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第136話 転換点

『男が、女から逃れ、封鎖された建物の外に出る』


 無理難題である。


「こんなことは言いたくなかったんだけどさ」


 十和田とわだ雄一郎ゆういちろうが潜む物陰は、大奥にいる男どもへ、女たちが給仕をする。そのための狭い通路のうち一つであった。

 男というのは、『身体的に弱い』ので大事にされる。それが高じて『精神も弱い』。

 また、多くの男は『自分たちは貴重なので大事に扱われるが、それは女が絶対的に強者だからであり、もしも女が急にむらっと・・・・きてしまうと、抵抗もできずされるがままになる』ということを本能的に理解している。


 だからどういう話かと言えば、『男はなるべくなら、女の姿も見たくない』のだ。


 そのため、『大奥』の世話役には『男性の前に姿をさらさない』という気遣いも必要になる。

 そういった気遣いの果てに造られた細く、人目につかない通路。そこが今、十和田雄一郎と──


「なんでしょう、雄一郎さん」


 宗田そうだはくが潜む暗闇であった。


 雄一郎は、細く狭いそこに背中と足裏をつけるようにして腰を下ろし、横に立つ白を見上げる。


 見上げて、しばらく、口を開いて、閉じて、視線を背けて、向けて、ということを繰り返したあと、


「……いざとなったら、僕を囮にして逃げろよ」


 苦々しい声を出した。


 白はその様子に、びっくりして沈黙したあと、噴き出した。


「そ、そんな嫌そうなら、そんなこと言わなければいいのに……」

「僕だって言いたくなかったよ! でもさあ……『ここ』だと思ったんだ」

「……何が、でしょう?」

「僕が、僕の力で、僕自身を変えるには、『ここ』なんだ。『ここ』が、僕の転換点なんだよ」

「……」

「ここでお前を見捨てて逃げたら、僕は、百花繚乱ひゃっかりょうらんで景品にされる前の僕のままだ。一生、そのままだと思う。だから……僕は、僕らしくない決断をしなきゃいけない」

「……雄一郎さん、」

「何も言うな! 僕も僕で精いっぱいなんだ。優しい言葉は禁止だ。辞退するようなことも言うな! ……女の集団に追いかけられて、探されてる。しかも見つかれば……あの『天使』見たろ? あの、胸を放り出すような恰好……肉食獣の目をしていた。あんなヤツに捕まってみろ! 恐ろしい目に遭うに違いない……くそ、恐ろしい目に遭うとか言うなよ、決意がにぶるだろ!」

「僕は何も言ってませんが……」

「わかってるよ! ああダメだダメだ。こうして決意すると悪いことばっかり頭によぎる! 白、何か面白い話をしてくれ」

「ええ!? いきなりそんな……」

「なんでもいい! 天女教にさらわれる前の生活とか……僕らの共通じゃない話題がそれしかないな。くそ、やっぱりいい」


 そこで雄一郎が引き下がった理由を、白は理解した。


 千尋──正しくは、雄一郎が『いるだろう?』としつこく聞いてきている、『姉か妹』の話になると、彼が判断したからなのだろう。

 白は故郷でのことをまったく語ろうとしない。

 それは、よくある『天女教にさらわれる前の話が、男性にとってタブーだから』というのとは少し違う。天女教の施設内で思い出話をして、捕捉されてるんだかされてないんだかわからない千尋ちひろの存在が、天女教にバレるのを避けるためだった。


 白がそうやって故郷でのことを話したがらないのを知っていたから、雄一郎は、遠慮をしたのだ。

 ……あの雄一郎が。白に気遣って、遠慮を、したのだ。


 現在の白の状況──

 先日のやりとりで、天女その人には知られることになってしまったし、白をここまで連れてきた乖離かいりも、千尋の存在は承知の上だと発覚した。

 それまで本当に気が気でなかったのだ。兄の存在がバレて、そのせいで兄まで捕まるようなことになってはいけないと、そう思って、少しの情報も漏らさないように、白は故郷でのことについて口をつぐんできた。


 だが……


(雄一郎さんはたぶん、百花繚乱で兄さんに会ってるんだよね)


 会った上で『女』だと思っているということは、女装などしてうろうろしているのだろう。

 雄一郎もまた百花繚乱でのことについて有益な情報は語らない(僕がこんな活躍をした! というあからさまに脚色された自分主人公の話だけはよくする)が、話の端々にわかることもある。


 それに……


(彼は『男』だよね、兄さん)


 苦境にあって他者を助ける意思を持つ者。

 いじめられていた自分を助けてくれた兄と似た部分だと言える。


 だから、白は……


「僕の故郷は『男隠し』の罪とかで、焼かれましたけど……」

「僕が囮になろうっていう話をしてるのに故郷が焼かれた話なんかするなよ! 僕も焼かれそうだろ!」

「あ、いえ、すいません。えっと……僕には確かに、双子の兄弟がいました」

「何!?」

「その人は、いじめられてる僕をいつも助けてくれたんです」

「……なぁ、そいつの名前、聞いてもいいか?」

「はい。その人の名前は、」



「見ィつけた」



 狭い、『男性の目に触れぬように』という意図で造られた通路──


 そこの出口から、中を覗き込む女がいた。


「くそっ、見つかった!」

「雄一郎さん、早く!」


「逃がさないよォ。通路の出口にも仲間が回り込んでるからねぇ」


 長い、先の割れた舌をちろちろさせあがら、髪の毛の左半分をそり上げ、右半分だけ長く伸ばした女が語る。

 その目はギョロギョロと左右別にうごめいており、瞼には金属の鋲で装飾があった。


「なんでこの通路が『大奥』に不慣れな連中に見つかるんだよ!」


「声がでかいからさァ」


「くそ! 僕のせいじゃないか!?」


 男性だけで話す機会が多いと、男性の声は無意識に平均音量が大きくなりがちである。

 女性に対していると女性は自然と男性の声に耳をそばだてるので声量が小さくても通じるのだが、男性しかいない空間だとはっきり発音しないと聞きとってもらえないため、そうなっていく。

 この声の大きさは無意識のうちに増していくものであり、特に雄一郎は『天女教は間違えている。男性は自由だ!』という演説みたいなものをよくしていたので、誰よりも声が大きな男でもあった。

 ……その演説、思想実現のための『脱走路探し』の経験が、こうして長々と『女から逃げ延びる』という偉業をさせていたのはある。


 だが今、追い詰められた。

 狭い通路の出口と入り口をふさがれると、どうしようもない。


「キヒヒヒヒ! サクヤ様に献上しちゃうよォ!」


「お、女が、男を大人数で追い立てて、追い詰めて、恥ずかしいと思わないのか!?」


「恥ずかしいねェ」


「だろう!?」


「恥ずかしくて興奮するねェ」


「!?」


「あたしはねェ……男性に蔑まれるのが好きなんだよォ!」


「くそ、厄介すぎる……!」


 白は追手と雄一郎との会話がコミカルすぎて気持ちの置き所に困り始めていた。

 しかし絶体絶命の状況であることに変わりはない。

 ここからどうにかする手段も──


「なら、舌割れ女! お前に決闘を申し込む!」


 ──ない、と思われたのだが。

 雄一郎が意外なことを言いだしたので、女の笑いがぴたりと固まる。


「……なんだってェ?」

「決闘だ! そちらの代表者と、こちらの代表者が一対一で戦い、勝った方が要求を呑ませる!」

「……」

「それとも、男に仕掛けられた決闘を受けられないのか!?」

「蔑まれるのが好きだからねェ」

「くそ、本当に厄介すぎる……!」

「でも、いいよォ。軽く寝かせたら二人ともついてきてくれるんなら、サクヤ様に『傷つけた』って怒られなくて済むからねぇ」


 舌割れ女が舌なめずりをする。


 白は、雄一郎の着物の袖を引っ張った。


「雄一郎さん、勝ち目なんか……」

「でも他にやりようがないだろ! ……白、さっき言った通りだ」


 さっき言った通り。


 ──いざとなったら、僕を囮にして逃げろよ。


「……できません」

「やるんだ。いいから」


「で、決闘はどっちがやるんだァい?」


 勝てない。

 絶対に負ける。


 白は、男性と女性の絶望的な戦闘能力の差を知っている。

 地元の幼馴染たちにさえ手も足も出なかった。それを、天女教の、たぶん戦いの訓練をしている人になんか、勝てるわけがない。


 女に勝つというのは奇跡だと、体験と、天女教総本山で男たちと話すうちに、学んだ。


 ……だが。

 その『奇跡』を成す男を、一人だけ知っている。


 白は、思わず、祈った。


「…………兄さん」


 その祈りは──



「その決闘、俺が引き受けよう」



 ──届く。


「あ、ヘッ……」


 後ろから一撃加えられた舌割れ女が、ずるずると崩れ落ちていく。

 そうして、女の影から現れたのは……


「相変わらず声が大きい男よなぁ、十和田雄一郎。……それに、白か」


 宗田千尋。


「千尋ぉ!」

「兄さん!」


 雄一郎と白が同時に歓喜の声をあげ、


 雄一郎が、白を振り返り、


「え? 『兄さん』?」

「あ」


 ……今まで知ることのなかった事実を、知ることになったのだった。

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