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彼の秘密

 あれから二か月が経った。

 大藤グループの町おこし企画はすんなりと出来ている。

 それは裏で動くのが簡単だったからかもしれない。

 人は言う。大藤家は今や莫大な遺産を相続しつつ事業を拡大し続ける『隠れた名家めいか』と、そしてこうも言われる『ひさの一族』だと。

 代々、大藤の本家に生まれた長男は『久』の一字を受け継いでいるからという裏情報を流したのは誰か、問い詰める気はないが、東京との二拠点となった先祖ゆかりの地の住人はそういう風に覚えているらしい。

 今日も視察で行ってみれば、会う奴、会う奴、目が『久の一族』だと笑っている。

 別に良い、気にしない。

 気になるのはアレだけだ。

蓮見はすみ、例の件は?」

「問題なく……」

「そうか……」

 解決していないということだ。

 それはこの町おこし企画で働く者に全然関係ないことで怒る気にもなれない。

 この車の運転手係となっている父の代から付き人となって働く六十くらいの初老男性でありながら少し太めの蓮見でさえ、本当の事は知らないだろう。

 だた無名の墓石らしき物があったら教えてくれ――とそれだけしか伝えていないのだから。

「明日は休日となりますが、晴久様は今日はお泊りですか?」

「ああ、だから蓮見は帰って良いぞ。娘さんだとか奥さんといった大切な人と過ごしてくれ」

「ありがとうございます」

 蓮見は定時になればこのまま新幹線で帰るだろう。ここは鈍行で一駅五分、そこから新幹線で約五十分も乗っていれば東京に着く便利な場所だ。

「この車は置いて行ってくれ、俺が使う」

「かしこまりました、社長」

 そういう風に言われるのにはまだ慣れていないが、そう呼ばれなくてはいけないから黙っている。

 そういえば、あの望月尋音とかいう女性はまだこの企画に携わっているだろうか? 見た目は綺麗にしていた。

「蓮見」

「はい」

「望月尋音という女性社員はまだいるか?」

「はい、最近は遅刻が目立ちますが、それ以外はしっかりとやっているようです。地元の方なのでこの辺の地理にも詳しいかと思えば、少し疎いようですがそれなりには案内が出来ているようです」

「そうか……」

 赤信号で停まっていた車が動き出した。

 彼女は唯一今の所当てはまる。

 だから声を掛けるべき存在だ。

 別に失敗していても良い。

 ただこの大藤グループで働いていてくれればそれで良いのだから――。


「何で今日も遅刻するんですか!? って、今日もうるさかったわね、あのじい

「すみません、佐菜さなさん。高橋たかはしさん上司だから……。でも、何か私、最近眠れないんですよね、ドキドキしちゃって」

「分かる! あれでしょ!? 案内。あれ、緊張するもんねー」

「はい、そうなんですよ! 私、そこまでするとは思ってなくて。自信なくします」

「詰め込み教育も考えものだと思うんですよねぇ。何でこの土地の歴史を知り、そこに歩いて行かなくちゃいけないんでしょうかね?」

「それはお年寄りだもの、健康の為よ。小優芽こゆめちゃん」

「でも、お客さん、年寄りばかりじゃないじゃないですか!? なのに、車ではなく徒歩って」

「そうした方がその時を感じられるからでしょ? その時代、車なんてないし」

「そうですけどぉ……」

 たまの休憩時間。

 仕事をし始めて二か月。

 尋音の同僚となったのは全部で八人という小規模スタートだったのはさておき、その中でも同じ仕事をする二十代前半の若い女の子と言った感じの鈴木小優芽すずきこゆめと高校生の息子を一人持つ五十代前の主婦、後藤佐菜ごとうさなとはすぐに仲良くなれた。

 今までの人間関係の鬱陶しさを感じていた自分からは考えられない関係性で何かが変わる瞬間を感じてはいたが、しかし、やはりそこは変わっていなくて最近では仕事行きたくないな~が始まっている。

 それはそうだ。

 やりたくもない仕事をしているのだ、そうなる。

 この仕事はやり始める前の募集要項にありましたか? と問いたくなるくらいにこの地元の歴史を知り、そこを訪ね、深めましょう! とは何なのだ!? おかしいだろ? と思ってしまうくらいには一か月間みっちりその歴史を叩き込まれた。それをただそのままそっくり言えば良いだけの簡単な仕事だと誰かは言うが。

 楽しく談笑を続けていれば、ふいに肩を叩かれた。

 何だろう? と思って振り返るとそこにはシニアでも元気に寡黙に暇潰しの為に働くおじいさん。皆から『まるさん』と呼ばれている村越誉丸むらこしほまるが掃除用具を持っていた。

 ――あ~どうして、忘れていたんだろう?! 今日は毎月一回だけ回って来る和室掃除の当番の日だった。

 やるしかない、こんな時間から……ちょっとたらたらと尋音が一人やっていると突然人の声がした。

(え?! 今日は別にこの部屋使わないはず――)

 その確認をする時間もないまま、人がやって来そうだった。

(どうしよう! 隠れるしか! でもどこに!?)

 部屋の一番奥、襖で何とかなるかもしれないとそこに逃げ込んだ。

 ここに入られたらもうおしまいだ。

 何故なら、出入口は人がやって来そうな所しかないからだ。

 声はちゃんと聞こえるようになってしまった。

 それなりに近い所で話してるらしい。

 五十代くらいのおばさんの声と好青年そうな声。

 でもこの好青年そうな声はどこかで聞いたことがあるような……思い出そうとしている尋音の耳にもっとはっきりとした声で話の内容が聞こえて来た。

「――いやですよ」

「母さん」

「大藤の家の者が、それもあなたは長男で跡継ぎではなく、今やもうこの大藤グループの社長で本家の当主なんですよ? そんなあなたが生きてもいない霊に取り憑かれているなんて」

「取り憑かれてはいません。勝手に人の夢に出て来るんです。そして墓を見つけ出してほしいと懇願して来るんです」

「それで眠れないって? 落ち武者が怖くて?」

「怖くはありませんが、そうです。彼は大藤智久おおふじのともひさと言っていました。心当たりはないですか?」

「ありません。父さんが生きていたら何か知っていたかもしれませんが、私は嫁いで来た身。そんなに詳しくはありません。何かあるとすればあの蔵の中でも調べてごらんなさい。古文書か何か出て来るかもしれませんよ」

「はい」

「そんなに落ち込んではいないようですね。安心しました。これで精神が参ってしまって、病院なんかに行かれた日にはどうしましょう! と思っていたのですが、そうではないと分かってほっとしています。でも、万が一、そんな所にあなたが行ってごらんなさい、大藤の恥じです!」

 晴久は何も言い返さなかった。

 ずっとそれについて無言を貫いていた。

「――では帰りますね」

「はい」

 部屋を出た時間的に考えるとどちらかは残っているような気がした。

 どうしよう、これは困った、出るに出られない。

 このままここに居ようか、どうしようかと尋音が悶々とし始めているとふいに声が聞こえた。

「おい! 誰か居るか?」

「うわ、はい!」

 思わず素直に反応してしまった。

「お前……、隠れてないで出て来い。聞いてただろ?」

「あ、はい……」

 またしても素直に口から声が出て、仕方なしに尋音は襖を開け、晴久の前におずおずと進み出た。

「君は――」

「はい……」

 目の前に居る晴久は社長の顔ではなかった。

 けれど、この社長には面接の時に顔が割れている。

 ひゃ! とか言って、顔を隠すこともできない。

 だから尋音は正直に言った。

「あの、今日はたまたまこの和室掃除の当番で、ちょうど良い時間が今しかなくてですね……」

 しどろもどろな尋音に晴久は真正面から言った。

「君は見た」

「はい?」

「俺が母さんとこの部屋で繰り広げた一部始終を君は知っている」

「いや……それは」

「口答えするのか?」

「いえ……」

 怯む。この人の言い方は何か圧がある。

「だとすると、君は重要な秘密を知ってしまったことになる」

「え? どういう事ですか?」

「この大藤グループに関わる事だ。それはつまり、この町おこしにも影響が出て来る――ということは君は職を失うかもしれない」

「え? 何で?」

「それぐらいの重要事項ということだ」

「え?」

 分からない。そんな幽霊だか何だかが夢に出て来て、お疲れになって精神科に行くことがダメなのだろうか。人は心が病んだらすんなりと病院に行くものではないのか。

 お金持ちの考える事はよく分からない。

 そんな尋音の顔を見て、晴久は言う。

「だから、君にしてほしい事がある」

「え? それをすれば私は仕事を失わないで済むということですか?」

「ああ、そうだ」

「何です? それ!」

「町おこしとだ」

「へ?」

 嬉々とした声から間の抜けた声になった尋音に晴久はもう一度言った。

「聞こえなかったのか? 君にしてもらいたい事は町おこしと恋愛だ」

「二回も言わなくても分かります。けれど、その意味は?」

「そのままだ。今まで通り君には町おこしを手伝ってもらい、そしてこの俺と恋愛をする。簡単だろ?」

「いや、簡単では!」

「ない。と?」

「はい、私は……面接ではああ言いましたけど、人間関係の鬱陶しさから定職に就かずにいた女ですよ? 簡単じゃありません」

「そうだな、確か面接の時は人が好きだ! とか何とかほざいてたな」

「ほざ?!」

 口が一気に悪くなった。

「まあ、正直でよろしい。そんな所も好きだ」

「それって……」

 それは尋音の人生を狂わす第一歩だった。

「むふ、むふふふ……」

「何だ? 急に笑って、気持ちが悪い」

「だってぇ、社長さんが私を選んだ理由って、やっぱり私が良かったからですよね?」

「あーそうだが?」

「それって……」

 くふ、くふふふ……とまた笑みが勝手にこぼれて来そうになった。

 この笑みはなかなか消えそうにない。

 そんな尋音を見て、晴久はしっかりと言ってやることにした。

「違う違う、そう一人で楽しむなよ。俺がお前を選んだ理由は一つ。君以外の近場の女性には全員男がいるからだ」

「へ?」

「後藤さんは旦那もいるし、高校生になる息子が一人いる。そして、もう一人の君の女性の仕事仲間には彼氏がいる」

小優芽こゆめちゃん!」

「そう、鈴木さんだ」

 一瞬の間。

 それはあまり普段考える事のない尋音に考える時間を与える。

「ということは――」

 何だ? と言葉も言わず、晴久は尋音を見る。

「それって、消去法?!」

「そうだ、だから勘違いするな。面倒臭い事をしたくない。それだけだ」

 そう言うと晴久はさっさとこの場を後にしたいと言った風で着ているスーツのポケットからスマホを取り出すと尋音を見た。

「じゃ、今日から君が俺の彼女ってことでよろしく。その役割、意味を履き違えるなよ」

 脅し文句だ、これ絶対、パワハラ案件……なんて言ってもいられない尋音は晴久に尋ねる。

「良いんですか? 本当に!」

「ああ、だって、お前、一瞬でも喜んでたろ? それは事実だ」

「うっ」

 二の句も告げない。

「それって、つまり、パワハラにはならないよな? 喜んじゃったんだから一瞬でも」

「うう……」

 この男、侮れない。

 晴久は尋音の撃沈を確認するとすたすたと部屋を出て行った。

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