「いいところだから、邪魔するなよ」
呆然と突っ立っている井駒くんに対し、僕の腕を掴んでいる金髪男が言った。
「な?」
今度は僕の耳元で囁く。
「……っ」
いいところなはずがない。正直助けてくれるなら、助けてほしい。だけど、さすがに無関係の一年生を巻き込むわけにはいかないし、それに――。
もう一度彼を見る。瞳が隠れるほど前髪が長いせいか、やっぱり表情が分からない。
僕も人のことは言えないけれど、井駒くんもディスカッション中にほとんど発言しなかったし、おとなしそうな子だ。どう考えても、二年生のαに刃向かえるような子には見えない。
自分で、どうにかしない、と……。
「はな、して」
金髪男の注意が井駒くんにそれている隙に……!
力を込めて、男の手を振り払おうとした。
「いた……っ」
けれど、無理矢理引き戻され、腕に痛みが走る。
「でも、嫌がってるように見えます」
予想外にも、井駒くんがこちらに近づいてきた。
「は? αに迫られて嬉しくないΩなんていないから」
金髪男は僕を引き寄せ、鼻で笑う。
……お手本のようなα思想だな。だけど、バカげた発言を否定しきれない僕は、間違いなくΩの血が流れている。
「αだとかΩだとか持ち出したら差別になる。そう、授業では聞きました」
戸惑いながらも、井駒くんはそう言った。
たしかに、そうだけど……。中学でも、高校でも、ジェンダー平等については教育された。
でも、そんなのは結局建前でしかない。
表面上は差別はダメだと言いながらも、就職にはαが絶対的に有利だし、Ωはその逆。αが上で、Ωが下。心の奥底では、たぶんみんなそう思っている。
「……ぷっ。くく……っ、授業って……。ハハハ! 真面目くんかよ」
一瞬だけきょとんとしていた金髪男がおかしそうに吹き出す。
「いいから、早く出てってよ」
男から言われても、井駒くんが出て行く気配はない。
「いや、でも、
長い前髪の隙間から、井駒くんの茶色い瞳がチラリと動いたのが見えた。僕のことを気にしてくれてるのかな。
「さっきからなんなの? いい加減ウザいんだけど。お前には関係ないじゃん」
金髪男は僕の腕を掴んでいた手をパッと放し、井駒くんの方に歩いていく。その勢いで、井駒くんの胸ぐらを掴もうとした。
「やめ……っ、……え」
とっさに止めようとしたけど、信じられないものが視界に入り、僕は足を止める。井駒くんが金髪男の手を掴み、そのままねじり上げていたんだ。
「αに逆らってもいいと思ってんのか!」
「嫌がってる人に強要したらダメです」
激昂されても、井駒くんは一向に引かない。
ええ……。これは本当に、あのおとなしそうな井駒くん? こんなに度胸がある子には全然見えなかったんだけどな。
止めに入らなきゃいけないのに。
僕は唖然としてしまって、ただただ見ていることしか出来なかった。
目立たない子だし、勝手にβかΩかなと思ってたけど。もしかして、井駒くんはα……? 僕の知っている限り、αと対等に渡り合えるのはαぐらいだ。
井駒くんに腕をひねられ、金髪男の顔がどんどん歪んでいく。
「……っ、分かったよ。もう百瀬には手出さないから。だから、放せって」
顔を歪めながら、男はそんなことを言った。
井駒くんが男の腕をパッと話す。そうしたら、男はチッと舌打ちして、早足で教室を出て行った。
男がいなくなった直後。
「怖かった……」
井駒くんはハァと息を吐き、大きな手で自分の胸を押さえた。
「堂々としてたのに?」
彼の行動が意外で、ついそんな言葉が口から出てしまった。だって、動じているようにも見えなかったし、ましてや怖がっているだなんて思いもしなかったんだよ。
「とっさに身体が動いてたんです」
井駒くんの口の端がピクピクと動く。
怖いのに、助けようとしてくれたんだ。そう思うと、ありがたくも申し訳ない。
ひとまずは彼にお礼を言おうと近づく。
あれ。αじゃない……?
井駒くんに近寄っても、発情していなくてもΩならわずかに感じ取れるはずの匂いが少しも薫ってこなかった。
その代わりに、なんだか不思議な匂いがする。Ωの匂いでもなければ、αのソレでもない。なんだろう、この匂い。こんがり焼けたパンみたいな、アーモンドみたいな。
匂いの正体が気になって、もう一歩距離を詰めた。
「あ、ちょ……」
驚かせちゃったのか。井駒くんがビクンと飛び上がり、後ずさる。
「え……?」
今、一瞬だけ、濃い茶色だった井駒くんの瞳が金色に輝いた気がする。
見間違いかな。
目を瞬かせ、もう一度見た瞬間。
彼の髪の色が明るめの茶から灰に変わる。さらに、頭頂部とお尻の辺りから、何かモフモフとしたものが生えてきた。