波留も歩くスピードを早めてきて、一向に距離が広がらない。
「そういうわけにはいかないですよ。ちゃんと話しましょう」
何を話すことがあるんだ。
真剣に話したところで何も解決しないし、αとΩなら、あんなのよくあることなのに。いや、そんなにしょっちゅうはないかもしれないけど。でも、とにかくあり得ることだし、後からとやかく言うことでもない――はず。と、僕は自分に言い聞かせる。
「必要ないよ。謝られると余計気まずいし、もうこの話はおしまいにしよう」
「……わかりました」
明らかに納得がいってなさそうな言い方をしつつも、波留はぐっと口をつぐむ。
まだ何か言いたげにしている波留と視線を合わせないようにして、下を見ながら歩く。
「波留はαなの?」
「……はい。言えなくてすみません」
聞いてみたら、明らかに元気のない声が返ってくる。
「僕が勝手に誤解してただけだから。言い出しづらかったんだよな」
顔を上げ、一瞬だけ波留の方を見る。
波留は、主人に怒られた犬みたいにしょんぼりしていた。波留が頷いたのを確認してから、また視線をそらす。
「αは嫌いだって、言ってたから……。亜樹先輩に嫌われたくなかったんです」
波留があまりにも気落ちしているから、僕の方が申し訳なくなってきた。
何を言おうか少し迷って、口を開く。
「初めて波留とちゃんと話したとき、波留からαの匂いが全くしなかったんだけど。あれはどうしてだろう」
波留に話しかけているというよりも、一人言みたいになってしまう。
波留がαなのはもう確定だとしても、どうしてもあの時のことが引っかかっていた。金髪のαに絡まれているのを助けてもらったとき、かなり近づいたにも関わらず、波留からはαの匂いが全くしなかった。
あれだけ近づいたら、普通はうっすらとでも匂いがするはずなのに。
「オレが普通の人間ではないから……かも?」
僕の様子を伺いながら、波留が遠慮がちに言う。
「あの時は発情してたわけじゃないですし、αの匂いよりも獣の匂いの方が強かったんじゃないですか?」
「あー……。それで、今回は発情してたから、αの匂いの方が濃かった?」
「たぶん」
以前匂いを嗅いだときは、モフ耳としっぽが生えていたけど、発情はしてなかった。だから、αの匂いが波留独特の匂いでかき消された?
なんとなく把握したけど、波留は自分のことなのにずっと曖昧な言い方をしている。
「昨夜、何があったの?」
「実は、よく覚えてなくて……。記憶が途切れ途切れなんです」
波留はうつむき、ため息まじりに言葉を吐き出す。
「ずっと我慢してたんですけど、肉が食べたくて頭がおかしくなりそうでした。いつもよりも敏感になっていたところに、急に変な甘い匂いが漂ってきて……。そしたら、耳としっぽが生えたんです」
変な匂いっていうのは、やっぱり本田くんなのかな。
他の匂いの可能性も考えられるけど……。
波留の話を聞きながら、色々な可能性を考えてみる。考えてはみても、僕には匂いの元は発情期の本田くんぐらいしか思いつかない。
「とにかくホテルから離れなきゃって思って、外に出たことだけは覚えますが、そこからはあまり……」
そう言って、波留は罰が悪そうにうつむいた。
ほとんど覚えてないんじゃないか。分かったことと言えば、一つ。波留には、定期的に肉を与えないといけない。
しばらく波留を見つめてから、僕はまた歩き出す。
「だったら、仕方ないよ。不可抗力だし、気にしなくていい」
「ても、やっぱり気にしないわけにはいきませんよ。だって、」
「あった」
僕が道の脇に落ちていたスマホを見つけたのと波留が何か言いかけたのは、ほぼ同時だった。