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第十話 逃れられない

 合宿三日目の夜。

 昨日と同じ場所で会う約束をしていた波留はそこにはいなくて、代わりに泣きじゃくってる男子がいた。


 波留は、どうしたんだろう。


「大丈夫?」


 波留の行方が気にはなりつつ、さすがに放っておけなくて、泣いている彼に声をかける。


 ゆっくりとあげた顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 本田くんだったかな。

 挨拶ぐらいしかしたことないけど、彼も僕と同じ二年生。おとなしくて真面目な子で、いつも最前列で講義を受けている。


「何かあったの?」

「おれ、Ωなんだけど、今まで発情期が来たことがなかったんだ」


 グスグス鼻をすすりながらも、本田くんは話し始めた。


 僕の発情期が初めて来たのは、高校一年生の時だった。もっと早い人だと、中学生でも来てる人もいると聞く。

 大学生になっても発情期が一度も来たことがないΩは聞いたことがないけど、Ω自体の数が少ないし、そういう人もいるのかも。


「そうなんだ」


 少し驚きつつも、そこは本題ではない気がしたので、軽く相槌をうつだけに留めておく。


「もう一生発情期が来ないかもしれないって言われてたのに、さっき初めての発情期が来た」

「え」

「そしたら、急にαの友達に襲われて……」


 ……友達、か。

 ただでさえ襲われるのなんてショックなのに、友達だったら余計にきついだろうな。


「それで、その、どうなったの?」

「どうにか逃げてきたけど、ただショックで、これからどうしたらいいのか分からないんだ……」


 相当強いショックを受けたみたいで、本田くんは何度も首を横に振って、涙を流している。


 番のいないΩは、守ってくれる人がいないし、発情期には不特定多数のαを誘惑するフェロモンを出してしまうから、ターゲットにされやすい。αだって襲いたくて襲ってるわけじゃなくて、Ωのフェロモンには抗えないんだ。


 もちろん、発情期でもなんでもない時に襲ってくるヤツは、ただの犯罪者でしかない。ただ、正直、Ωの発情期だけは、……。襲いたくもないのに襲わないといけないαの方も被害者かもしれない。


 だから、お互いを守るためにも、本当は、番のいないΩの発情期は家に引きこもってた方がいいんだけど。予想できないタイミングで発情期が来る場合もあるから、そう上手くはいかない。


 僕も、初めて発情期が来た時は、そうだった。

 本田くんみたいに激しく動揺して、もう二度と外なんか出たくないって思ったっけ。


 ほとんど話したこともないのに、あの時の自分を見ているようで放っておけず、なんとかして助けてあげたくなった。


「ちょっと待ってて」


 そう言い残し、いったん部屋に戻る。

 リュックから錠剤を持ち出して、もう一度本田くんのところへ向かった。


「あげる」


 手のひらに錠剤を五粒のせて、本田くんに差し出す。


「なに? これ」


 本田くんは受け取ろうとはせず、キョトンとしている。


「発情期を抑える薬。ちゃんと病院で処方してもらった薬だよ」

「そんなのあるんだ」

「本当は発情期が来る前に飲む薬なんだけど、始まったばかりなら、もしかしたら効果があるかも」

「いいの?」

「本当は人にあげちゃダメなんだけど、非常事態だから」


 法律も、警察も、Ωの発情期に限っては対応してくれない。だから、自分たちの身は、自分たちで守るしかないんだ。


「あと、首を守るようなアクセサリーとかつけた方がいいよ。無理矢理にでもαに噛まれたら、一生が台無しになるから」


 一度も発情期が来たことないなら仕方ないかもしれないけど、無防備過ぎる本田くんが気になって、ついお節介を焼いてしまう。


「百瀬くんも、それでいつもチョーカーつけてるんだね」


 少し泣き止んだらしい本田くんの視線が僕の首元に泊まる。家にいる時以外は、いつでも欠かさずつけているソレ。


「――うん」


 チョーカーにそっと触れて、わずかに頷く。


 今コレをつけている理由は、玲人の噛み跡を隠すため。

 第三者の憶測でしかない噂を、確定にしないため。


 本当のことも言えず、本田くんの誤解をそのままにしておく。


「話を聞いてくれてありがとう、優しいんだね」


 本田くんは目元に溜まった涙を手で拭い、にっこりと笑みを浮かべた。ようやく本田くんから笑顔を見れて、ホッとする。


「大したことはしてないよ。同じΩとして、心配だったから」

「百瀬くんが、αだったらよかったのに」


 ボソリとつぶやいた彼の言葉に、衝撃を受けてしまった。


 これだけ嫌な思いをしても、彼はそれでもαが良いんだ。Ωというだけで対象外で、αじゃないと好きにならないと思ってる。そっか、大学二年生になって初めて発情期を迎えたΩ性の薄い彼でも、そう思うんだ。


 きっと、僕も彼と同じ。

 αが嫌いなのに、今もαの玲人を求めている。


 僕たちは、どこまでいってもΩの血から逃れられない。

 αの呪縛から逃れられない。


 αだとかΩだとか、そんなの関係なく人を好きになりたいのに。


「分かる」


 苦笑いを返しておいた。


 ◇


 本田くんが部屋に戻ってからも、僕はそこで波留を待ち続けていた。だけど、三十分以上過ぎても、波留は来なかった。


 スマホをタップしても、何の連絡も来ていない。

 画面に表示されている時間は、21時50分。


 波留は、本当にどこに行ったんだろう。

 部屋で休んでるならそれでいいけど、そうじゃないのなら、心配だ。もしどこかで倒れたりしていたら……。


 その可能性は低いとは思いつつ、不安が拭いきれず、電話をかけてみる。

 けれど、何度かかけてみても、呼び出し音がなるだけで、波留が出る気配はない。


 いよいよ本格的に心配になってきて、波留の部屋まで行ってみる。そこにいたのは波留と同室の子だけで、『フラリとどこかに行って、それから戻ってきていない』と言われた。


 こんな時間に、一人で外へ?


 考えすぎなのかもしれない。

 ただコンビニに何かを買いに行っただけなのもしれない。

 約束を忘れてしまっただけなのかもしれない。


 そこまで考えて、やっぱりおかしいと思い至る。

 波留が無断で約束を破るなんてありえない。


 ――やっぱり波留を探しに行こう。

 22時過ぎ、僕は一人ホテルを抜け出した。

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