「ソ、ソルファ様!? どうして!?」
「それはこっちの台詞だ、アンリエッタ。どうして俺様の未来の婚約者である君が王子へ掴みかかっているんだ!?」
ソルファ・ゴールドバーク――グリモワール王国の有力貴族であるゴールドバーク家の嫡男で、わたしがお付き合いしている相手。お姉さまから名前が出た時に改めて思ったが、わたしはこの人を完全には信用していなかった。それは、ゴールドバーク家は国の闇に繋がっているという噂があったから。ただ神殿に紹介されただけの相手であり、わたしは身も心もこの人に捧げてなんかいなかった。
「ソルファ、君の彼女を止めてくれ。僕が国を脅かす反逆者だの罵って、この子は僕へ掴みかかって来たんだ」
「アンリエッタ! 王子に掴みかかる事がどういう事か、分かっているのか!? 俺様が来て居なければ、今頃国家反逆罪で死罪になっていたかもしれないんだぞ?」
「も、申し訳ございません。ソルファ様……エルフィン王子」
「いやぁ、エルフィン王子。朝から
「ああ、頼んだソルファ」
「ほら、こっちに来い、アンリエッタ」
王子の部屋から無理矢理連れ出されたわたしは、嗜まれるようにソルファから追求される。エルフィン王子の行為を彼に進言してもよかったが、そもそもソルファを信用していないわたしは、早くこの場をやり過ごしたかった。
「何をやっているんだ、アンリエッタ」
「ソルファ様。申し訳ございません。止めていただきありがとうございました」
「分かればいいんだ。気をつけるんだぞ」
「はい。では失礼します」
ソルファ様を適当にあしらって朝食会場に向かおうとしたわたしだったが、その目論見は外れる事となる。
「どこへ向かっているんだい、アンリエッタ」
「え?」
回廊を曲がったところに何故か兵士が待機しており、わたしは取り囲まれる。そのまま両腕を掴まれ、わたしの両脚が宙に浮く。それまで紳士な姿勢を保っていたソルファの口元は既に歪んでいた。
「駄目だよ、アンリエッタ。大人しく従順な俺様の女として、聖女の妹として振る舞っていれば、少しは使い道があったかもしれないのに」
「ソルファ様、どういう!?」
「何を言っているんだ? 聖女は枯れるまで使い倒す。それがグリモワール王国の有力貴族と王族の共通認識。知らないのは君と君の姉だけさ。こやつを連れていけ!」
「は!」
「離して! ちょっと!」
わたしはそのまま魔力が封印される結界の張られた地下牢へとぶち込まれる。そして、数日後、わたし、アンリエッタ・マーズ・グリモワールは国家反逆罪の罪を言い渡される事となる。
きっと、お姉さまが帰って来る前に事を済ませたかったんだろう。引き出しに忍ばせた手紙はどうなっただろう? 侍女に見つからない事を祈るしかない。
今となっては、お姉さまとの唯一の繋がりは、お姉さまから十歳の誕生日に貰ったペリドットのネックレスだけ。身ぐるみ剥がされた時に口の中へ含み、今は下着の中へと忍ばせている。これだけは死守したかった。
グリモワール城下にある中央広場にてボロボロの布に身を纏ったわたしは、両腕を縛られたまま罪状の書かれた主文を読み上げられる。
「アンリエッタ・マーズ・グリモワールを国家反逆罪により、魔国カオスローディアへの追放の刑に処す」
民が広場を囲む先、遠くから王子とソルファ卿がわたしを見ている様子に気づいた。わたしの視線に気づいたのか、声は出さずして王子の口元だけがゆっくり動く。
『ぼくはかんだいだろ? しなずにすんでよかったね』
口の動きは確かにそう言っていた。震える両手から怒りが溢れそうになるのを押さえ、わたしは兵士に連れられその場を後にする。お姉さま、真実を伝える事が出来ずにごめんなさい。もし、わたしが生き延びたなら、王子の魔の手からお姉さまを必ず救ってみせます。それまでお姉さまも生きて下さい。
わたしアンリエッタはこうして魔国へと追放される事となる。
――
◆
一体どれくらい揺られていただろう? 足枷をつけたまま布地一枚の服で荷馬車へと乗せられ、外の景色が見えないままの長距離移動。荷馬車を覆った布の隙間から僅かに見える星空と日光が、日数の経過を知らせてくれた。魔法を扱える者ならば、魔力を資源とし、風の精霊の力を借りて移動する三輪の魔導車があるが、罪人にそんなものは用意されている筈もない。夜は隙間からの風が寒いので、荷馬車の端に積まれた藁を布団にし、眠る。
食事は中継地点で荷馬車へ放り込まれるパンと芋煮のみ。だが、食事よりも何よりも、監視がある中、森の中で用を足す事がただただ惨めで嫌悪だった。
恐らくわたしは、魔国カオスローディアの奴隷市場で売られるのだろう。一般的に魔力を持つ者は居るが、女神さまの〝加護〟の力を扱える者は少ない。その中でも、人々の傷を癒す〝治癒〟の力は神職の者ならば扱える者が存在するのだが、特に〝豊穣〟や〝浄化〟の力は民に崇められる奇蹟の力とされている。グリモワール王国の王子のような欲深い人間に飼われない事を祈るしかなかったが、悪い噂しかない魔国へ追放された以上、わたしにはもう、姉を救うどころか自身の未来すら残されていない気がしてならなかった。
「おい、着いたぞ。降りろ」
グリモワール王国追放から恐らく十日程たった頃、外から声を掛けられた。ようやく足枷を外され、虚ろな眼で荷馬車から降りると、巨大な漆黒の城がわたしを出迎えていた。本で見た事がある。山の中腹に位置する魔国の居城は、悪魔の瞳で城下を見下ろし、いざ戦争となれば難攻不落の城と言われているのだと。
グリモワールの兵が何やら入口の門兵と二、三会話し、やがて巨大な漆黒の扉が開く。
両端に出迎えた石像は、三つの頭がある犬を象っている。これは確か、地獄の番犬と言われる悪魔ケルベロスだ。
――空気が重たい。
青空はなく、空全体が薄雲に覆われているように見えた。重たく澱んだ空気の中に聳え立つ巨城はカオスローディア城。神秘的な白を基調とし、女神を祀る神殿が併設されたグリモワール城とは対極を成す漆黒の城。カオスローディアの城は、魔国の名に相応しい佇まいをしていた。
魔国の兵に連れられ、城の中へ足を踏み入れる。途中から執事のような格好をしたモノクルの男性へ引き渡されたわたしは、謁見の間らしき場所へと通された。でもきっと、この後地下牢へと連れ込まれ、そのままきっと、奴隷市場へ売られるんだわ。
「例の者を連れて参りました」
「ご苦労、下れ」
「は」
その冷たく低い声に思わずわたしは声をあげる。
玉座には、燃えるような炎を閉じ込めたかのような赤い髪の男が座っていた。