◆ <アンリエッタSide ~一人称視点>
二週間振りのお風呂から上がると、国の侍女らしき方々がわたしを出迎えてくれた。絹糸で出来た美しいローブを着せられ、わたしはそのまま広間へと案内される。大人数同時に食事が出来そうな長く大きなテーブル。そこに絢爛豪華な食事が並んでいた。
椅子の横に待機していた人物は、先程のモノクルを身に着けた若い執事。わたしの前で恭しく一礼をした彼は、挨拶をしてくれた。
「今日からアンリエッタ様のお目付け役を拝命しました、アーレスと申します。アーレスとお呼び下さい。以後、御用がありましたら何なりとお申し付けくださいませ」
「えっと、アンリエッタです。アーレス、宜しくお願い致します」
執事のアーレス。髪は黒髪、見た目はとても優しそうなわたしより少し年上な印象の執事さん……なのだが、その瞳だけが違っていた。赤い虹彩に真っ直ぐ細長い黒の瞳孔。さながら蛇のよう。この人は人間なのだろうか? その瞳が醸し出す雰囲気が、悪魔を連想させる何かを持っていた。
「明日からは王子と一緒に食事となりますが、本日はこちらでお召し上がりください」
「ちょ……ちょっと待って下さい」
「どうかなさいましたか?」
「えっと。わたしは……奴隷として飼われたのではないのですか?」
「え? レイス様より聞かれていないのですか? あ、あの人不器用だものな……しょうがないよな……うん」
「あ、あの?」
何か突然独り言が始まった。暫く独り言を呟いていたアーレスさんだったが、やがて咳払いをしたのち、こちらの世界へ戻って来てくれた。後々王子様より直接説明があるだろう、心配しなくていいと安心させようとするモノクル執事。これ、何かの罠なんじゃないか?
グルルルル――
警戒心よりも先に、ここ暫く芋煮とパンしか食べてなかったので、眼前に並ぶ食事に自然とお腹が鳴ってしまった。まぁ、万一
「あの……本当にこれ……食べていいのですか?」
「ええ、勿論です」
「いただきます」
大きな鳥の丸焼きは七面鳥だろうか? 野菜と根菜を透明な皮で巻いたものにオレンジのソースがかかっている前菜。パンプキンスープに牛肉のローストビーフ。焼きたての小麦の香りがするパンもとっても美味しそう。
スープからひと口いただく。甘い。自然な南瓜の甘味が身体に染みる。前菜の短冊状に切った野菜も美味しい。オレンジのソースは少し酸味を利かせてあって、野菜の旨味を引き立たせてくれている。
前菜を食べている間に取り分けてくれた鳥の丸焼きは、
魔国は周囲を岩山に囲まれており、海がない。そのため、野菜や果実、きのこ類、家畜と狩猟などで獲った野生動物の肉を主食としているらしい。一瞬アーレスから魔物の肉……のような言葉も飛び出したんだけど、そこは聞かなかった事にした。
「食事は堪能していただけたようだな」
「レイス王子! あ、あの。ありがとうございました」
「構わぬ。食事が終わったら、ちょっと来て欲しいところがある」
「はい、承知しました」
何処へ連れていかれるのだろう? 城の広い敷地内を暫く歩く。そこは城の中庭らしき場所だった……のだが、わたしは思わず口元を押さえた。草木は枯れ、紫色に染まった池からどす黒い靄が出ている。あの靄は……毒だ。これは、グリモワール王国の汚染された水よりも酷い。
「闇の魔力によって汚染されていますね」
「光ある限り、必ず闇がある。表裏一体、これは我々魔国カオスローディアが闇の力を受け入れて来た代償だ」
これはあくまで城の敷地内にあった一部の光景。つまり魔国の惨状はもっと酷いという事になる。闇魔法の扱える者は、取り込んだ闇の魔力を欲望や憎悪・怒りなどにより増幅、それに意匠を籠める事で様々な効果を齎す事が出来る。
聖女の〝加護〟と対を成す悪魔の〝契約〟。聖魔法と闇魔法。聖の魔力で大地を照らせば土地は潤い、闇の魔力で国を満たせば、やがて国は汚染される。人間が闇の魔力を制する事が出来なければ、人は狂い、果ては人である事を止める。それだけ闇の魔力は危険な代物なのだ。
「王子、食事のお礼です」
池の前へ立ち、わたしはゆっくりと息を吐き、両手を横に広げる。
「創世の女神=ミネルバの加護の下、我は照らす。深淵の闇を!」
両の掌から放たれる、暖かく淡い光。女神の〝加護〟の力のひとつ、〝浄化〟の魔法。やがて白い光が池全体を包み込んでいく。どす黒い靄が光と共に消失し、少しずつ澄んだ水へと浄化されていく。
「コフッ!」
あともう少しで〝浄化〟が完了する……というところでわたしは口から血を吐いた。
魔力切れ――魔法は体内の魔力が無ければ使う事が出来ない。駄目だった。結局わたしでは魔力が足りない。お姉さまでなければ……疑似聖女じゃあ何処へ行っても役になんて立たないんだ。
「アンリエッタ。充分だ」
いつの間にか王子がわたしの肩を抱きかかえるようにして支えてくれていた。
「ごめんなさい」
「問題ない。俺が居る」
「え? それってどういう……」
「お前は既に俺のモノだ。理解しろ」
「んん……!?」
それは、突然の出来事だった。王子の柔らかい部分がわたしの口元と重なっていた。え? これって……キス?
と同時、わたしの脳内に何かが駆け巡り、全身が温かくなっていくのを感じる。王子の口元から流れる心地いい何かがわたしの身も心も満たしていく。身を預けていたわたしは王子に抱き起され、その場に降り立ったわたしは淡い光に包まれていた。自身の身体と両手から溢れ出しているもの、それは……先程消費した筈の魔力だった。
「嘘……なにこれ? レイス様?」
「これが闇の魔法だ。あと俺の事はレイと呼べ」
「レイ? わかったわ、レイ」
「やれ、アンリエッタ」
何故かこの時のわたしは、彼の言葉に
「これが……わたしの力?」