「粗茶ですが」
「………………」
「ダメね、反応が無いわ」
昨日の時と同様に、ソラにお茶の入ったコップを出された女勇者。
しかしソラの言う通り、女勇者は昨日は言っていたお礼の言葉すら言わず、俯いた状態の表情のままだった。
……あれから、錯乱していた勇者をなんとかなだめ、ソファーに座らせたのは良かったものの……落ち着かせた後、今度は逆に反応が無くなってしまっていた。
今、目の前に座っているこの女勇者は、本当に昨日と同一人物なのかどうか疑わしいほどの酷い様相となっている。
綺麗だった髪は掻きむしったせいでボサボサで、透き通ったコバルト・ブルーの瞳は、目の瞳孔が開いた状態で下を俯いており、鎧の姿でも感じられていた彼女の美貌が台無しだった。
まるで如何にも、これから死にます、とでも言いたそうな酷い状態だ。
……いや、そういえばソラがさっき、何か言ってたな……?
俺は改めて、ソラにさっき言ってたことを問い詰めようと口を開き掛けて……
「……………………すまな、かった……取り乱した」
「お!? お、おう……」
重苦しい状態の中、なんとか絞り出したような小さな声で、女勇者が誤って来た。
俺は一瞬びっくりしながらも、なんとか受け答えをする。
とりあえず、話せるようになったという事でいいんだろうか……
「そ、そのー……あのだな。えっと……なにがあった? 昨日、あれから」
「…………」
「ああ、いや! 話したくないんだったら、話さなくていいぞ!? まあ、人には喋りたくない時や内容もあるからな。お、おやつでも食うか? 生憎シュークリームは今は切らしてるけど……」
俺は無理やり話題を転換しようと、おどけた口調で話しかけてみる。
「いや、いい……食欲が、ない。無理に食べたら、吐いてしまいそうで……」
「あ、そう……」
「…………」
「…………」
が……話題転換、失敗。再び重苦しい空気に陥ってしまう。
あーどうしたもんかな……と俺は思い悩み。
こういう時こそ、ソラが何か言って切り込んでくれねえかなあと、彼女の方を見てみると……
「ふわあ〜……ねむい……」
大きなあくびかいてやがる、あのガキャあ……
おい、この女お前の管轄なんだろうが、なにこんな状態になってんのに興味なさそうな素振りしてやがんだ、ほっぺた引きちぎるぞごらあ!?
……そんな言葉が飛び出しそうなのを、なんとか堪えた。
人前で、しかもめっちゃ落ち込んでる空気の中いうのが憚れたからだ。
一体いつまでこの空気が続くのかと、不安に思っていると……女勇者から、とうとう切り出し来てくれた。
「……ワタシ、さ。……“死んじゃった”、筈なんだ」
「……死んだ?」
思い口を開いて出た言葉に、俺は思わず聞き返す。
コクリ、とうなづいて、女勇者は続きを話し出した。
「……元々、あの村の依頼で、近くの洞窟に潜んでいたモンスターの討伐を受けていた所だったんだ。昨日は、実際に洞窟に向かう前に、先に女神様の言葉を実行しようとこの家に来ていたんだ」
「お、おう」
ポツリポツリと、会話を進めていく。
だんだん喋れるようになっては来ていたが、それに反比例して、その声には恐怖、怯えと言ったような震えが含まれていった。
「ボクは、一晩明かした後、あの洞窟に向かって行った。依頼では、大きなモンスターが1体潜んでいるとの事だったから、警戒しながら進んでいった。……オークがいたよ。身長3mは越えてたかな」
オーク! ファンタジー世界で、よく聞くモンスターでもある。
それが3m以上も大きな巨体だと、目の前の女勇者なんか小さく感じてしまうだろう。
後、どうでもいい事だが、女勇者の一人称がコロコロ変わってしまっている。まだ完全に落ち着いた状態じゃないせいだろうか?
「……そのオークってやつに、殺されたって事なのか?」
「正確には、ちょっと違う。洞窟にいた個体なら、ボクなら真正面から倒せる。これでも勇者だったからね。あれくらいの相手、手間取ったけど問題は無かった筈だった」
さらっと言ってるが、3m越えのオークを女手一つで倒したって言ってるんだけど、こいつ。
見た目に反して、かなりの実力者か? 流石は勇者、と言った所か。
「けど、それなら、何が……?」
「……“もう1体”」
「は?」
「背後からの奇襲だよ。オークはもう1体いたんだ」
片手で顔を押さえながら、勇者は悲痛そうにそう呟いた。
なんでも、依頼だと1体しかいないとの事だったが、実際には二体はいたと。
片方が洞窟の外にいて、女勇者が中で戦ってる最中に戻って来ていたらしい。
「その手に持った棍棒で、背後から私の頭を殴り倒したんだ。ワタシは倒れて、起き上がれなかったよ……体の半身が痺れるのを感じながら、再度オークが棍棒を振り上げるのを見るしかなかった」
「────」
「ガン、ガン、と。ワタシの体を執拗に叩いて来る。最初は足。逃げられないように念入りに。次は、腕。剣を2度と握られないように」
淡々と、虚ろな目で女勇者は話していく。
それは話すのに慣れて来たと言うより、ただ単に事実を言ってるように、さっさと話すように。
「最後は、頭だ。それこそ何かの間違いが起こらないように、何十回も叩いて来る。歯がグチャグチャにとれて。目玉が片方転がり落ちて。首が、折れて……頭蓋骨が割れる音なんて、初めて聞いたよ。そうして、最後に大きく振りかぶったオークの棍棒が、ワタシの頭を……っウブっ!!」
「っ!? おい、大丈夫か!?」
ウォエぇぇっ!! と女勇者は胃の中を吐き出してしまった。
俺は女勇者の背後に回って、必死に背中をサスってやる。
女勇者は泣きながら、胃の中を空っぽにする勢いで、落ち着くまで吐いていた。
「ちょっとー。リビング汚れちゃったじゃない。全くもうー……」
「す、すまない……すまない……!」
「今、そんな事気にしてられる状況じゃねえだろうが、このやろう……」
「私女だし。えーっと、ティッシュティッシュ……」
迷惑そうな声を出していたソラに、俺は注意を呼びかける。
それを聞き流しながら、ソラはウェットティッシュやビニール袋などの道具を持って来ていた。
お前、この吐瀉物の後始末の準備してくれてなかったら、張っ倒していたところだからな……
そんなこんなで、汚れたリビングはソラが綺麗に後片付けし、元の状態に戻った。
俺と女勇者は、互いに元のソファーに座る。
いまだ落ち込んだ様子だけど、吐くもの吐いたおかげか、さっきよりは落ち着いた様子になっていた。
「……改めて、すまなかった。謝罪しよう」
「ああ、いや……別にいいよ。あれは仕方ねえし。……にしても、死んだ、ねえ……」
俺は頬杖をついて、さっきの話を振り返る。
正直、簡単には信じられないような内容だった。普通なら。
けど……
──やっぱり、“早速死んじゃったんだ”
……女勇者が再び現れたときのソラのあの言葉。どうも気になる。
等の幼女本人は、後片付けで汚れた自分の手を洗面所で必死に洗っている所だったが。
「……けど、こうして目の前で喋っているだろう? 生きてる状態で」
俺は端的に、その矛盾した事実を指摘する。
それにたいしては、女勇者も同じことを感じ取っていたらしい。
「そう、だね……そこは、不思議だ。ボクは、ひょっとして洞窟の出来事は全て夢だったか……ここが、実は“あの世”だったんじゃないかって思い始めてる……」
「勝手に俺の世界を、死後の世界にするな。……って突っ込みたい所だけどさあ……」
あながち、否定出来ないのかもしれないのが怖い。
この女勇者の世界で、死んでしまった場合俺の世界に転移してしまう、だったら、女勇者視点だと死後の世界で合っているだろうし。
そもそも、異世界の存在なんて初めてなんだよ俺、そんな分かる訳ねーだろ。
と、半分やけになって視点を移すと、昨日ソラの本体、女神ソラリスが設置したセーブクリスタルがキラキラと輝いていた。
──セーブクリスタル?
俺はふと、改めてその存在について引っかかった。
よくゲームで見かけるセーブポイント。
おい、まさかこれ……
「……ふふん、気づいたようねカイト」
振り返ると、そこには洗面所から戻って来ていたソラが立っていた。
腰に手を当てて、自慢げな表情で話だす。
「そう! それこそセーブクリスタルの真の力!! “一度セーブしたら、再度セーブした箇所からやり直せる”神機能!! 例えセーブプレイヤーが死んだとしても、自動的にロードされる仕組みになってるわ!!」
「……え? セーブ、プレイヤー……? ロー、ド? どう言う事、だい……?」
ソラの言葉に、女勇者は戸惑ったような表情を浮かべていただけだった。
しかし俺にとっては、その説明だけで十分だった。
一度でもゲームをプレイした事のあるプレイヤーなら、その意味がすぐ分かる!
「つーことは、何か!? この女勇者はオークに殺されたから、自動的にロードが行われてこの部屋に再度出現したって事なのか!?」
「ピンポーン! 大正解! まあ、簡単なクイズだったわね」
「ん? え? え?」
俺の言葉にパチパチとソラが拍手する中、話について行けず置いていかれている女勇者。
そりゃあ、あんたには難しい話だよな……その世界、ゲームなんてなさそうだし、概念自体無いだろ。
……そこで俺は、ちょっと疑問が発生する。
ゲームの仕様と似ていると言うことは分かった。
けど、だとしたらロードの仕様がちょっとおかしい。
「おい、幼女女神。この女勇者がロードした、という事は分かった。けど、だとしたらちょっとおかしいだろ? セーブしたのは昨日だ。だとしたら、女勇者が現れるのは“セーブした昨日の時点”じゃないとおかしいだろ?」
そうだ、ロードしたというなら、セーブ地点の時間に戻っていないとおかしい。
けど実際に女勇者が現れたのは、セーブした次の日だ。
このタイムラグはなんだ?
「ああ、それは単純な話。“カイトの世界は時間が動き続けている”のよ。カイトが管理者だしね。ちゃーんと、そこの女勇者ちゃんが元の世界に戻ったら、“マーカーを設置した、村にいた時点”に戻っているわ」
「……つまり、“俺の世界は時間が経っていても、女勇者の世界は時間が巻き戻っている”って事か?」
「その通り!」
マジか……と、俺は思った。
単純に考えるとこのセーブクリスタルとか言うやつ、ただ記録するだけじゃなくて、異世界そのものの時間を巻き戻す機能を持っていると言う事になる。
このサイズ1m程の結晶で、世界単位に大きな影響を与えるとんでもない力を持っている事が実感出来て、俺はつい冷や汗をかいていた。
もちろん、実際の仕組みは複雑かもしれないが。そう見えてるだけ、と言う事も考えられる。
いずれにせよ、死者蘇生じみた事を出来る時点で、このセーブクリスタルはやばいもの、と言う事実は変わらない。
「とりあえず勇者ちゃん、と言うかユウカちゃんは、“死んだらこの部屋に戻って来る”。“元の世界の時間も巻きもどっている”。この二つを覚えておけばいいわよー」
「そ、そうなのかい? じゃあ、私が生きてるのは……」
「最後のセーブ時点のデータから、体を再構築した結果ね。大丈夫! 意識はちゃんと連続してるから、クローン問題とか考えなくていいから!」
「く、クローン?」
女勇者にとって、また知らない新たな単語が出て来てしまい、混乱の極みに落ちてしまっていた。
おい、ただでさえいっぱいいっぱいの状態なのに、余計に混乱させてんじゃねえよ。
まあ、とりあえず。“目の前にいる女勇者が、昨日出会った女勇者と完全に同一”と言う事は理解した。
昨日元気だった女が、今日こんなに衰弱状態になってしまっているとは、さすがに知り合って間もないとはいえ、同情の気配が勝る。
とりあえず、落ち着くまでゆっくりしてもらって……
「と言うわけで、ユウカちゃん。あなたは依頼で洞窟に向かう前の時点まで巻き戻ってるわ。つまり……」
「つ、つまり?」
「──“再度洞窟に向かって、今度こそオークを皆殺しにして来る事”が出来るの! さあ、レッツゴー!!」
「ッひ?!」
「いや鬼畜かテメエ?!!」
人の気持ちを一切考えていないソラの言葉に、女勇者は目を見開いて完全に怯え切ってしまっていた。
いや、人の心無さすぎるだろ!?
「おい!? こいつ仮にも“初めて死んだばっかり”だぞ!? そんな状態でトラウマになった場所にすぐ向かわせるんじゃねえよ!? また死なせる気か!?」
「何よ。どうせ勇者でしょ? どの道受けなきゃいけない依頼だろうし、さっさと片付けた方がいいんじゃない?」
「あ、ああ、あああ……っ!!」
俺とソラの会話を聞いて、ますます女勇者は死への恐怖でいっぱいとなってプルプルと震えていた。
その姿からは、とても勇者と評されるような現象は感じられない。
……しゃあねえなあ。
「ったく。ソラ、一応一つ質問なんだが。仮に女勇者がこの世界に居続けたとして、女勇者の世界の時間はどうなってる? 同じだけ時が進むのか?」
「一応そうね。“ユウカちゃんがセーブクリスタル前で再出現した瞬間から、同じだけ時間は経っている”わよ。……まあ、もっとも。“再度ロードをすれば、女勇者ちゃんの世界は時が経っていないも同然”だけどね」
「ふーん。もう一つ質問。ロードは、死なないと出来ないのか?」
「いいえ。“女勇者ちゃんの意思ですぐロード出来る”わ。死亡時は強制ロードが入る仕様になってるけど」
あとねー、世界を巻き戻してるんじゃなくて〜、とか。
ユウカちゃん自身が時を超えて戻っているだけで〜。
とか、よく分からない話も続いていたが、一旦それは置いておく。
今必要な情報は一つだ。
“女勇者が、すぐに元の世界に戻る必要は無い”。それだけ分かれば十分だ。
「おい、女勇者。ユウカ、だっけか?」
「っ。……な、なんだい?」
「そう警戒すんなよ。……と、言っても無理もねえか……」
あー。と、俺は頭をガシガシと掻く。
ままならねえが、このままにしておくのも気分悪いし……
俺は、とりあえず思いついたことを実行する事にした。
「ユウカ、ソラ」
「えっと……?」
「だから、本人だけが戻ってるから世界への影響は最小限で……って、何ー?」
疑問の声を上げる二人に対して、俺は力強く宣言する。
「──こっちの世界で、ちょっとお出かけするぞ!!」