「溶けましたわね」
「はい、溶けました」
苺を堪能するミルフィーと、魔国産パープルマンゴー、カオスキウイ、ブラックチェリーなどを堪能するわたし。苺もエルフの国シルフィリア産らしく、通常よりも大粒の苺はミルフィーの口元で溶け、彼女もわたしの前で両頬を押さえて昇天していた。
タルトを半分程食べたところでようやく違う世界へ旅立っていた心が戻って来たため、ミルフィーと少しお話をする事になった。お客さんの笑顔を見たミルフィーがぼそりと言う。
「こんな日常が、ずっと続いて欲しいわね」
「ミルフィー?」
聞くと、魔国も戦争直後は街でこうして美味しい物を食べられる環境はなかったらしく、これはレイやお城の人達が周辺諸国と同盟を結んで復興へ向けて動いた結果、今のこの幸せがあるんだそう。
「うちが周辺諸国との外交担当になったのは、この幸せが欲しかったからよ」
「ミルフィー」
ミルフィーもわたしと一緒。過去苦しい経験をしたからこそ、今の日常を守りたいんだ。わたしの場合はそれがお姉さまと過ごした日常だった。守りたいものがあるからこそ、前を向いて頑張れる。レイやミルフィーが守る魔国の人達の幸せ。お姉さまが守るグリモワール王国の人々の幸せ。知ってしまった王国の闇。では、わたしが守るべきものは?
「嗚呼そうだ、一つ忠告しておくわ。街で〝浄化〟の魔法は控えなさい」
少し小声で、周りに聞こえない程度の声で話すミルフィー。
「え? それは……」
「……グリモワールを恨んでいる人が沢山居るから」
「あ」
そうか。表通りはキラキラしていても、裏通りには貧民街があり、戦争孤児や盗みで生活する者も沢山居るという。裏があるのは王国も魔国も同じ。魔国の場合は更にそこへ〝闇の魔力〟が蠢く。戦争の相手だったグリモワール王国を憎む人が居て当然だ。
「ま、アンリエッタ。あんたがグリモワールから追放されたって話はノーブルからちゃんと聞いたわ。最初ほど、あんたに対する憎悪は消えているし、うちの事は気にしなくていいわよ?」
「……」
言葉が出ない。彼女へ何と声を掛ければいいのか。少し考えたわたしは、正直な気持ちをミルフィーへぶつけてみる事にした。
「わたし、グリモワールの闇からお姉さまを救い出したいんです。王国は腐っていた。わたしとお姉さまは無知でした。あそこで生活している人々も同じ。腐敗した王宮と貴族達を何とかしないと、また戦争が起きてしまう気がする」
わたし達を裏切った王子や貴族の人達は許せない。その気持ちは変えられない。でも、再び戦争が起きて、王国や魔国に住む何も知らない人々の生活や日常が脅かされる事は避けたい。わたしは傲慢で我儘な魔女なのか? そこまで話したところでミルフィーが言葉を挟んだ。
「面白いわね、アンリエッタ」
「え?」
ミルフィーの口元は少し緩んでいた。
「だって、アンリエッタは復讐を望んでいるのに、救済したいとも思っているんでしょう? やっぱりあんたは魔女であって、聖女なのよ」
「それは……」
「ま、アンリエッタ。あんたがもし只の復讐の化身だったら、此処までうちも話す事はなかったでしょうから、あんたはあんたのやりたいようにすればいいんじゃない?」
「ごめんなさい、なんか相談しているみたいになってしまって」
「別に構わないわよ。あんたうちより年下なんだから、その、お姉様? を救出する迄の間くらい、うちがお姉様になってあげるわよ」
あれ? お友達じゃなくてお姉様? 何か終着点が違うような気もするけれど、ミルフィーとお近づきになれたという意味ではいいのか。
「ありがとう。よろしくお願いします、ミルフィーお姉さま」
「お、おね!? ミルフィーでいいわよ!」
「お姉さま♡」
「それ、止めなさい!」
「はい、ミルフィーおね……」
「氷漬けになりたいの?」
「すいません」
こうして残っていた紅茶を飲み、タルトを堪能したわたし達はお店を出る。そして、お店を出たところで突然、遠くから誰かの叫声が聞こえ、ミルフィーとわたしは声のした方へと駆け出す。十字通りから一本内側へ入ったところ。裏通りから出て来た誰かが暴れている。背中からどす黒い何かが溢れ出ている。あれは……
「妖氣に充てられているわね。強硬で止めるわよ」
大男は全身を黒く染め、あろうことか口から火球を吐き出し、辺りへ巻き散らす。瞳孔は開き、鋼のような腹筋に、全身の筋肉が膨れ上がった巨躯の身体は最早人間離れしている。街の建物へ飛び移りそうだった火の玉へミルフィーが素早く氷塊をぶつけ、威力を相殺している。
ミルフィーの登場により、大男は両手から、口から連続で火球を放ち出す。一瞬、こっちを振り返ったミルフィーがわたしへ目配せする。成程、そう言う事か。
この隙にわたしは大男の背後へと回り込む。周囲へ気づかれないよう、左掌に薄っすらと〝浄化〟の魔力を籠めて。
「うが……うがぁああああ」
「アンリエッタ!」
それまでミルフィーを見ていた大男が振り返り、先程迄とは違う、巨大な火球をこちらへ向け、放っていた。魔法結界は間に合わない。迫る紅蓮色。でも、わたしは本能で気づいていた。この火球――避ける必要はないと。
「ぐご?」
「炎は、わたしの専売特許です」
わたしの顔よりも大きな火球を右掌で受け止めたわたしは、そのまま火球の回転を静止させ、掌で火球の威力を吸収していく。炎の威力が弱まったところで右手を横に凪ぎ、小さくなった火球を地面で爆ぜる。
一瞬狼狽える大男のお腹へ左手を当て、〝浄化〟の魔力を注ぎ込む。全身を黒く染め上げていた
「もう、心配無さそうね」
「はい」
「お嬢さん方、助けてくれたのか? すまねぇ」
「裏通りは妖氣の巣窟よ? 気をつけなさい」
「んだ。気をつけるべ」
大男がわたし達に一礼し、遠巻きに見ていた人々も集まって来る。踵を返し、逃げるようにその場を立ち去ろうとするミルフィーと後を追うわたし。どうやら王女という立場上、あまり目立ちたくないみたい。十字通りへ戻って来たところで、ミルフィーはようやく後ろをついて来ていたわたしの方へ振り返った。
「〝浄化〟の魔法、使ったわね?」
「ごめんなさい。見てられなくて」
「冗談よ。あんたが使うと思って陽動に徹したのはうちだから、想定内よ。ちゃんと周囲へ気づかれない程度に力を抑えていたみたいだし」
「昔から困っている人を放っておけなくて。お姉さまの影響なんだと思う」
返答を聞いた上で、ミルフィーはわたしに向かって微笑する。
「ま、いいんじゃない? アンリエッタ。あんたはあんたのやりたいようにすれば」
ミルフィーのその言葉に、それまでの冷たさは一切無かった。