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第8話 王子との契約

「ねぇねぇ、やった! わたし、やったわ、レイ」

「初めて〝譲渡〟を受けて酩酊・・しているな、アンリエッタ」

「ん? 何のこと? それより! えへへ、凄いでしょう! レイ」

「嗚呼、それでこそ俺の女だ」

「え? 何の事?」

「アンリエッタ、俺と共に来い。俺と〝契り〟の契約を交わす事で、お前の願いは成就する。姉を救いたいんだろう?」


 姉を救う。わたしの脳内で、その言葉が反芻される。それにこの低い声がなんだか心地いい。お姉さまを救う。そうだ、わたしがこうしている今でも、あの下衆王子がお姉さまを襲おうとしているかもしれないのだ。


 頭の中へ王子に対する怒りが沸々と煮え滾って来る。お姉さまは聖女として利用されているだけ。それを救えるのは、真実を知っているわたししか居ない。


「レイ! あの下衆王子。許せないの! お姉さまを救えるのはわたしだけ。お姉さまを救えるんなら、わたし、契約だって何だってするわ」

「そうと決まれば〝契り〟の契約は改めて明日、執り行おう。アンリエッタ、俺と共に来い」

「分かったわ、レ……あれ?」


 心地いい気持ちのまま、ふわふわとした浮遊感に包まれながら、レイの顔がだんだんとぼやけていき、わたしはレイの腕の中へ凭れ掛るようにして、そのまま気を失った。



…………



……



「いやいや待って。何も憶えていないんですけど!?」


 翌朝、目が覚めると見た事のない部屋で寝ていたわたし。思い出せ、アンリエッタ。一体何があった。どうしてわたしはこんな豪華な天蓋付きのベッドで寝ている? 昨日の事を思い返してみる。確か、美味しい食事を戴いた後、闇の魔力に汚染された池を浄化しようとして……魔力が足りなかったわたしはレイと口づけを交わして……。


 そうだ、すっごく温かくて、こんな温かい何かが注ぎ込まれる経験なんて今までしたことがなくて、わたしのはじめてで……。


「あああああああ」


 キスー! 恋人だったソルファ・ゴールドパークは形式上紹介された相手で、キスなんかした事がなかったのだ。あのとき、身体中が温かくなったのはきっと、レイの魔力が流れて来たからだ。

「〝譲渡〟の力って言ってたっけ?」 


 あれは闇の魔法だ。全身に溢れる魔力で、あの後わたしは池の水を全て〝浄化〟してしまったのだ。そして、王子と何か会話をして、気づいたら此処で寝ていたんだ。 


「って、あれ? わたし、王子の事、いつの間にかレイって呼んでない?」


 王子様を呼称で呼ぶなんて、グリモワール王国なら流刑か、死罪だ。わたし、今日王子様に出逢ったらそのまま島流しにされたりして……ははは。わたしはお姉さまを救わなきゃいけないのに……あ、そうだ、お姉さまだ。確か、レイと、お姉さまを救う話をしていたんだ。何かすごーく重要な事が抜けている気がしてならないんだけど、レイはきっとお姉さまを救う話に協力してくれるとかそういう話だったんだろう、きっと。


「おはようございます。アンリエッタ様。夕べはお疲れ様でございました」

「おはようございます。侍女さん」

「ワタクシの事は、ナタリーとお呼びください。朝ごはんの支度が出来ております故、顔を洗って来てください」

「分かりました。ナタリー、ありがとう」


 夕べ……はきっと池の浄化の話が既に出回っているんだろう。桃色のドレスへ着替えさせられたわたしは、食事会場へと向かう。向かう途中でも兵士へ侍女の人とすれ違い様に一礼される。昨日と今日で何かが違う。食事会場である広間の入口にはモノクル執事のアーレスが待機しており、ナタリーと案内役を入れ替わる。


「おはようございます、アンリエッタ様。既にレイス様は席に座っておられます」

「おはようございますアーレス……って、嗚呼!? レイス様も一緒なんですね!?」

「勿論、今は国王である皇帝が体調を崩されており、妹である王女様も遠征に出られております故、不在ですが、揃った際は改めてご挨拶の場を設けさせていただきます」

「えっと、そうなのね。丁寧に教えてくれてありがとう」

「では参りましょう」


 緊張というか、もう昨日の今日で顔が見れないじゃない。わたしが入室したのに気づいたレイス様はじっとこちらを見ている。せめて笑ってくれたらいいんだけど、切れ長の瞳で真剣な表情でこっちを見ているものだから、余計に緊張する。


「レ、レ、レ、レイス様。お、おはようございます!」

「おはよう、アンリエッタ」

「えっと、きょ、今日はいい天気ですねぇ~?」

「いや、朝から曇っているが?」

「はははは、そうでしたか!? お隣失礼致します」

「構わぬ。それにレイでいいと昨日言った筈だぞ?」


 あ、気づかれた。いいのか。いいんですね。という事は、あれは夢じゃなかったという事ですね。


「失礼しました。国王や王子様を呼称で呼ぶなど、自国では死罪でしたので……」

「アンリエッタ、俺はお前を貶める事などはせぬ。安心しろ」

「わ、わかったわ。レイ」

「よい」


 昨夜の出来事なんてなかったかのように平然とした態度で接してくる王子の様子に戸惑いつつも、これ以上見つめられると口から魂か何かが飛び出して来そうだったので、眼前の食事に集中する事にした。


「では、お食事、いただきますわね」

「ああ、いただこう」


 今日はグリーンサラダに半透明なお野菜のスープ、またふわふわの焼きたてパンとバター。あとはこちらもふわっふわの卵だ。ベーコン肉が添えられていて、シンプルだけど美味しそう。まずはお野菜のスープをひと口に含んで……。


「アンリエッタ、〝契り〟の契約の件だが」

「ブフォッ!?」

「アンリエッタ様! 大丈夫ですか!?」

「だ、だいじょうぶです」 


 わたしが突然野菜スープを噴き出したものだから、部屋の隅に待機していたナタリーさんが慌てて駆け寄って来た。


「ナタリー! スープが熱かったんじゃないのか!? すぐ取り替えろ!」

「レイス様! アンリエッタ様、申し訳ございません! 今すぐ取り替えますので!」

「あ、違う。違いますから! レイ、だいじょうぶ。ナタリー、拭いてくれてありがとう」


 ようやく息を整えて、レイとナタリーの誤解を解いたところで訪れる平穏。スープを噴き出したあの瞬間、昨日の朧気だった記憶が鮮明に蘇ったのだ。


 〝契り〟の契約――文字通り婚姻を意味する結婚とは別で、魔法陣の描かれた専用の魔導紙に血の刻印をし、互いの魔力を通わせ契約を結ぶ事で、互いの魔力を譲渡し合ったり、互いの能力を高め合ったりする事が可能となる契約結婚の事を示す。但し、契約結婚した者同士は事実上、婚姻を結ぶ事が通例のため、契約結婚は、魔法を介した婚約行為とも言えるのだ。


(わたし、レイからの結婚しようの台詞に〝はい〟って言わなかった? き、気のせいよね?)


「で、アンリエッタ。話が逸れてしまったが、〝契り〟の契約はこの後、儀式の間にて執り行おうと思うのだが、構わぬか」

「あ、あの! ちょっと、昨日は突然の出来事に酩酊していたというか、あれ、半分勢いでして……」

「そうか、では姉を救うという話も絵空事だったというのか?」


 レイのその言葉にわたしは、卵に入れていたナイフを止める。今、こうやって平穏な日常を過ごしている間にも、お姉さまは王国に利用され、やがて、魔の手に堕ちる可能性が高いのだ。一刻も早く、お姉さまを救わなければならない。その事実に間違いはなかった。


「いえ。お姉さまを救いたい気持ちは本当です。それに……」


 元恋人のソルファ・ゴールドパーク。彼も結局、王子が聖女を、神殿の力を利用していた事実を知っていた。神殿以外は貴族も皆、知っていると。それが事実ならばつまり、グリモワール王国は、下衆王子とその取り巻きである貴族も皆、腐っている……という事になる。わたしはレイへ向き直り、続けた。


「あの国は腐っています。わたしや姉を冒涜した報いを受けて貰わねば」

「俺とお前ならば、それは可能だ。そもそも我々魔国カオスローディアの領地をグリモワール王国は狙っている。奴等が己の利権や私欲しか考えていない事は周知の事実。俺は次期国王として、国を守らねばならん。そのためにはお前が必要だ、アンリエッタ」

「あくまでわたしを利用する……という事ですよね」

「お前がそう思うのならば、それで構わぬ」


 そうだ、結局のところ、レイもわたしの力を欲しているだけ。ただ違っている事は互いに利害関係は一致しているという点。互いに利用し合う。協力者。契約結婚は文字通りの関係で、そこには愛情なんてない。ならば、話は早いじゃない。


「いいわ。じゃあ、その〝契り〟の契約。お受け致しますわ」

「よし。では食事の後に準備させよう」


 レイがアイコンタクトをした瞬間、侍女のナタリーとモノクル執事のアーレスが退席する。その契約の準備とやらをしに行ったのだろうか?


 彼等が何を準備していたのか……それはこのあと、知る事になる。



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