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第六話 下心

「おやすみ、波留」


 バイトの後に三十分ほど電話で話して、『そろそろ寝るな』と波留に告げる。


『おやすみなさい、また明日』


 電話の向こうからは、波留の優しい声が聞こえた。

 波留がいつまでも電話を切ろうとしないので、仕方なく僕から電話を切る。


 学食で連絡先を交換してから、二週間。大学でも会っているのに、波留からの電話は毎日かかってきていた。


 特に話すことがあるわけじゃないけど、なんだかんだ話題はつきない。大学でのこと、バイトのこと。当たり障りないことをダラダラ話しているうちに、いつのまにか時間が経ってしまう。 


 部屋の電気を消してから、さっきまで波留と話していたスマホを枕元に置く。


 番を解除されて、何もかもどうでも良くなってたけど、出会ったばかりの波留にずいぶん救われている気がする。誰とも関わりたくないと思っていたのに、本当は、僕は誰かと話したかったのかもしれない。


 考えてみたら、たぶんこんな風に誰かと連絡を取り合うのは初めてだった。


 大学には、仲の良い友達はいない。

 特に二年生になってからは、同学年の人たちには微妙に距離を取られている。たぶん同じ学年には、ほとんど例の噂が回っているせいだな。


 玲人とは、電話をする時間があったら、直接会っていた。僕が一人暮らしをしていアパートに来て、やることと言えば一つしかない。


 この狭いシングルベッドを何度も揺らし、身体を重ねた。玲人に抱かれた感触が蘇り、ゾワッと肌が粟立つ。


 やっぱり、僕はダメだ。

 どうしようもなく、僕はΩだ。


 波留と電話をして楽しい気分になっても、玲人を一瞬でも思い出してしまえば、すぐにあいつに囚われる。

 とっくに捨てられたのに、数ヶ月前まで番だったαの所有物。


 どうしようもなくなって、僕はパジャマのズボンに右手を差し入れる。それから、玲人を思い出しただけで熱くなったソレを握った。


 あんなヤツ、もう顔も見たくないし、会いたくもないのに。それなのに、僕はどうしようもなく、玲人に抱かれたい――。


 ◇


 玲人を思い出して自己嫌悪に陥っていた翌日も、波留はいつものように話しかけてきた。

 二限の授業が始まる前。最後列に座っていたら、隣の席に波留が座ってきた。


「こんにちは」

「うん」


 なんだか顔を合わせづらくて、曖昧な返事をした。

 全く頭に入ってこないのに、教科書を開き、勉強をしているフリをする。


「二限が終わったら、学食行きますか?」

「ん?」

「ごはん、どうしますか?」

「ごはんか……」


 何度か波留に話しかけられていた気がするけど、言い直してもらっても、全く頭に入ってこない。


「体調でも悪いんですか?」


 波留が心配そうに僕の顔をのぞき込む。


「昨日遅くまでレポートやってたから、ちょっと寝不足で」


 無理矢理笑顔を作って、嘘をつく。

 本当は、玲人の手を想像して、一人で自分を慰めていた。こんなことを知ったら、きっと波留は僕を軽蔑するんだろうな。


「今日はいっぱい寝てくださいね」


 消えてなくなりたいくらいの自己嫌悪の塊の僕に対して、波留はどこまでも優しい。


「ありがとう」


 優しさが心に刺さって、声が震える。


「波留は、僕とばかりいてもいいの?」

「亜樹先輩と一緒にいたいんです」

「学年も違うのにいつも一緒にいたら、他の人に変に思われるかもしれないよ」


 それに、僕には玲人との噂――というよりも事実だけど、あることないこと色々囁かれている。


 波留はまだ知らなくても、そのうち一年生の波留の耳に入るのだって、時間の問題だろう。それどころか、僕と一緒にいる波留まで噂の対象になってしまうかもしれない。


 波留にまで嫌な思いをさせたくなかった。


「迷惑でしたか?」


 僕の言い方が良くなかったのか、誤解させてしまったみたいだ。波留の声からは、明らかに覇気がなくなっている。


「そうじゃないよ」

「すみません。オレ、全く考えてなかったんですけど、亜樹先輩の恋人に誤解されると困りますよね」

「迷惑じゃないよ。恋人もいない」

「恋人、いないんですね」


 波留はホッと息を吐く。


「迷惑じゃないのなら、これからも仲良くしてもらえると嬉しいです」

「友達って、よく分からなくて」


 良いとも悪いとも言わず、分からないとだけ波留に伝える。


 もちろん挨拶や言葉を交わすぐらいの仲の人は今までもいたし、知人と友人の間ぐらいの関係の人は何人かはいた。


 だけど、本当に親しいと言える『友達』は、ほとんどいないかもしれない。


 最初から欲の対象として見てくるヤツが多くて、僕が身構えてしまっているからかな。


「下心しかないαに言い寄られた経験はあっても、波留みたいに純粋に仲良くなりたいって言われたのは初めてなんだ」


 そこまで言って、もう一言だけ言葉を付け足す。


「波留はβだから、安心してる」

「亜樹先輩。オレは……」


 波留は何かを言いかけて、結局やめる。


「波留?」

「何でもないです」


 波留は引きつったような笑顔を浮かべて、小さく首を横に振った。


「オレだって、下心が全くないわけでもないかもしれませんよ?」

「波留でもそんな冗談言うんだな」


 そんな話をしていたら、教室の前のドアから教授が入ってきた。


 講義が始まって、僕と波留の間の会話はなくなる。

 だけど、講義の間ずっと、波留が何か言いたそうに僕を見ていた。


 波留からの視線をヒシヒシと感じながらも、僕はノートにペンを走らせる。


 ごめん、波留。

 さっき言ってたことが冗談じゃないの、本当は分かってるよ。


 たぶん波留が俺に寄せる気持ちは、友情でも、先輩としてのソレでもない。あれ? と思うことは何度かあっても、最初の方は『気のせいかな』『さすがに自意識過剰かな』と自分に言い聞かせていた。だけど、ここまで何度も分かりやすくアピールされて気がつかないほど、僕は鈍くない。


 波留の気持ちには気がついているのに、ずるい僕は知らないフリをしている。


 付き合う気がないのなら、告白されたとしても、はっきり断ればいいだけだ。それなのにはぐらかし続けているのは、自分がどうしたいかが分からないから。


 波留はいい子だし、友達として好きだ。

 だけど、もしも波留にはっきり告白されてしまったら、僕はちゃんと断れるのかな。


 付き合えないのに、断ることも出来ないなんて。本当にバカげてる。


 波留の視線から逃れるようにノートを見つめ、こっそりとため息をついた。

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