「なぁなぁ。
大教室での講義が終わり、帰り支度をしていた時。突然僕に話しかけてきたのは、顔だけは知っている金髪の男だった。
「違うけど?」
目線を背け、長机に出していたノートと教科書をトートバッグにしまう。
「違うなら、そのチョーカーとってみせてよ」
金髪の彼はやたらニヤニヤしながら、僕の首の辺りを指差す。
首には、いつもチョーカーをつけている。きっと一生消えないだろう玲人の噛み跡を隠すためだ。番契約の際にしかつかない跡を見られたら、番持ちだったことがすぐにバレてしまう。
「できないってことは、やっぱり噂通りなんだ」
「だったら、何?」
「なんで番解除されちゃったのかなって。そんなの初めて聞いたから、気になってさ」
適当にあしらっても、彼はしつこく食い下がってくる。うんざりして、思わずため息をついてしまった。
二年生になって二ヶ月、同じようなやりとりを別の人とも何度かしている。
半年も続かなかった番を一方的に解除されたのが、大学一年生の終わり頃。二年生になってからは好奇の目で見られたりすることが多くなって、中にはろくに話したこともないのに直接聞いてくる人までいたりするから、嫌になる。
玲人には、番契約していたことも、番を解除したことも言いふらさないと約束させた。だけど、結婚よりも重い番契約さえも『やっぱり気が変わった』と簡単に破るヤツだ。あいつが約束を守るなんて、最初から期待してない。
それに、もしもあいつが約束を守っていたとしても、狭い大学内での出来事だ。誰かが僕たちの関係を知っていて、どこかから噂が出回ったとしてもおかしくはない。
「君には関係ない」
そう言って、その場を立ち去ろうとした。けれど、右腕を掴まれ、引き留められる。無理矢理振り払おうとしても、彼の力が強く、はがせなかった。この力と圧の強さ、彼はαかもしれない。
「Ωだったら、αが必要なんじゃないの? 相手になろうか」
金髪の彼は、僕の腕を掴んでいる手に力を込め、引き寄せようとする。
マズイな……。Ωの僕の力では、αには絶対敵わない。助けを求めるように辺りを見回しても、いつのまにか教室には僕たちだけになっていた。
「間に合ってるから大丈夫」
「またまた〜。寂しいくせに」
「一人が好きなんだ」
「強がるなよ。Ωがαなしで生きていけるわけないじゃん」
耳元で囁かれ、ゾクリとした。α特有の匂いがほんのりと香ってくる。
Ωは、αなしでは生きていけない――否定したいのに、口も身体も動かない。
脳内まで響くようなαの甘い声、身体が勝手にほしくなってしまうαの匂い、αの熱い体温。もう三ヶ月以上もαに抱かれていないΩの僕の身体にとって、あまりにも刺激が強すぎる。
「番がいるって噂あったから諦めてたけど、前からキレイだと思ってたんだ」
金髪の彼は、僕の耳の近くで話し続ける。
黒い髪、黒い瞳。髪も染めず、服装も無難なものを選び、なるべく目立たないようにしているのに。それでも、昔から僕はαを引き寄せてしまうらしい。
「二人きりになれるところに行こうよ」
耳に息を吹き込まれ、嫌悪感が湧くのと同時に尻の奥が疼く。
αは、嫌いだ。特に、彼みたいな自信過剰なαは。
生まれながらの勝ち組で、簡単に番って、気分次第でΩをあっさりと捨てる。僕の番だった玲人もそう。αに捨てられたΩは、もう二度と誰とも番えなくなるのに。
「なぁ、いいよな?」
彼に握られた腕と話しかけられている耳が熱い。
ああ、もう。本当に腹が立つ。番のいないΩが絶対に拒否しないと思っているんだから。だけど、実際にその通りなのだから、吐き気がする。
身勝手なαよりも、そんなαたちに振り回されているΩの自分自身がさらに嫌いだ。心は拒否していても、僕の中のΩの本能がαを求めてしまう。
大学に入ってから知り合った玲人に運命だのなんだの口説かれ、ガラにもなく浮かれて、番になることを許してしまった。その結果が、この有様。運命なんて不確かな言葉を信じた僕がバカだった。
「番えなくても、セックスは出来るんだよな」
右手で僕の腕を握ったまま、左手を服の裾から忍ばせる。ダメだ。このままだと、僕は、また――。
「い、嫌だ……っ」
玲人の時みたいに流されて、捨てられて、傷つきたくない。好きでもなんでもない男と寝たくない。耐えがたいαの誘惑に揺らぎそうになる自分を必死で抑え、どうにか拒絶の言葉を発した。
「震えちゃって、かーわい」
ロンTの下から入ってきた彼の手が、僕の腹を撫でる。
「本気でやめて……」
フルフルと首を横に振り、彼から逃れようとする。だけど、やっぱり振り解けない。誰か……っ。
来るはずもない助けを心の中で求めていた時だった。
「なにしてるんですか?」
金髪の男のものでも、僕のものでもない声が聞こえた。
男とほぼ同時に、声が聞こえてきた方を振り向く。
そこにいたのは、172センチの僕が見上げるほどに背の高い男だった。
この子は、――。見覚えがあって、もう一度彼を見る。
180は軽く超えていそうな彼の茶色の瞳は長めの前髪で半分ほど隠れていて、少し表情が分かりにくい。ダボっとしたトレーナーを着ていて、少し癖のあるふわふわした髪は瞳よりも明るめの茶色。
たしか、同じ授業をとっていた一年生のはずだ。
グループディスカッションで同じ班になったから、間違いない。名前は、