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第七話 元・番

 五月の最終週の金曜日。この曜日だけは、五限目を入れていた。

 金曜以外の平日は、三限か四限までしか講義を入れていない。いつもよりも少し帰りが遅くなったけど、今日はバイトも休みだから、特にやることもなかった。

 この後何をしようか。ぼんやりと考えごとをしながら、三号棟を降りていた。


「よっ」


 聞き覚えのある声で話しかけられるのとほぼ同時に、誰かにポンと右肩を叩かれた。


 どうかアイツじゃありませんように。

 心の中で祈りながら、右に視線を向ける。


「偶然だな、亜樹」


 見事に嫌な予感が的中。

 赤く染めたショートウルフが視界に入った瞬間、僕は顔を覆いたくなった。

 顔立ちは整っていると言えなくもないけど、ニヤけた口元が若干だらしなさを感じさせる。ゆるい黒のTシャツの首元には、シルバーのチェーン。耳にも、いくつものピアスをつけていた。

 見るからにチャラそうなこの男は、僕の元・番の本郷玲人だった。


 玲人には気まずいという感情が欠落してるのか、番を解除した後も普通に話しかけてくる。


 本当に偶然なのかどうかも怪しいところだが、とにかく声をかけてきたのが玲人だと分かった以上、もう用はない。


 無言で顔を背け、足を進めようとした。


「亜樹? おい、亜樹〜。無視するなよ」


 そのまま通り過ぎたかったのに。玲人が馴れ馴れしく肩を組んできて、歩行を妨害されてしまう。


 最悪だ。周りからもジロジロ見られているような気がするし。だから、いつまでも噂がなくならないんだよ。


「大学で会っても話しかけないって約束だったはずだよ」


 玲人の腕を振り払って、ハァとため息をつく。

 三号棟を抜け、早足で門の方に向かう。すると、最悪なことに玲人も追いかけてきた。注目を集めているし、本当にやめてほしい。


「ごめんごめん。だけど、亜樹が電話に出てくれないから」


 玲人は右手を立てて顔の前にかざし、右目だけをつむって見せた。全く悪いと思ってもいないような態度で謝られても、腹が立つだけなんだよ。


「言っておくけど、電話もアウトだから」

「え〜。厳しくない?」

「普通は、一方的に番を解除したΩに連絡とろうなんて思わないからな。どういう神経してるんだよ」

「ちょっと早まったかなと思っただけで、別に亜樹が嫌いになったわけじゃないし。というか、むしろ好きなんだよ?」

「もうお前の言葉は何も信じない」

「なんでよ。番解除する時も、恋人ではいたいって言ったじゃん。聞く耳持たなかったのは、亜樹だろ?」


 反論する気力を使うのさえもったいない。

 無視をされているにも関わらず、玲人は一人で勝手に話し続けていた。


「考えてみたら、まだ大学生なのに番とかさすがに重くね?」


 自分にはまだ早い重いと思うのなら、番になろうなんて言い出さなければ良かったのに。そんなのは、小学生だって分かることだ。


「番じゃなくて、恋人から始めるべきだったよな」


 いつものことだけど、聞いててイライラしてきた。

 今さらそんなどうにもならない後悔をグダグダと聞かされる僕の身にもなってほしい。


 αの玲人は、何人も番を作ることが出来る。

 失敗したと思ったら、解除して次にいける。


 だけど、Ωはそうはいかない。

 αから捨てられたら、もう二度と誰とも番えなくなる。

 発情期だけは来て、永遠に元の番を求め続ける身体になってしまう。


 玲人にとってはやり直しがきくことでも、僕は違うのに。もしも玲人以外のαと付き合っても、その先に番になれる未来はない。


 玲人だって、それを知らないわけじゃないだろうに。

 よく僕の前でそんな話ができるよな。人の心とかないのか、こいつは。


「あれから色々なΩやβと遊んでみたけど、やっぱ亜樹が一番だったな〜と思って。というわけで、ヨリ戻さない?」

「お前とヨリを戻すなんて、未来永劫ありえないから」


 いつまでも着いてくる玲人にイライラしながらも、そっけなく答える。

 番を解除したいと言い出したと思ったら、今度はヨリを戻そうなんて。どうやったらそんなにコロコロと考えが変わるのか、全く理解できない。


「亜樹さぁ、もしかして新しい彼氏できた?」


 しばらく黙っていた玲人がまるで見当違いなことを言い出した。どうしてそんな風に思ったのか理解できず、つい眉間にシワを寄せてしまう。


「……は?」

「一年の、あー、なんだっけ。名前は忘れたけど、背が高いヤツとよく一緒にいるんだろ?」

「ただの友達だよ」


 玲人が言っているのは、たぶん波留のことだ。

 ピンときて、否定しておく。玲人のことだから波留にまでウザ絡みしそうだし、僕たちの問題に彼を巻き込みたくない。


「ふーん。でも、思い当たるヤツはいるんだ? 亜樹は興味なくても、ソイツは狙ってんじゃね?」

「そうだったとしても、番でも彼氏でもない玲人が気にすることじゃないよ」

「相変わらずそっけないなぁ。番った仲なのに」


 だからこそだよ。と言ってやりたかったけど、余計に面倒なことになりそうなので、喉まで出かかった言葉をのみこむ。


 なんでこんなチャラいヤツを一瞬でも良いと思ったのか。自分の頭の方を疑ってしまう。


 あの時の僕はまだ世間知らずで、こういうガツガツ来る感じとか、明るくて引っ張っていってくれそうな感じが良いと思ってしまったんだよな。それが大きな間違いだったわけだけども。


 玲人はそこまで悪人というほど悪いヤツではないのは、僕も分かっている。友達としてだったら、案外今もいい関係を続けられていたのかもしれない。

 ただ玲人は、ちょっと――いや、かなりいい加減で、はっきりしなくて、だらしなくて、その場の勢いだけで行動する。要するに、恋人にするには最低というだけの話だ。


「彼氏いないなら、次の発情期どうすんの?」

「お前には関係ない」


 大学前の駅に着いても、玲人はまだしつこく話を続けていた。電車通学でもないくせに、早くどこかに行ってほしい。

 電車が来るまで、あと五分。その間耐え続けなければいけないと思うと、五分がずいぶん長く感じる。


「亜樹が心配なんだって」

「それはどうも」


 イライラしたら負けだ。玲人から何を言われても、本気にしちゃいけない。

 自分に言い聞かせ、どうにか冷静を保つ。


「じゃあさ、恋人じゃなくて友達はどう?」

「は?」


 反射的ににらんでしまった玲人は、相変わらずヘラヘラしていた。距離を詰め、玲人は周囲の人には聞こえないぐらいに声をひそめる。


「身体の関係もある、お友達」

「却下」


 秒で否定して、すかさず距離をとる。

 これだけ邪険にしても、玲人本人は気にもとめてないのが余計に腹が立つ。


「そろそろ俺が恋しくなってきた頃なんじゃない?」

「誰がお前なんか――」

「亜樹はどうか知らないけど、俺は抱かれてる時の亜樹を今も覚えてるよ」


 再び距離を詰め、玲人は内緒話をするように囁いた。


「普段はスンッてしてるのに、あの時はいつも腕にすがりついてきて、何回も俺の名前を呼んで。――すごく可愛かった」


 玲人はその少し厚めの唇でキスをしながら、腕の中におさめている僕を高みへと導いた。僕は玲人の腕にすがりついて、何度も何度も――。


『れいと、れいと……っ。すき……っ』


 玲人は、彼の方に伸ばした僕の手を握って、その手にキスをして言うんだ。


『可愛い、亜樹。もっと声聞かせてよ』


「……っ」


 玲人と番だった半年間。

 発情期はそれこそ記憶が飛ぶぐらいに何度も求め合った。そうじゃなくても、暇さえあれば身体を繋げていた。


 あの頃の記憶が脳裏に鮮明に浮かび、顔がカァッと熱くなる。


「思い出しちゃった?」


 そんな僕を見て、玲人は口の端を片方だけあげる。


 思い出すも何も、そもそも一日だってあの頃を忘れられた試しがない。もう一度その手で触れて、その声で甘くささやいて、奥まで僕を暴いてほしいと思ってしまう。今だって、――。

 ああ、もう。最低だ。どうやったら玲人を頭から抹消できるのか、誰かおしえてほしい。


 だって、痛いぐらいに気持ち良かった。今まで生きてきた中で一番幸せで、Ωに生まれてきて良かったとさえ思ったんだよ。――それを、こいつは簡単に手放した。


「最低だ」

「亜樹先輩?」


 僕が本心を吐露したのと、馴染みのある声で話しかけられたのは、ほぼ同時だった。


 振り向くと、声の主はやっぱり波留だった。

 波留は少しだけ目を見開いて、僕と玲人を交互に見ている。


「波留も今帰り?」

「例の彼氏?」


 波留が返事をする前に、玲人が横から口をはさむ。


「え……? 何がですか?」


 波留は状況が理解できないようで、完全に困っている。


「波留、無視していいから。こいつの言うことをまともに取り合うと、ろくなことがない」

「ひでー」


 口ではそう言いながらも、玲人はケラケラと笑っている。一体何がそんなにおかしいんだか。


 我慢の限界が近づいていた時、待っていた電車がちょうどホームに到着した。やっとか。


「行こう、波留」


 波留に声をかけて、電車に乗る。


「いつでも連絡して、亜樹」

「しないから」


 後ろから聞こえてきたふざけた誘いには、振り向かずに返事をした。

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