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第130話 帰る場所

 宗田そうだ千尋ちひろが天女教総本山に発つことになったのは、結局、天野の里で青田あおたコヤネを倒してから十日も経ったあとになってしまった。


 鞘の完成を待ってすぐに行こう──という話だったのだが、唐突に千尋が高熱を出して寝込まざるを得なくなってしまったのだ。

 これには天女教に襲撃を受けた日を超えるほど周囲の者どもがあわてふためき、方々の伝手を使ってあらゆる薬を取り寄せようとするし、周囲に置いている天女教軍は集団で祈りを捧げ始めるし、休んでいる場所の前に神棚が設置されて祈祷なども始まる始末で、もうちょっとしたお祭り騒ぎと言ってしまえるほどであった。


 この高熱の原因、病ではなく疲労である。


 そもそも千尋は『塔』での戦いで大けがを負ったあと、まともに休むことなくそのまま天野の里に来た。

 天野の里に来てからも、休憩などしている余裕があるわけもなく戦いに明け暮れ、しかもその戦いは『対大軍』であり、足を止めては死ぬからとにかく走りまくるという運動戦であった。


 千尋には技術がある。

 だが、千尋の肉体は弱い。


 特に『一日中走り回る』『けがをしているのに動き回る』などのことをすると、如実に体の弱さが出る。

 技術で疲労を隠すことはできるし、長距離を走りながら呼吸法によって回復を続けるなんていうこともできる。

 しかし心肺を追い詰めない呼吸ができたところで、走り続ければ関節や筋肉はへたれるのを避けられない。

 ……あと、千尋視点で情けない話なのだが、いい刀をもらってはしゃぎすぎたというのもあり、十日も寝込む有様、というわけだった。


 だがそのお陰で、意外な再会があった。


「まさかそなたが見舞いに来てくださるとはなあ……久しいな、金色こんじき殿」


 金色。

 遊郭ゆうかく領地紙園かみそのの領主である。


 千尋のことを男だと知る人物であり、現在は遊郭領地もいろいろと変わっている様子なので、大変な時期であるはずだが……


 金色は遊郭領地内のような派手な服装ではなく、比較的地味な色合いの旅装であった。

 だが目を惹く黄金の髪と、顔に走る傷がより色気を引き出すような面魂つらだまは、服装がどうであれ、強烈な魅力を彼女から発せさせていた。


 天野の里・領主屋敷の一室で向かい合う金色は、「いやぁ……」と言葉を探すように視線を泳がせ、


卒業・・したねえさんが『天野の里が天女教に攻められてるから力を貸してくれ』ってんで、こいつはあたしが直接見なきゃならん話だろうと思って来たわけなんだけど。……意外な再会だねぇ、本当に」

「なんと、紙園に縁のある御仁が天野の里のために尽力したのか」

「なんか街道で旅籠はたごやってるらしいってことでね」

「……あの女将か」


 千尋が天野の里を出発する際に酔客に絡まれた場所であり、戻る際には荒くれ七人女を拾った場所である。

 なおその七人女、天野の里を救ったお礼に武器を打ってもらえることになり半数ほどが大層喜んでいる。もう半数は今回の件で懲りたようで、田舎に帰って畑でも耕そう、などと言っているらしい。


「ま、そういうわけで、とりあえず手近なモン連れて、薬だの食い物だの持って来たわけだけど……なんだい千尋、またやらかしたみたいだねぇ」

「今回やらかしたのは、どちらかと言えば俺ではなく天女教の方だぞ」

「そうだねぇ、こいつは直接来てよかった案件だよ。……紙園にゃあ、力はないが伝手はある。天野の里に恩を売りたいし、アンタらへの恩も返したい。……そもそもね、あたしがここに来たのは、姐さんに言われたからって以上に、危機に陥ってたのが十子とおこ岩斬いわきりの故郷だからなんだよ」

「ふむ……」

「天女教の今回の狼藉、さすがに目に余る。紙園は天野の里に味方するよ。あたしらが騒げば、目を向けたり手を貸したりする領地もあるだろうし、もう軽々に手出しはさせないさ」

「それは心強い。……まぁ『天女教の』かどうかは、わからんが。これから確認に行くところだ」

「確認?」

「うむ。ちょっと総本山をたずねて天女に真意を聞こうと思ってな」


 そこで金色が口を開けたまま固まった。


 千尋は首をかしげる。


「どうした?」

「……いや。いや。まぁ、そうだねぇ。アンタはそういう男だよ。また敵の本丸に真昼間から突撃かい?」

「天女に面会する権利がある。今回は、紙園の第一くるわにお邪魔した時のようにはならんさ」

「だといいがねぇ」


 千尋の行く道がそんなに平穏なわけないだろ、というのが言葉の裏にぎっしり詰まっていた。

 もううるさいほどに伝わってきて、千尋は笑った。


「はっはっは。……まあ、な。俺の行く道だ。いつでも、誰と出会っても、『これが最後の面会になるやもしれん』という気持ちはある」

「……断られそうだけど、もう一度言うよ」

「そうか。『断る』と言っておこう」

「ウチの店で働き──早いんだよ答えが!」

「そちらもそちらで『戦場』なのは理解しよう。だが、俺の求める戦場ではない」

「……だろうよ! ったく、本当にもったいない! アンタならきっと紙園を今の十倍、いや二十倍豊かに大きくすることだってできるだろうに!」

「そいつは買いかぶりすぎだろう」

「いいや、買いかぶりじゃあないね! ……ま、だからさ。天野の里でも、あたしの店でもいい。嫌んなったら、訪ねておいで」

「……」

「帰る場所を用意ぐらいはしてやるよ。気が変わる、ってことはないんだろうけどね」


 千尋は、『気が変わった』自分を想像してみた。

 この世界で穏やかに、この世界の『男』として、魅力を活かし、人と交わり、誰も殺さぬ道を歩む己を、想像してみた。


 ……想像、しようとしたのだ。


 できなかった。


「そうなった俺はきっと、俺の姿をしているだけの別人だなぁ」

「……」

「おそらくその『俺』は、綺麗な白い魂をしているのであろうよ。うむ。すなわち、俺が俺である限り……」


 そこから先の言葉を言おうかどうか、千尋は迷った。

 思いついた言葉があまりにも他者を突き放しすぎるように思えたからだ。


 だが、突き放さなければきっと、金色はいつまでも自分の『安穏たる暮らし』を夢見て、あきらめてくれないとも思った。


「……俺が俺である限り、『帰る場所』など必要ない」

「……」

「人斬りは前へ往くだけだ」


 金色はしばしの沈黙のあと、「そうかい」とだけ応じた。


 ……人斬りは往く。

 次なる目的地は、天女教総本山だ。

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