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第八話 ゴールの見えない恋

 大学前駅の電車に乗って、十分。

 三駅離れたところに、僕の下宿先があった。波留のアパートは、もう一駅先らしい。


 普段なら波留と帰りが一緒になると、いつも話が弾む。けれど今日に限っては、どちらも話しかけようとはしなかった。


 波留が何を考えているのかは分からないけど、僕の頭の中は玲人でいっぱいだった。もちろんあいつが恋しいわけじゃなくて、その逆。玲人は、いつだって僕を苛立たせる。本当に、――嫌いだ。


 電車の窓から見える景色を見つめながらも、浮かんでくるのは玲人のことばかり。


「さっきの人、元彼さんですか?」


 ふいに話しかけられ、波留の方に視線をやる。

 波留は、どことなく気まずそうにしていた。


 なかなか鋭いな。いきなり見破られていたことに焦って、僕は何も答えられない。


「親しそうに見えたので、彼氏かなとも思ったんですが。亜樹先輩付き合っている人いないって言ってたから、じゃあ元彼さんかなって」

「今は全く親しくはないし、赤の他人だよ」


 どこをどう見たら親しそうに見えるのか分からないが、とにかく今の玲人と僕は無関係の他人だ。事実をありのままに伝えたのに、なぜか波留は腑に落ちないような顔をしている。


「今は……。ということは、やっぱり元彼ですか?」

「まあ、そんな感じ」


 変にごまかすのも余計に怪しい気がして、仕方なく肯定する。厳密に言うと元彼ではなく、元番だけど。


「そう、なんですか」


 ガーンと効果音がつきそうなほど、波留は分かりやすくショックを受けていた。今は生えていないはずの耳がシュンと垂れ下がっている幻覚まで見えてくる。


「もしかして、今も好きなんですか?」

「まさか」


 僕は即座に首を横に振り、全否定した。

 強がりでもなんでもなくて、玲人への気持ちは一欠片もない。だけど、――。


「ただ、忘れられないだけ」


 今も残る玲人の噛み跡を隠したチョーカーにそっと手をやる。痛くないはずなのに、時々ジクジクと痛む気がするソコ。


 もう玲人が好きだという気持ちはない。未練も一切ない。

 あるとしたら、一生好きでもない男に縛られ続けるという強烈な呪いだけ。


 玲人の痕跡も、思い出も、跡形なく消し去りたいのに。

 僕の中のΩの血と玲人の噛み跡がそうはさせてくれない。僕は、いつだって、世界で一番嫌いな男に抱かれたくて仕方ないんだ。


「オレは一度も付き合ったことがないので分かりませんが、やっぱり元彼となると思い出とかありますよね」


 僕の顔色を伺いながら、波留は遠慮がちに言った。

 盛大に勘違いしてる気がするけど、そのままにしておこう。波留も僕の噂はなんとなく聞いてるかもしれないけど、知らないなら知らないでいてほしい。


「波留は良い恋愛をして、幸せな思い出をたくさん作って」

「?」

「僕は、……出来なかったから」

「亜樹先輩だって、まだまだこれからじゃないですか」


 不思議そうな表情を浮かべている波留の意見は、ごくまっとうなものだと思う。だけど僕は、どう返事をしたらいいのか分からなかった。


 だって、この先もう誰とも付き合える気がなかったから。

 こんないわくつきのΩ、誰だって途中で嫌になるだろうし。何より自分自身がゴールの見えない恋愛をしたくない。誰かを好きになって、傷つくのが怖い。


「オレの方こそ、誰かと付き合うのは難しそうです」


 僕が黙り込んでいた代わりに、波留が話を再び再開させた。


「どうして?」

「そもそもオレの体質を受け入れてくれる人じゃないと無理だし、それに……」

「うん」

「好きな人じゃないと、付き合いたくないです」


 少しはにかみながら、波留は僕の方をチラリと見る。

 一瞬だけ、周りにいる人の声も電車がガタゴトと走る音も全て聞こえなくなって、時間が止まったような気がした。


「オレ、亜樹先輩が――」

「波留のそういうところ、すごく良いと思う。波留だったら、好きな人ときっと付き合えるよ」


 自惚れじゃなければ、きっと波留は今僕に告白しようとしている。続きの言葉を察知して、言われないように先手を打っておく。


 波留が切なそうにぐっと唇を噛み締めて、それからもう一度口を開いた。


「もしオレが亜樹先輩を好きだって言ったら、どうしますか」


 もしも、波留から好きだと言われたら。

 少しだけ考えてから、波留に笑いかける。


「嬉しいよ」

「じゃあ、」

「でも、波留とは友達でいたいかな」

「友達、ですか」


 隠す気がないぐらいに波留はガッカリしてしまい、モフ耳を下げている幻がまた見える。


 自分がすごく悪いことをしたような気がして、良心が痛む。


 波留を傷つけたいわけじゃなかった。

 波留はいい子だと思うし、友達としては好きだ。もしも玲人と番になる前に波留と出会っていたら、彼の気持ちを受け入れてくれたかもしれない。

 だけど、今はもう無理だ。


「亜樹先輩は、元彼さんみたいな人がタイプなんですか」

「いや、全然」


 好みのタイプなんて考えたこともなかったけど、少なくとも玲人が僕のタイプではないことだけは間違いない。


 ここまではっきりと否定すると思っていなかったのか、波留は少し戸惑っていた。


「え、と? じゃあ、どんな人がタイプなのか教えてください」

「どんな人って言われても……」

「オレ、亜樹先輩の好みの男になれるようにがんばります」


 波留は僕をまっすぐ見つめ、ストレートに想いを伝えてくれた。純粋で素直な波留があまりにまぶし過ぎて、また胸が痛む。


 そうじゃない。そうじゃないんだ、波留。

 波留がダメなんじゃなくて、僕がダメなんだよ。


 もしもこの先誰かを好きになったとしても、僕の身体は一生玲人しか求めてくれないんだ。たとえ誰かに抱かれても、きっと玲人を思い出してしまう。

 あんなヤツ、大嫌いなのに。それなのに、今この瞬間も、僕は玲人を忘れられないんだ。

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