昼休み、学食で一人ランチをとっていた時。昨日初めてまともに話したばかりの波留に声をかけられたのは、翌日のことだった。
「亜樹先輩!」
声をかけられて振り向くと、モフモフの耳としっぽがついていない波留がいた。
「隣、空いてますか?」
肉類だけが大量に乗ったトレイを持った波留は、僕が返事をする前に右横の椅子に座る。
「ああ、うん。空いてるけど……」
「やった! 一緒に食べましょう」
波留は机の上にトレイを置き、満面の笑みを浮かべた。こんなにテンション高いヤツだった? なんか、昨日とずいぶんイメージが違うような……。
「どうかしました?」
「いや、前会った時とイメージ違うなって」
「分かります? 実は、前髪切ってみたんです」
「あ。ああ!」
波留の頭を注視して、ようやく納得がいった。
なるほど。ガラッと雰囲気が変わったと思ったら、髪型がだいぶさっぱりしたんだ。前髪は目が見える長さまで短くなっているし、全体的にもっさり感がなくなった気がする。
「亜樹先輩がそっちの方が似合うって言ってくれたので」
「それで、早速切ったんだ」
「どうですか?」
「似合ってるよ」
「ほんとですか! 切ってよかったです!」
波留の表情がパッと明るくなる。
前髪で隠されてなかったら、こんなに表情豊かなんだ。
今の波留にはモフ耳もしっぽは生えていないはずなのに、しっぽをブンブン振っている姿が目に浮かぶ。人間の姿にも関わらず、本当に犬みたいな子だ。
嬉しそうにしながらも、波留はトレイの上に乗った料理に箸を伸ばす。
僕はミートパスタとサラダとスープのAランチにしたけど、波留は見事に肉料理ばかりだ。
ハンバーグ、豚の生姜焼き、鶏の唐揚げ、牛肉炒め。
野菜は気持ち程度に添えられているだけで、ほとんど肉しかない。見ているだけで胸焼けしそう。
「よくそんなに肉ばっかり食べられるね」
「肉食なんですよ」
肉をほおばりながら、波留は言った。
「やっぱり犬じゃん」
反射的に発言した後で、ふと疑問が浮かぶ。
あれ? 犬って肉食? 雑食だった?
シルバのごはんはいつもドッグフードだったから、犬が何食べるのか実は知らないかもしれない。
波留は、まさかドッグフードは食べないだろうし。
大変失礼なことを考えている僕を見透かしたかのように、波留は軽く唇を尖らせた。
「犬じゃないです」
犬じゃないなら、種族は何?
親は人間?
そもそも、波留は人間で合ってる?
聞きたいことは山ほどある。
だけど、ぐっとこらえて、水を半分ほど飲む。
「気になってますよね?」
『何が』とは言わず、波留は苦笑した。
主語がなくても、波留の身体のことを聞いてるんだとすぐに察する。
「気になるよ。でも、聞くのを我慢してる」
「亜樹先輩になら、いつか話してもいいかなって思ってます」
「うん。話したい気分になったら教えて」
僕は頷き、波留に微笑みかける。
「いきなり変化するなら、周りの人に隠すのも大変なんじゃない?」
「大きく感情が
たぶん獣になると言いかけて、波留はキョロキョロと辺りを見回す。みんな自分たちの話に夢中で、誰も聞いてないだろうけど、こんなところで堂々と出来る話でもないよな。
「体質が変わるんです」
声のボリュームを今までよりもだいぶ抑え、波留は打ち明け話をするように言った。
「感情が昂る?」
「動揺したり、怒ったり、悲しくなったり、ドキドキしたりとか」
「それは気をつかうな」
よっぽど苦労してきたのか、波留は深く頷く。
どれだけ感情の起伏が少ない人でも、誰だって感情が動くことはあすはず。その度にいちいち姿が変わるなら、いつバレるかどうかヒヤヒヤしそうだ。
「小さい時は全然コントロールできてなくて、本当に大変でしたよ。最近はほとんど変わることもなかったのに、昨日は久しぶりに失敗しました」
波留は苦笑しつつ、ため息混じりに吐き出す。
「昨日は何が原因だったの?」
聞いてから、自分でも何がきっかけで波留の姿が変わったのかを思い起こす。
たしか――。
金髪の男ともめてたのを波留が助けてくれて、男が逃げていった。そのあと、波留と二人きりになって。
それで、波留からアーモンドみたいな不思議な匂いがした。僕は匂いの正体を確かめたくて、吸い寄せられるように波留に近づいたんだ。
あれ。波留の姿が変わったのって、その直後だった?
どこら辺に感情が昂る様子があったんだろう。金髪男ともめてる時なら、興奮するのも分かるけど。
「僕が波留に近づいた時じゃなかった?」
「ごふっ!!」
波留はいきなり口を手でおさえ、盛大にむせ始めた。
「大丈夫? 水飲んで」
水の入ったコップをまだ苦しんでいる波留に手渡す。
波留はそれを受け取って、ゴクリゴクリと少しずつ飲む。
「ごふ、ごほ、はぁ、はぁ……っ」
「落ち着いた?」
「はい」
「あの、たぶん、ケンカみたいになった時に怖くて、それでだと思います」
「その時は、まだ姿変わってなかったよな?」
「それは、その、そうなんですけど、……。……あ! そうだ! アレです! 後からジワジワと怖かったなぁって実感したんです」
なぜかしどろもどろになりながら、波留はモフモフに変化した経緯を説明してくれた。
「なるほど?」
なんとなくしっくりこないけど、波留がそう言ってるんだから、きっとそうなんだろう。たぶん。
それから、しばらく黙々とごはんを食べていた。
けれど、ふいに波留は箸を止め、顔を上げる。
「あ、そうだ。昨日聞こうと思って、忘れてたことがあったんです」
「何だった?」
「連絡先教えてもらってもいいですか」
言いながら、波留はジーンズのポケットからスマホを出す。
「連絡先? 僕の?」
「べ、勉強! 勉強を教えてほしいので!」
理由は聞いてないのに、波留が早口で伝えてくれた。
「勉強? いいけど、教えられるかな」
人に教えられるほど、優秀じゃないんだけどな。
でも、波留とは授業もいくつか被ってるし、被っていない授業でも、僕が一年生の時にとってたものがあるかもしれない。教える自信はないけど、僕を助けてくれた波留の頼みなら、応えないわけにはいかない。
「何でも聞いてくれていいけど、あまり期待しないで」
予防線を張りつつ、僕もポケットからスマホを出した。