◆<聖女クレアside ~三人称視点~>
闘技大会が始まってしまった。早く終わって欲しいというのが、クレアの本音であった。クレアが今回観戦した理由は二つ。自身の姿を見る事で民が安心するという点。もう一つは大会中、大きな負傷者が出るなどの不測の事態に備えるためだ。
グリモワール国王の挨拶の後、自身の名を呼ばれ、いつも民の前に姿を見せる時の笑顔で手を振るクレア。だが、以前のような青空のように澄み切った心はなく、まるで、嵐の前の澱んだ空気を拭い去るかのように無理矢理笑顔を作っていた。
今回の優勝賞品である〝大魔女の杖〟は、クレアの隣に準備された専用の台座に鎮座している。そして、その背後には、問題のラーディ大魔導師長が座って居た。彼の秘密を知ってしまった以上、クレアは今後、彼を注視しなければならなかった。
「え? 今……一瞬魔力が揺らいだ気が……」
それは〝大魔女の杖〟が紹介され、国王が杖を掲げた瞬間だった。それまで闇の魔力も、杖が持つ魔力も特に変わったところは無かったのだが、杖が何かに反応し、一瞬、杖内部に眠る魔力が揺らいだ気がした。だが、それはほんの一瞬で、この場で違和感に気づいたのはクレアだけのようだった。
「どうした? クレア」
「いえ、何でもありませんわ」
「そうか。さ、いよいよ始まるぞ。初戦はソルファの登場だ」
「そうですか」
大歓声の下、ソルファ・ゴールドパークが入場する。クレアは思う。あの時、アンリエッタの元恋人だと思い、信用し、ペリドットを託した人物がソルファだったのだ。ペリドットは無事にアンリエッタへ届いたのか? アンリエッタは無事で居てくれているのか、クレアの内部に不安が蘇る。
魔導コロニーの秘密を知ってしまった以上、誰が敵で誰が味方なのか? クレアは分からなくなっていた。
「それでは、第三十回グリモワール王国闘技大会、第一試合、始め!」
試合開始の合図と共に、ソルファの対戦相手であるハンが動いた。クレアは興味が無かったのであまり目を通してはいなかったが、特別席や貴族席で観戦する者達には予めトーナメント表と参加者のリストが配られていた。それよりも、大きな怪我なく、この闘技大会が終わるよう、クレアは祈りを捧げていた。
闘技大会を観戦する以上、大きな怪我が起きた時には舞台裏に待機している神官がすぐに怪我人を治療するよう、クレアは念を押しておいた。そして、闘技大会の救護責任者に神殿長のルワージュを置く事で、事故が起こらないように。更には、何かあったら自分も観客席から飛び出し、治療に回るつもりだった。
そう、何かあったら……。
「おぉ、出たか、ソルファの〝新旋風斬〟。あれを止められる手練れは僕くらいのものだ」
「え? 何を感心しているんですか! 早く神官を!」
ハンの両手が切断され、鮮血が舞台上を染め上げていた。慌ててクレアが立ち上がるも、その手を掴んだのは隣に座っていたエルフィン王子だった。
「何を言っているんだ!? ソルファの相手も歴戦の格闘家だぞ? あれ位では死なないだろう。それに戦場では当たり前の光景だ」
「此処は戦場ではありません! ルワージュは? ルワージュは何をやっているの!?」
クレアが叫んだことで、ようやく後ろに控えていた兵士が耳打ちし、誰かが下へと駆けて行く。
蹂躙……途中から剣を使わず、殴る蹴るの暴行を加え、平然と両手を挙げて歓声に応えるソルファ。悲鳴と歓声が入り混じる中、血気盛んな観客以外はその様子に嫌悪を覚えたに違いなかった。ルワージュが動き、舞台袖へと運ばれるビックハン。クレアもそこへ向かおうとするも……。
「ルワージュを信用していないのか? クレア。君が向かうと民が心配する」
「ですが……! わかりました」
クレアが唇を噛み、思い留まりゆっくりその場に座ろうとした瞬間だった。彼女が会場内の何処か、悍ましい悪意を感じたのは。
「え? 何ですの!?」
それは怒り、憎悪。この舞台上に
「今の魔力……もし気のせいでないのなら……かなり危険ですわ」
誰にも聞こえない程度の小声で呟くクレア。まだ確証はない。王子も誰もまだ気づいていない違和感。大会も始まったばかり。今は様子を見る事にしたクレア。何かあったら自分が動けばいいと思い、自席にて試合の続きを観戦する事にした。
第二試合は第一試合と打って変わって激しい魔法戦だった。魔導師団熟練の魔法使いハリガネと、魔国よりも更に遠く、辺境の村から来たというルーズという女魔導師。淡紫色のローブを纏い、女魔導師の顔はフードで隠れていたが、臙脂色のおさげが時折見えたため、若い女の子である事は予想出来た。
一方は風と地。もう一方は炎と氷。様々な魔法の応酬を制したのは、何と炎と氷を扱う女魔導師ルーズだった。ペコリとお辞儀するルーズへ歓声があがったものの、彼女の次なる対戦相手は先程のソルファ。クレアは不安になる。このまま闘技大会を続けさせていいものなのか、と。
「なんとぉ! ハリガネぇええ! 何をやっとるんじゃ! 後できつく言わねば……なりませんね……」
大魔女の杖を警備しつつ観戦していたラーディが立ち上がり、わなわな震えていた。その様子を見たエルフィン王子は笑いながら彼の肩を軽く叩く。
「まぁまぁラーディ。いいじゃないか。うちの王国もまだまだって事さ。それに今大会に僕と君は出ていない。仮に優勝者が別の国から出ても、王国最強は揺るがないさ」
王子がそう言うと、丸眼鏡の縁をクイっとあげたラーディが元の調子を取り戻す。
「ま、まぁ。そうですね。魔導師最強は間違いなく我ですからねぇ~ククク」
そのやり取りの間、自身が冷たい表情でラーディを見つめていた事に気づき、クレアは慌てていつもの笑顔を作る。いつ、何処で民が見ているか分からないのだ。平静を保たないといけないと彼女は思う。
このあと、順当に一回戦の勝者が決まっていく。王国最強の
「よかった。最初の試合以外は大怪我もなく、皆、試合を終えています。このまま何も無ければいいですが……」
「それでは本選一回戦最後の試合です。西から登場は、祖父は魔法研究の祖と呼ばれる人物。さぁ、心して刮目せよ。グリモワール王国魔導師団、期待の若き
拍手で出迎えられる魔導師団のローブを着た栗毛の男性に、クレアが反応する。
「あれが……ランスのお兄さんね」
そう、先日図書館を訪れた際、ランスへ魔導師団の知り合いを紹介して欲しいと尋ねた際、兄であるフォース・アルバートが闘技大会へ出場する事を事前に聞いていたのだ。今後ラーディの悪事を暴く際にも、彼の協力は欠かせない。この試合、クレアは改めて最後まで観戦しようと改めて舞台上へと意識を集中する。
「そしてぇ~。東門から登場は、なんとあの魔国カオスローディアからの参戦です! 魔国歴戦の剣士として名を馳せる鉄仮面の男。クレイ・グラディウス!」
「クレイ・グラディウスだと? 知らんな。そんな名前」
「え? そうなのですね」
闘いと強き者を好むエルフィン王子が知らない剣士。鉄仮面ごしに顔は確認出来ないが、銀色の鎧に身を包んだ男は、歴戦の剣士といった落ち着いた佇まいであった。
(あの御方……魔力を押さえていますね)
剣士でも魔力を持つ者は居る。加えて、敢えて魔力を隠す事で相手に実力を悟られないようにする者も存在する。魔国からの謎の参戦者の登場に、戦いに興味が無いクレアも舞台上へ意識を集中するのだった。