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第135話 合縁奇縁

『大奥』──


「あのカワイイ子はまだ見つかんないのお?」


 周囲に男たちを侍らせ、爪を磨かせている女がいる。


 ゆるく波打つ茶髪を肩あたりまで伸ばした女だ。

 年齢は若い。いまだ十代後半という若さでこの女──


 ──すでに、天使である。


 これは珍しいことだった。

 特に現代の天女の御代になってから、『天使』は実行部隊という側面が強くなった。だからこそ強さが必要だった。

 その上で現天女天宮売命あめのみやびのみことは品格も見る。

 さらにさらに、専門的知識・技能まで見られる。


 正直なところ……


 この天使、山里やまざとサクヤにとって、現在の天使は窮屈で仕方がなかった。


「いい子ちゃん天女サマの下にいた時にさぁ。すっげー締め付けられてたわけよ。わかる? アタシさあ、締め付けられるより締め付ける方が好きなワケ」


 胸元を派手に開いて豊満な胸を大きく出した巫女装束。

 改造されて星や花などの刺繍が刻まれた丈の短い緋袴。

 よく磨かれ、小さな宝石の粒を張り付けられた飾りデコレーションネイル

 健康的で魅惑的な褐色肌の、けだるげな眼付きの女は、周囲にいる部下どもに言葉を続ける。


「何より気に入らないのがさあ、あの女──乖離かいりだよねぇ? 同年代なんだっけ? あの片目の老け顔が? 同年代だからって何かと比べてさあ。っていうかあの女、暴力以外ねぇじゃん。アタシはいろいろできるわけよ。ねえ、お前らもそう思うでしょ」


 山里サクヤが呼び掛けると、「はい、もちろんです!」と彼女の前にいる──


 彼女の目の前で土下座する、全身をムチで打たれた女どもが、無理やり作らされた笑顔で、全力でサクヤを肯定した。


 サクヤは気だるげにため息をつき、


「アタシはさあ、愛され系っていうか、お前たちがアタシのために一生懸命やってくれるでしょ。自慢の部下たちなワケ。一人でいることが恰好いいと思ってる乖離とかいう陰の者とは違うわけよ。そうでしょ?」


 はい、その通りです! とムチで打たれた女どもが唱和する。

 サクヤは変わらず、けだるげに言葉を続けた。


「だっていうのにさあ」


 男に磨かせていた爪を顔の前にかざして見つめ──


 不意に、立ち上がる。


 同時、ムチが振るわれていた。


 それはすさまじい音を立てて、土下座をしていた部下の背中に当たる。


「あ、ぎゃああああああああ!」


「うるっせーんだよ役立たずが! お前らを信じてやってんのにさあ! あの生意気な十和田とわだ雄一郎ゆういちろうも、アタシが一目ぼれしたカワイイ子も、まだ見つかんねーってどういうことなんだよ!? やる気あんのか!? アァ!?」


 打擲ちょうちゃく


 鋼の糸が縒り合されたムチが、女の肉を叩く。


「アタシが期待してやってんだから応えろっつーの! あっ、最悪。せっかく磨かせた爪が割れちゃったじゃねーかよ!」


 打擲。


 打擲。


 打擲。


 ムチで肉を打つ音が幾度も響き……


 叩かれていた女は、動かなくなった。


 そこでようやく山里サクヤは「はぁ」と気だるげなため息をつき、再び腰かける。

 周囲に侍らせていた男たちはすっかりおびえた様子だが……


「爪」


 とサクヤが手を差し出すと、震えながらも爪磨きを始める。


「……ま、いいか。うん、ごめんね。アタシも強く言いすぎちゃったっていうか。アタシら大奥に近寄らせてもらえなかったもんね。ここ入り組みすぎー。ね、だから黙ってないでなんか言いなよ」


 叩かれていた女は、動かない。

 もう、動かない。


 サクヤはため息をつく。


「それ、片づけといてくんない? あとさ、早いところ、大奥の男を全員確保してほしんだわ。これ『お願い』ね。んじゃよろ~」


 いまだムチで打たれぬ部下たちが、「はい、わかりました!」と強要されたような笑顔でハキハキ返事をし、駆け出していく。

 ……大奥を担当させられた者、山里サクヤ。

 欲望のままに振る舞い──


「いやー、ほんと。早く自由にヤりたいわー」


 ──さらに際限なく求める、サルタ陣営の天使。



「というわけで、現在はサルタが『大奥』、『サルタ院』を支配し、我々は総本山正門を背にしつつ、『宮売みやび院』を確保。ここを本陣としてまずは、大奥奪還をしようというところですね」


 天女教謁見の間。


 そこは現在、ミヤビ派教団員たちの本陣かつ軍議の間となっているようだった。


 すごく当たり前みたいに連れてこられて、すごく当たり前の感じで状況説明が始まり、すごく当たり前みたいな感じで、


「それで千尋ちひろたちにやってもらいたいことなんですが」

「待ってほしい」


 協力を求められ、千尋は言葉を遮った。


 ミヤビが眠すぎて不機嫌みたいな感じで黄金の瞳を細め、「なんです」とドスさえ利いているように感じる声を発する。

 だが千尋、そんな声にひるむタマではない。


「そもそも俺は、天野の里攻めが本当にミヤビ殿の指示であったのかを聞きに来ただけだ。別にそなたを助けに来たわけではないぞ」

「なんでわたくしが天野の里を攻めなければならないんですか。あれはコヤネの独断です。だいたい、あいつが出兵した時、わたくしは『塔』におりましたが」

「いや別に出兵は事前に指示しておけばよかろう?」

「やってないって言ってるんですが」

「そうか。わかった。では俺の用事は終了だ」

「え、まさかここから帰るつもりですか? 相変わらず正気じゃないですね」

「とはいえ本当に用事はそれだけなのでな」


 という会話の外から、笑い声が聞こえる。


 その声の主は、隻眼の、背の高い、理想的な体躯をした女──

 天使・乖離である。


「千尋、本当にすごいな、お前は」

「すごいというか、俺はここに来た目的があり、それをこなしただけだ。そもそも、『流れ』でこちらを巻き込もうというのは気に入るところではないぞ。このまま『なあなあ』で俺たちを巻き込むなら、本当に帰ろうというところだ。十子とおこ殿もそれでよかろう?」


 声をかけた先にいる十子は神妙な顔で乖離を見ている。

 しばし、沈黙。


 それから、耐えきれないというように頭を抱え、「ああああああああ!」と叫んだ。

 周囲にいる天女教団員たちがおどろく中、十子は叫ぶ。


「そもそもだよ! そもそもさあ! なんでてめぇがこっち陣営にいるんだよ、乖離ぃ!」


 乖離はこれにきょとんとする。


「いや、私は天使なので、天女様に仕え、この危機に力を発揮するのは当然だが」

「そんなタマかよお前がァ!?」

「何を興奮している?」

「興奮せずにいられるか! この状況は……この状況はさあ、さすがに、想定してねぇよ!」


 十子にとって乖離は『斬るために半生を費やした相手』である。

 そして、乖離を斬るための剣をついに完成させ、千尋にあずけてある。

 だがその乖離と千尋は現在、まったく斬り合う雰囲気ではない──どころか、ミヤビに『同陣営の仲間』みたいに扱われている。


 確かに『そう』なのだろう。

 ミヤビが大変な時というのはすなわち、天女教が大変な時だ。

 だから十子の個人的な目的よりも優先すべき大義があるのはわかる。わかる、が……


「ちょっと黙っとくわ……いろいろ、整理が必要だ」

「そうか。茶でも飲んでいるといい」

「乖離ィ! てめえがあたしを気遣うんじゃねぇ!」

「難しい女だな、相変わらず」

「相変わらず!? これが『相変わらず』に見えるのか!?」

「千尋、私が話しかけると十子がどんどん興奮していく。どうにかしてくれ」


「そうだな。おいとまするとするか」


「ちょっと待ちなさい。何を普通に帰ろうとしているんですか。ここはわたくしに力を貸す流れでは?」


「いやだからな、『流れ』の中でなあなあでやらせようというのが気に入らん」


「では『塔』での約束を履行してください」


「そうか。では手伝おう。俺は誰を斬ればいい?」


「…………面倒くさっ! 本当に面倒くさいやつ!」


 周囲の教団員がおいてけぼりになるほどの、てんやわんやであった。


 比較的常識人寄りの者が精神的に疲れ果てる中、話し合いがようやく進む。


「……サルタがわたくしに宣戦布告をした時点で、わたくしはあいつを斬れませんでした。それはあいつが『大奥』を人質・・にしていたからです。なので、まず、大奥を取り戻す必要があります」


「人質をとるような輩が目の前に素首をさらしたのなら、その場で斬ってしまえばよかったではないか」


「……万が一にも人質の男性たちが傷つけられたらどうするんですか。男性はちょっと撫でただけで死ぬんですよ」


「いやそこまででは……」


「とにかく、『大奥』を奪還しないことには打って出られません。その役目を、乖離と千尋に任せます」


「というか人質をとられている状態で、『まだ降参もしていない、思い切って敵に攻めかかってもいない』という状況をよく形成できたな?」

「わたくしがさせているのは、あくまでも『山門の警備』です。サルタの院に攻めかかるなどすればさすがに向こうも男性を無事には済ませないでしょうが、さりとて、男性の命と引き換えにわたくしの首を差し出させるほどのことはさすがに不可能とも理解しているのでしょう。複雑な利害のやりとりによる均衡状態にあります。話を進めていいですか?」

「そうだな。状況を理解したので、やりようもわかった」

「聞きましょう」

「俺と乖離とで忍び・・こむ・・のだろう? そうして、中にいる敵戦力を撫で斬りにする」

「……理解した上で、その余裕のある態度なんですよね」

「そうだな。死ぬかもしれんが、まぁ、その程度だ」


 そこでミヤビが気まずそうに視線を泳がせたあと、口を開く。


「……千尋。お前に頼るのは、本当は、最終手段です。……お前になんか頼りたくなかった。お前を危険な場所へ送り込むことなどしたいわけがない」

「つまり今がまさに『最終局面』ということか」

「……ええ。ここでいつまでも大奥を確保されていると、いずれ……そうですね。政治的な話、軍事的な話、地政学的な話はおいておいて、人斬りにもわかるように単純に言いましょう。わたくしは今、首に縄をかけられているも同然の状態であり、大奥にいる男性一人一人が、わたくしの首が締まらぬための命綱です」

「すべて斬れればそなたが死ぬと」

「ええ。少なくとも『天女・天宮売命』は死ぬでしょう。だからこそ、わたくしは動けない。サルタも、派手な行動はできない。代わりに、地味に、わたくしの首を絞める圧を上げている──といったところです」

「話はわからんが状況はわかった。ま、大奥の確保が重要で、確保さえできれば、そなたが出られる」

「わたくしが出たならば、すべて終わらせます。ですが、」

「その前に均衡が崩れれば、相手も思い切る・・・・というわけか。……いやはや、嬉しいな。そなたの命をあずけられている、というわけか」

「わたくし一人の命などどうでもいい。ただ、サルタを天女にするわけにはいかない。あいつは……天女の座に座ってはいけない女です」

「ま、そのあたりはどうでもいい。ともあれ──」


 千尋は腰の刀に手をかける。


 細女断うずめだち

 女を斬る刀。


 それが、


「──刀がざわついている。いやはや、誠、いいちまた、いい戦である。これで心が躍らぬは、人斬りではない。ゆえに、だ。助太刀いたそう。ミヤビ殿に、そして、乖離にもな」


 奇妙な縁から、仇と男が同道する。


 天女教総本山の戦──


 まずは大奥確保のため、二人の人斬りが、潜り込むこととなった。

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