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第十二話 αとΩ

 波留にほぼ抱きかかえられるようにして連れてこられた先には、寂れたコテージがいくつかあった。僕たちが泊まっているホテルからそう遠くない距離にあるココは、たしか二年ほど前に廃業になった元宿泊施設だった――と教授から昨年聞いたような気がする。


 小さなコテージの中に連れ込んでから、ようやく波留は僕の腕を放した。暗くてあまりよく見えないけど、たぶん布団も何も置かれていない。


 こんなところに連れてきて、波留は何がしたいんだ。……本当はしたいことはなんとなく分かるけど、あまり考えたくないというか。


「波留……?」


 突っ立っている波留の方をおそるおそる見て、彼に声をかける。


「亜樹先輩……ごめんなさい……。オレ、自分が何をしているのか……。衝動が抑えきれなくて……」


 波留は両手で顔を覆って、フルフルと首を横に振っていた。波留はほとんど自分を失いかけていたものの、ギリギリのところでまだ理性を保っているみたいだ。


 どうして波留が発情しているのかは分からないけど。今のうちに、波留から離れた方が賢いのかもしれない。そうしなかったら、Ωの僕はいつαの波留に襲われてもおかしくない。


 でも、今の不安定な状態の波留を一人にするなんて、やっぱりできない。


「大丈夫だよ、波留」

「大丈夫じゃ、ないんです……っ」

「どうして?」

「知り合いがたくさんいるところで、こんな姿に……っ」

「今の姿を他人に見られたくないなら、ここで少し休んでいこう。僕も一緒にいるから」

「一緒にいてほしいです。先輩と一緒にいたい。だけど、亜樹先輩にだって、何をするか……っ」


 波留は何度も首を横に振って、小さく震えていた。


 もし波留が本田くん――なのか誰か分からないけど、とにかく発情期のΩにつられたとしたら、彼から離したら落ち着くかもしれない。幸いにも、僕は薬を飲んでいるし。


 心なしか、波留のαの匂いもさっきよりは薄まってきた気がする。


「僕は大丈夫だから。心配しないで」


 そう言って、波留の背中にそっと触れる。

 瞬間、薄くなっていたαの匂いがブワリと濃くなった。


 ――あ。まずい。これは……。

 身体の中の熱が一気に上がる。薬で無理矢理抑えていたはずの欲に火がついたのが自分でも分かった。


「う、あ……」


 手で口を覆い、急いで波留から離れる。

 けれど、もう遅かった。


 波留は僕の手を掴み、木の床の上に押し倒した。そのまま覆い被さってきて、僕の頭の横に手をつく。

 暗闇の中で、波留の金色の瞳だけがギラギラと輝いていた。


「……波留」

「はー……っ、はー……っ」


 小さく名前を呼んでも何の反応も示さず、異様に荒い波留の息が顔にかかる。


 αがこうなったら、何をしても無駄だって僕はよく知っている。それに、僕も、もう子宮が疼いて仕方ない。αがほしい。友達をこんな目で見たくないのに。


「波留」

「波留……」

「はる」


 最後の望みをかけて、何度か波留の名前を呼んでみても、やっぱり波留はギラギラした瞳で僕を見つめるだけ。


 ふいに波留が大きく口を開け、尖った歯が光るのが見えた。口を開けたまま、波留が顔を近づけてくる。そして、――。


 「い……っ」


 僕のチョーカーの上から、波留は思いきり歯を立てた。

 チョーカーをつけていても、それさえも突き破ってきそうなくらいに鋭い歯。覚えのある痛みが首に走り、思わず溢れそうになった涙をこらえる。


 もしも玲人との過去がなかったら、今ので波留のΩにされていたかもしれない。チョーカーを突き破るなんて普通だったらありえないのに、そう思ってしまうほどに波留の牙を鋭かった。


「ん、くっ……」


 身をよじって逃れようとする僕をおさえつけ、波留はチョーカーをガブガブと噛み続ける。


 このまま食いちぎられそうだ。

 てっきり発情してるのかなと思ってたけど、もしかして僕を食糧として見てる?


 それはないだろうと思いつつも、一瞬そんな心配をしてしまった。けれど、波留の手が服の下から忍び込んできて、一気にそちらに意識がもっていかれる。


「あ……」


 勝手に漏れ出た自分の声がやけに甘ったるくて、恥ずかしさが込み上げてきた。


 波留は僕の腹を撫でながら、唇を押しつけ、いつもよりも高めの声しか出ない僕の唇を塞いだ。すぐに温かい舌が唇を割り、無遠慮に口の中に侵入してくる。


「ん……っ」


 食べられてしまいそうなキスだ。普段の穏やかな波留からはかけ離れた獣みたいなキス。波留には犬みたいな耳やしっぽも生えているけど、ほとんど人間に近いのに。やっぱり波留は僕たちと同じ人間じゃないんだ。


 獣のようなαに求められて嬉しいと思ってしまう僕は、疑いようもなくΩだ。


 友達だとか、後輩だとか、獣だとか、もうどうでもいい。目の前のαがほしい。波留に抱かれたい。


 自分の中のΩがもう抑えきれなくて、僕は波留に手を伸ばす。


 求められるままに、僕は波留に身を任せた。


 僕を抱きながら、波留は僕のうなじに何度も何度も歯を立てる。その度、僕は胸がヒリヒリと痛んだ。


 だって、そんなことをしても、何の意味もないのに。

 チョーカーなんてしてなくたって、もう僕は誰の番にもなれないんだ。


 この噛み跡がある限り、僕は玲人のΩだから。

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