◆<聖女クレアside ~三人称視点~>
この日、前日の悲劇を目の当たりにしていたクレアは一回戦で対戦相手を蹂躙していたソルファを注視していた。女魔導師ルーズは魔国カオスローディアより北にある辺境の村から来たという。一回戦では見事な魔法戦で魔導師団の熟練魔導師を撃破していたものの、果たしてソルファに魔法が通用するのか不明であった。
「もし、また一回戦のような事が起きるのならば、わたくし自ら出向いて試合を止めるか、ルーズさんを回復させてあげるしかありませんわね」
「クレア、何か言ったか?」
心の声が僅かに漏れてしまっていたようで、隣席に座るエルフィン王子がクレアの独白に反応する。
「いえ、考え事をしていただけですわ」
「そうか。いよいよソルファの試合が始まる。あのルーズという女魔導師は可哀想だが、ソルファ相手ならば仕方あるまい」
まるでソルファが絶対勝つと確信しているような口振りのエルフィン。クレアは気づくと女魔導師ルーズを応援していた。目深に魔導師のフードを被っており、顔は見えないが、臙脂色のお下げが可愛らしい。ソルファへの大声援が続く中、実況のピーチが試合開始の合図をする。
「それでは、準々決勝一回戦、始め!」
「魔力の雰囲気が変わった?」
試合開始直後、彼女を覆っている魔力が冷たい魔力に上書きされるような感覚を覚えるクレア。舞台上では、女魔導師ルーズがソルファへ向け、一回戦より広範囲の氷魔法を放っている。が、大剣を旋回させるソルファへ氷魔法は届かない。
「炎よ、大地を這う蛇のように喰らえ――〝
「次は火魔法……ですが、なんでしょう……これは」
火を放つルーズの魔力はなんだか懐かしく暖かい。そう感じるクレア。氷と火で二種類の違った魔力を体内に宿す事は通常では考えられない。クレアは一回戦とは違うルーズの雰囲気にいつの間にか呑まれていた。
「来るぞ、クレア。あの技が」
「いけませんわ」
今立ち上がろうとしてもエルフィン王子に止められると、クレアは百も承知であった。クレアは祈る。ルーズがソルファの攻撃を防いでくれる事を。そして、クレアの祈りが届いたのか、ルーズは見事、氷魔法でソルファの高速剣戟を防ぐ。しかも、直後、ソルファの背後に回り込んだルーズは、指先から放つ熱線により、ソルファの頬へ傷をつけたのだ。
「やるじゃん、あの女魔導師。が、終わったな。奴に傷をつけてしまった」
「え?」
エルフィン王子がそう呟いた直後、怒りの形相へと変化したソルファはルーズの杖を折り、覆っていたフードが剥がれた事で露わになった顔が〝
「え? 嘘?」
臙脂色の髪、瞳の色は左と右で
「ソルファ! まさか。あのお下げの女! ソルファを凍らせたぞ!」
「すいません。少しお腹が痛くて。すぐに戻りますわ」
「え? 嗚呼。気をつけろよ、クレア」
舞台上はソルファが氷漬けになるという異例の事態。エルフィンもそちらに注目していたため、この時のクレアの変化に気づいていなかった。特別席から控室へ続く回廊を警備する兵士へ言伝し、
「嘘、嘘ですわよね。きっと魔国で色々されてあの姿に。でも、帰って来てくれたのですね。
特別席から舞台裏へと繋がる関係者のみが使う事の出来る階段。緊急時に回復役である神殿の者が救護室からすぐに舞台裏へ向かえるよう用意されたものだ。途中何人かとすれ違ったが、今の彼女を引き留める事は許されない。そして、実況席と救護班が待機する席へ続く北側の入口へクレアが辿り着いたその時だった。
舞台上で大爆発が起こったのは――
「なっ!? そんな!? アンリエッタ!」
舞台上に何重にも張られた魔法結界の一部。上級魔法をも防ぐと言われるその結界には、僅かに亀裂が入っていた。舞台の地面が消し飛び、瓦礫と化す中、臙脂色の髪は乱れ、所々破れたローブを煤だらけにした女魔導師ルーズ……否、アンリエッタは、朱い魔力を全身から蒸気のように溢れさせたまま、揺らり、揺らりとその場に立っていた。全身から流れる血はそのまま朱い蒸気となって蒸発し、魔力に覆われた傷が同時に修復していく。
「あの姿は何ですの……? ……いえ。あなたが無事ならば何でもいいですわ」
どうやら周囲の様子は見えていないらしく、アンリエッタはソルファを探しているようだった。実況も観客も息を呑んでその様子を見守っている。
やがて、瓦礫の山から手が生え、全身から血を流した騎士団長が這い出て来る。大剣を持つ手からは血が流れ、白金の鎧が砕け、全身焼け爛れ、傷だらけとなった肉体が露わになっていた。
「俺様は……グリモワール王国騎士団長ソルファ・ゴールドパーク。俺様が……こんなところで負ける訳にはいかな……ぐわぁ」
「あら、背中ががら空きよ?」
溶岩のように燃え滾る瓦礫を
「貴様……どうやって……あの爆発を凌いだ?」
「あら、炎はわたしの専売特許ですのよ」
「貴様、魔女か何かか?」
「それは……秘密ですわ」
ゆっくり近づくアンリエッタへソルファが持っていた大剣を振るうも、大剣は空を切り、よろめいたソルファの額目掛けてアンリエッタが一筋の熱線を放ち、ソルファはそのまま舞台上、仰向けに倒れ込むのだった。
「しょ、勝者――女魔導師ルーズ!」
北の入口から覗いていたクレアは柱の裏へと隠れる。そして、そのまま北の入口から東の入口へ向かって舞台裏を走り出す。救護班から神殿長ルワージュが飛び出し、ソルファの大火傷を舞台上で治療する。女魔導師ルーズは、会場からの拍手へ丁寧にお辞儀をし、東門へと向かっていく。
そして、東門から選手の控室へと続く通路。後ろ姿のルーズを視界に捉えたクレアは、彼女の名を口にする。
「アンリエッタ! アンリエッタなんでしょう?」
立ち止まったルーズは、ゆっくりと振り返る。瞳の色は髪色と同じ臙脂色。が、その瞳は何故か光を失っているように見えた。虚ろな表情のまま立ち竦むルーズへ追いついたクレアは、その場で彼女を抱き締める。
「アンリエッタ! クレアよ、分かる? どうしたの? さっきの闘いの反動で疲れているの? ほら、いつものように回復させてあげるから。……え? 魔力が減っていない?」
「私はルーズです。何も知りません。試合には勝ちました。私はルーズです……」
「そんな!? あなたはアンリエッタではないの?」
「アンリエッタ……何も知りません。試合には勝ちました。私はルーズです。あの、離して貰えますか。失礼します」
虚ろな表情のまま語るルーズの様子に震える手を押さえられないまま、抱き締めていた女魔導師の身体からそっと離れるクレア。丁度、そのタイミングで通路へ兵士と蒼い髪を振り乱したまま駆けて来る王子が現れる。
「おい、クレア! 何をやっているんだ! 早く来い、ソルファを治療してやってくれ!」
「待って下さい。エルフィン、離して! アンリエッタが! アンリエッタが居るの!」
「何だと!? そんな訳がない。アンリエッタは魔国の何処かで奴隷になっている筈だ。冗談言っている場合じゃない。ソルファが重傷でルワージュも苦労しているんだ! 早く来い!」
「離して! ちょっと……エルフィン!」
そのまま羽交い締めにされたまま兵士と王子によって救護室へと連れて行かれるクレア。女魔導師ルーズは黙って選手控室へと向かう。その様子を壁の向こうより見ている視線に、クレアが気づく事はなかった。