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第32話 僅かな疑念

◆ <聖女クレアside ~三人称視点~> 


 クレアの前に謎の密告者が現れてから一週間が過ぎた。〝洗礼の儀式〟を途中で中断するという普段起こる事のない事態に翌日以降、エルフィン王子からも食事の誘いや街歩きの誘いがあったが、公務を理由にクレアは全て断っていた。あんなことがあった以上、幾ら婚約者であろうと誰かと食事を取る事すら自身の心が乱れそうだったからだ。


「こんなことでは聖女失格です。ちゃんと公務に集中しないと……」


 王都は広いため、当然汚泥を〝浄化〟をする場所は毎回変わる。今日の汚泥・・は心なしかいつもより腐敗が多くなっているように感じるクレア。アンリエッタが居ない今、腐臭と毒素により誰も近づけないこの場所の汚泥を〝浄化〟し、清浄な水へと還元出来る人物はグリモワール王国にてクレアしか存在しない。神殿の神官すら誰も近づけない中、眼前の汚泥に集中する聖女。


「大丈夫よ、クレア。アンリエッタはきっと生きているわ」


 両の掌から放たれた白く眩い光が瞬く間に腐敗の進んだ汚泥を包み込む。下水の流れるトンネルから外へと漏れ出した眩しい光に、地上にて待機していた神官達も慌ててクレアの下へと向かう。いつもながらに奇跡としか言いようがない光景に、取り巻きは皆、息を呑む。


 ゆっくりと息を吐き、振り返った聖女はひと言。


「終わりました」

「「「おぉおおお!」」」


 称賛の大拍手と共にこの日の公務を終え、神官と共に神殿へと帰還するクレア。そして、神殿の入口にてとある人物に呼び止められる。


「クレア。今日もご苦労様」

「これはこれは聖女様。ご機嫌麗しゅうございます」


「エルフィンと……あなたは確か……」


 エルフィン王子の隣に立つ丸眼鏡の男がクレアに向かって一礼した。貴族とも王族とも違う、魔法に対する防御魔法が施された赤紫色のローブに帽子。クレアは、ローブに施されている特別な金の刺繍から、推測されるある人物の名を口にする。


「ラーディ大魔導師長、ですね」

「おぉ! 名前を憶えていただけているとは至極光栄な事でございます。聖女クレア様」


 ラーディ大魔導師長。先代の王の時代より仕える年齢不詳の魔法使い。魔法により発展を遂げた王国に於いて多大な功績を遺した人物であり、現グリモワール魔導師団の長を務める存在。


「民の生活へ魔法を普及させた素晴らしい人物と聞いています。後世の魔導師の育成や、精霊魔法の研究もされているとか?」

「ええ、ええ、そうなのですよ! クレア様! 精霊魔法は素晴らしくてですね。精氣スピリッツを予め抽出してですねぇ、貯蔵する事で今までとは、想像もつかない規模の! 魔法が……!」


 丸眼鏡を光らせたラーディが突然食い気味に近づいて来たため、笑顔を張り付けたまま思わず後退しそうになるクレア。ラーディは横に居たエルフィン王子の咳払いで、我に返る。


「コホン。ラーディ。クレアが驚いている」

「おっと失礼。まぁ、見た方が早いですし、一度クレア様も魔導コロニーへご招待しますよ。魔導研究は日々進化しているのです。精霊魔法の素晴らしさをクレア様へ是非ご披露したい」

「ええ。その時は、是非ともよろしくお願いしますわ」


 ではこれにてと、一礼したラーディはその場を後にする。


「彼は何の御用だったのですか?」


 普段、城と同規模の広さを持つ、魔導コロニーと呼ばれる巨大な白い繭のような建物内に引き籠っている人物。クレアは純粋に、王子に何の用事だったのか尋ねてみた。


「ああ、今度、毎年恒例の闘技大会があるだろう? 知っての通り、あれは魔法や剣の才があれば、誰でも参加出来るんだが、賞金と別に用意された優勝賞品を今年は魔導師団から出す話になっているんだよ。何でも、膨大な魔力を溜める事の出来る精霊石が嵌め込まれた魔女の杖らしい」

「そう、だったんですね」

「あの戦争からもう十年だからな。魔国との休戦協定後、十回目を迎える今年はクレアも是非、特別席にて見学して欲しいんだ。民の士気もあがるからね」


 正直、クレアはあまり乗り気ではなかった。そもそも闘いに興味がなかったからだ。それに毎年、闘技大会後に傷ついた出場者を神殿の神官達が回復させていた事も知っていた。クレアは闘いを愉しむような人物ではないし、争う事は望まないのだ。


「エルフィンは出場しないのですか?」

「ふっ、僕が出たら意味がないだろう? 勝ってしまう」


 余程の自信なのだろう。彼は鼻で嗤っていた。実際のところ、エルフィン王子は強い。一度戦場へ出ると自ら先陣を切って剣を振るい、まるで地を奔る閃光のように敵を一掃していくその姿に、ついた異名は〝グリモワールの蒼き稲妻〟。今回王宮が賞金となる金貨百枚を提供するため、王子が出場する訳にも行かず、彼はクレアの横で一緒に見学するのだという。


「クレア、国のため、騎士団の者達も鍛錬している。それに、民衆の中にも、魔物討伐による素材回収などを生業とする強き者達も多数存在する。僕は有事のため、この闘技大会で、未来の国を託せる若者を見つけたいんだよ」

「そう、ですか」

「嗚呼。それに、他国からの参加も認められているため、国家間の交流も兼ねているんだ。グリモワールからは騎士団長のソルファも参加する。魔導師団から若手のホープも出場するらしい」

「もう、よろしいですか? 公務の後ですので、そろそろお休みしたいのですが」


 熱く語ろうとするエルフィンを途中で制止し、クレアはその場を立ち去ろうとする。すれ違い様、王子はクレアの腕を掴む。


「どうしたんだ? いつもは笑顔で話を聞いてくれていたじゃないか? あの〝洗礼の儀式〟以来、様子がおかしいぞ?」

「少し、疲れているだけです……失礼します」

「おい、クレア」


 声を掛ける王子を背にし、クレアは歩き出す。胸に手を当て、自身の魔力残量を測るクレア。最大800ある魔力が半分以下に減っている。それだけ〝浄化〟の魔力を使った事になる。


「そういえば、今日〝浄化〟した西地区の下水道……元を辿れば魔導コロニーと繋がっていたような……」


 神殿を除いたグリモワール城と同程度の大きさの巨大コロニー。魔導師団もあそこで鍛錬をし、市民の生活が潤うよう、魔法具や生活魔法の研究もしている……クレアはそう聞いていた。ラーディ大魔導師長は精霊魔法の素晴らしさを語っていた。普段のクレアならラーディの自慢話も、興味が無いエルフィン王子の闘技大会の話も聞き流していたかもしれない。 


『あんたの周りは敵だらけだ。だが、必ずどこかに味方は居る。己の信念のみを信じよ』


 あの謎の密告者の言葉を思い出すクレア。


「少し、調べてみてもいいかもしれません」 

 己の信念のみを信じ、聖女クレアは真実を知るために歩き出した。


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