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第35話 わたしを抱いて

「お前はそれでいいのか? アンリエッタ」 

「え?」


 いつののようにそのまま強引に口づけされると思っていた。わたしの普段と違う赤いレースの下着も、開(はだ)けたローブの隙間から見えている筈だ。彼はゆっくり立ち上がり、わたしの頬へ右手を添える。わたしは彼を受け入れるため、そっと目を閉じる。直後、彼の柔らかい感触と温もりを感じた場所はおでこだった。


「アンリエッタ、焦らなくてもいいんだぞ?」

「レイ……」


 熱が少し冷めて来た。何だか、哀しくなって来た。レイにとって、わたしはその程度の存在なの? 結局わたしなんて、利用価値はあっても、誰にも必要とされていないんだ。そう思うと哀しくて、自然と双眸ひとみに雫が溜まって来てしまう。


「レイ、あなたにとってわたしはただの契約相手ですか?」

「違う、そうじゃない」


 刹那、力強く抱き締められていた。彼の逞しい肉体がわたしを包み込み、冷めていた熱が再び呼び起こされる。


「お前が大切? 決まっているだろう? 俺にとってアンリエッタは特別だ。〝契り〟の契約は形だけのものでない。残念だが、今は有事の真っ最中だ。全てが終わったら、ちゃんと俺から改めて婚姻の申し出をさせてくれ。魔力だけの契約ではなく、正式な妻として迎え入れたい」

「本当に、わたしで……いいの?」

「お前しか居ない、アンリエッタ」


 再び、彼の顔がわたしの前に現れる。その真剣な眼差しから目を逸らす事が出来ない。わたしの双眸ひとみは開いたまま、彼の顔はだんだんと近づいて来て、そのままわたしの口元からレイの温もりが伝わり、全身を駆け巡っていく。


 嗚呼、これだ……これがレイの温もりだ。


「わたしも……あなたが好き。レイ」

「アンリエッタ。いいんだな」

「ええ」


 そのまま抱き抱えられる形で天蓋付きのベッドへと連れて行かれるわたし。


「アンリエッタ、敬意を込めて、愛称で呼びたい。何がいい?」

「え? えっと……じゃあ……アンリで……お願いします」

「アンリ」

「レイ」


 お互いの名前を呼び合う事がこんなにも愛おしくて情熱的な行為だなんて、誰も教えてくれなかった。黒いシルクのローブを開き、胸元を見せたレイがわたしの首筋を啄み、愛の印を刻んでいく。その度に思わず声が出そうになって、思わず両手で口元を押さえる。


「我慢……しなくていい」

「あ……♡」


 最初からこんなのって……。目の前に居る彼が愛おしくて、愛おしくて。小さく漏れ出るわたしの声だけが薄明りの部屋に響き渡る。このままレイに身を任せて……いいの!?


「……アンリ」


 耳元で囁かれた低く透き通った彼の声に、わたしの何かが弾けた。


「レイ……レイ!」


 お姉さま。

――わたしは今日、大人の女になります。


 そして、翌朝――


 わたしが起きるのをレイは一緒に待ってくれていた。彼と肌を重ねたまま産まれたままの姿で布団に包まれ眠っていたわたし。目を覚ますと、昨日と同じレイの優しい横顔があって。わたしはうっとりしたまま彼の顔へ手を当てた。


「おはよう、レイ」

「おはよう、アンリ」


 軽く小鳥のように彼の口元へ挨拶をするわたし。彼も黙ってそれに応えてくれる。暫く布団の中で互いの温もりを感じ合った後、ゆっくりと身を起こす。


「え?」

「気づいたか」


 何気なく自身の両手を見て、わたしは驚いた。わたしの両手がいつものミルク色の肌から、日に焼けたかのように小麦色へと変化していたのだ。いや、両手だけでない。慌てて飛び起き、部屋にあった鏡で全身を確認してみると、同じだった。それまでレイの温もりの余韻に浸っていたわたしだったが、思わず我に返ってしまう。


「これってどういう?」

「〝闇の魔力〟を過剰に摂取した副反応だ。数日もすれば元に戻る。時々、俺の魔力が欲しくなる時があるだろうが、そこは我慢した方がいい。欲望に身を任せ、溺れてしまうと身を滅ぼしてしまうからな」

「わ、わかったわ、レイ」


 レイは昨晩、〝闇の魔力〟を譲渡しないよう、極力抑えていたらしいのだけど、キスの〝譲渡〟でも酩酊を起こす程の魔力量がわたしの身体を巡ってしまう訳で。漏れ出してしまうのも当然だ。事実、後半わたしは何をしていたか憶えていない。レイの温もりと痛み以上の全身を巡る感覚。居心地の良さと快感。断片的に気づけば彼を求めていた事だけは憶えている。


「服を着るといい。一度アンリの部屋まで送る」

「ありがとう」


 まだ、身体がふわふわしている。そっか。この格好でナタリーの待つ支度部屋へ行ったら大変な事になる気がする。なんだか髪も乱れている気がするし。ちょっと整えてからいくとしよう。って、何か大事な事を忘れているような……。


「どうした? ……アンリ」

「あの……二人のとき以外は、アンリエッタって呼んで下さい」

「どうしてだ?」

「……は、恥ずかしいので」


 アンリって呼ばれるのがこんなに恥ずかしいなんて思わなかった。そうか。昨晩は熱に酔っていたから違った感情だったのかも。


「まぁ、アンリが言うならそうしよう」

「ありがとう、レイ」


 それまで全然平気だったのに、頭の中が昨晩の出来事と羞恥心でいっぱいになって、顔が真っ赤な林檎みたいになってしまう。そのまま頭から蒸気を発したまま、わたしは部屋へ一度戻り、身なりを整えたままナタリーの待つ支度部屋へと向かうのでした。


「おはよう、ナタリー」

「アンリエッタ様、朝からお部屋にいらっしゃらないので心配しまし……あ!」


 恭しく一礼し、わたしの姿を見た瞬間、ナタリーが両手をまるでお魚のようにパクパク開閉している口の前へ当てたまま静止していたので、どうしたものかとわたしはナタリーへ尋ねてみた。


「え? どうかした?」

「……嗚呼。アンリエッタ様……おめでとうございます」

「ええええ!? 何が!? ナタリー」

「だって、その御姿。レイス様と……その……」

「え、待って。どうしてそうな……あ……!?」


 そこまで言って、わたしは思い出した。普段ミルク色をしたわたしの肌が、今はこんがり小麦色なのだ。身なりを整え、下着も着替え、髪まで整えたわたしの努力って、一体何だったんだろう? 


「ナタリーは嬉しゅうございます。レイス様とアンリエッタ様が遂に……嗚呼、嗚呼……」

「いや、待って。泣かないで!」


 レイに長く仕えて来たナタリーにとって、レイの成長は我が子のように嬉しいみたい。それはそうと突然目の前で涙を流すものだから、慌てて支度部屋にあった布を取り出してナタリーへ渡すわたし。暫くして平静を取り戻したナタリーへ髪を梳いて貰いつつ、わたしはそれとなく聞いてみる。


「今からナタリーのお化粧技術で、わたしの全身をミルク色へ変えるのは無理よねぇ?」

「それは流石に無理ですね、アンリエッタ様」

「ですよね……」


 これって……まさか、みんな気づいちゃうって事なの? そう、この小麦色の肌の意味を知っている人なら、昨晩何が起きていたか……気づいてしまうという事になる。これじゃあ気安く城内を歩く事も出来ないじゃないっ!? 


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