月齢は循環し、わたしが魔国に来てからひと月と少し過ぎた。レイは母の形見である杖を取り戻す事。わたしはお姉さまを救出する事。それぞれの目的のため、わたしは一度追放されたグリモワール王国へ身を隠し帰還する事となるのだ。
ジズさんからの報告によると、グリモワール王国での闘技大会開催は二週間後。わたしはそれまでわたしのやるべき事をすべく準備する事にした。
勿論、全てが成功するとは思っていない。お姉さま奪還は無理でも、〝常闇の衣〟を使った潜入で今のわたしに何処まで出来るか? そして、今回仮にお姉さま奪還は無理でも、お姉さまへ王国の真実を伝えたかった。王国が危険であるとお姉さまへ伝える事が出来れば、事態が好転する可能性もあるのだ。今は昼刻、潜入に当たっての確認事項をレイと話しているところ。
「闇の魔法具による補充もあるが、ジズの〝常闇の衣〟持続時間は丸三日だ」
「三日も!?」
レイからそう聞いて、わたしは思わず聞き返した。ジズさんが容易にグリモワール王国へ潜入出来る訳よね。加えて、ジズさんは風の魔法にも長けているらしい。馬車で十日、魔導車で五日かかる王国までの工程をたった一日で移動出来るんだそう。そう言えば、いつの間にかレイの呼び掛けに応じる場所に居ると思ったら、何度も王国へ潜入しているみたいだし。密偵って、そんなに凄いんだ。
「いざという時、ジズならば俺よりも早く、一瞬で王国を脱出出来る。当日は彼を頼れ」
「ありがとう、レイ」
「それと一週間後、俺たちは、魔国を魔導車にて出発する。ジズには先に行って貰い、当日現地にて合流する。訓練も必要だが、アンリエッタもアンリエッタの時間を大切にするといい」
「ありがとう、レイ。レイも……無理しないでね」
「ん? 俺の事は心配するな」
「はい」
実はあの謁見があった日の夜、わたしは見てしまったんだ。わたしの部屋から見える窓の外、お城の庭園でレイが夜な夜な一人鍛錬をしているところを。魔剣を使わず、銀色の刀身を持った長剣で、自ら出した数十体のゴーレムを次々に斬り落とす姿。身分を隠した上で闘技大会を勝つために、レイも準備をしているんだろう。
わたしもわたしがやるべき事をやらなくちゃ……。
「……問題は闇の魔力の補充と、魔法結界とお姉さまの結界よね」
その後、レイと別れたわたしはお城の外で一人、〝常闇の衣〟へ自身の闇の魔力を通す訓練をしていた。みるみるわたしの姿は目視出来なくなり、周囲から魔力も感知出来なくなった……のだけれど。
「え? もう?」
時間にして十分、直ぐにわたしの姿は見えるようになる。ジズさんに手伝ってもらいながらにしても、たった十分で何が出来るのか。続いてわたしは、ブレスレットのペリドットから、〝レイの魔力〟を補充する。
あ、レイの魔力……やっぱり温かい。彼は居ない筈なのに……口元がレイの温もりを感じ熱くなってしまう。
「はぁ、レイ……♡」
って、うっとりしている場合じゃないわ。今は訓練よ、アンリエッタ。魔力の補充のお陰で〝常闇の衣〟の持続時間はもう十分伸びる事となる。これ以上、レイの魔力を補充すると、わたしはある意味
「あ、でも……もうちょっとだけ。レイの温もりが欲しい……」
いつからこんな気持ちになってしまうようになったのか?
わたしにとっての大切な存在は、お姉さまだけだったのに。いつの間にか、今わたしの隣にはレイという存在が居る。一度追放され、人として失いかけた命を拾ってくれた存在。こんなわたしと、〝契り〟の契約までしてレイはわたしの傍に居てくれている。
「強くなるには……レイと……」
いつかの皇帝とレイの会話を思い出すわたし。お姉さまを救い出す目的のため、レイから魔力を〝譲渡〟してもらう一環として、口づけの向こう側へ……そんなこと。いいの?
『ま、いいんじゃない? アンリエッタ。あんたはあんたのやりたいようにすれば』
不意に思い出した言葉はお姉さまでも、レイの言葉でもなく、先日一緒にお話したミルフィー王女の言葉だった。
「わたしのやりたいように……」
わたしは左腕のブレスレットへ少しだけ、力を籠めた。
◆
夕食の時間、何を食べたのかは憶えていない。でも、わたしは凄く冷静で、まるでカオスローディアの城内を一周走って来たみたいに全身火照った身体をクランベリーのジュースで冷ましつつ、レイを見る事なく、黙々と食べ進めていた事だけは憶えている。
お風呂で汗ばんだ身体を綺麗に洗い流し、一人、湯船に浸かる。これでいいのよね、アンリエッタ。と何度も何度も言葉を反芻した。
夜は肌寒いので、下着の上から純白のローブを身に着け、一人回廊を歩く。自身の部屋へは入らず、そのまま進んだ先にあるレイの部屋の扉をノックする。
「失礼します、アンリエッタです」
「入れ」
扉の内鍵は掛かっていなかった。レイの黒いシルクのローブ姿を見たのはあの日以来だった。全身に彼の魔力を巡らせたままお風呂へ入ったため、余計に全身が火照っていた。肩まで下したレイの艶やかな赤い髪が美しい。レイへ促されるがまま、椅子へと座るわたし。勢いで来たものの、レイの視線が気になって、つい恥ずかしくなって下を向いてしまう。
「……来ると思っていた」
「え?」
レイの発言に思わずわたしは顔をあげる。
「夕食から様子がおかしかったからな」
「嗚呼……」
「クランベリージュースを七杯飲んでいたぞ?」
「ですよね……」
平静を保っているつもりだったけれど、どうやらレイにはバレていたみたい。身体は熱を帯び、両頬も火照っているけれど、意識ははっきりしていて酩酊状態ではない。
向かいの椅子に座って居た少し茶を淹れようかとレイが立ち上がろうとしたため、慌ててわたしはレイの右手を掴む。レイの右手は温かくて、彼と歩んできた歴史の重みを感じた。下を向いて、彼の事を直視出来ずに居ると、レイは再び座り直す。
「アンリエッタ、何かあったのか?」
「いえ、何もありません」
「では、何故此処に来た」
「それは……」
わたしは、どうしたいの? 次の瞬間、全身の血が沸き上がるかのように駆け巡った。レイと肌を重ねた初夜の事を思い出し、わたしは
純白のローブを縛って止めていた細い腰布を解き、床へ落とす。そして、真っ直ぐにレイを見つめ、わたしは彼へその言葉を伝えた。
「レイ、あなたが欲しいの。わたしを抱いてください」