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第129話 兄だか姉だか弟だか妹だか

 宗田そうだ千尋ちひろ──


 の、弟。

 宗田はくは、天女に呼び出されて、謁見の間にまで来ていた。


 そこは白い薄絹で装飾された畳敷きの広い空間であった。

 通常、この部屋が使われる時には、天女教内部の重鎮が多数いるらしいのだけれど、現在、この部屋にいるのは……


 宗田白。

 その正面にある一段高い座敷、影のみが透けるような布の向こうに、天女・天宮売命あめのみやびのみこと


 そしてその座敷の横に控えるように、刀を腰から外し、右手に持って立つ者は、長身にして優れた筋骨を持つ体を惜しげもなくさらす、毛皮と袴という出で立ちの、眼帯をした女……

 白のいた村を滅ぼし、白をこの天女教総本山まで連れてきた、乖離かいりであった。


 白はその二人の女性を前に正座をさせられているわけなのだが。


(……なんで僕は呼び出されたんだろう……)


 ここに呼ばれた理由について、何も聞かされていない。


 いくつかの心当たりは頭をぐるぐるとめぐる。


 たとえば、最近よく一緒にいる(白の視点では『付きまとわれている』と言うべきかもしれない)十和田とわだ雄一郎ゆういちろう。彼の『男らしくない』急進的な思想は有名だ。

 賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんから戻ってきて以来、前よりは地に足の着いた言動をするようになった。だが、そのことが逆に疑いを呼び、雄一郎のことについて何かを取り調べられるんじゃないか──という可能性。


 ……それに何より。

 兄のこと。


「宗田白」


 天女の声が薄絹の内側から発せられる。

 通常、天女がこのように直接他者に声をかけることはない。だいたい、そばに仕える天使が彼女の発言を聞き、人に伝えるという役割をする。


 想像していたよりずっと幼い声だったけれど、白は固まった。


「直答を許します」


 天女はどうにも、白の沈黙を『礼儀作法を気にして直答を避けた』と受け取ったようだった。

 しかし実際のところは、礼儀作法として直答をしなかったというよりも、天女という『ウズメ大陸の最高権力者』から発せられた声に、うかつに何を答えても自分の隠していることを見透かされ、何かをとがめられ、そうして見とがめられた『隠していること』がなんであれ、ひどい罰でも受けるんじゃないか──と、そういう、『絶対的権力者を前にした時、当たり前に抱く緊張』が、白から言葉を奪っただけだった。


 天女を相手には誰だってそうなるはずだ。

 何せ天女とはウズメ大陸を支配する最高権力者。数々の大名領地から年貢を納められる立場であるし、当人も神の血筋なだけに精強だと聞く。

 これを前に無力な男が緊張し、失言を恐れて押し黙ってしまうのはあまりにも当たり前と言えた。天女を前に緊張せずに話ができる男など、よっぽど危機感がないか、己に自信があるかのどちらか、もしくは両方を兼ねた者である。


 天女は再びしばらく沈黙していた。

 だが白が相変わらず発言をしないのをどう受け取ったのか、少しばかり不機嫌そうな声になって、続きを発する。


「あなたには兄か弟がいますね」

「…………」


 白の視線が反射的に乖離の方を向いた。


 乖離──

 彼女が白の兄である千尋の処遇を、白に話すことはなかった。


 白もまた、兄がうまく逃げ延びた可能性に賭けて、乖離に『実は兄がいます』などということを白状することはなかった。


 ……だから白は、兄である千尋の安否を知らないという状態だ。

 迂闊に兄はどうなったかを聞いて、もしも乖離に兄の存在を発見されていなかった場合、藪をつついて蛇を出す結果になるからだ。


 少なくとも、自分の入れられた天女教総本山の『大奥』には兄の姿はないので、捕まっていないか、別の場所にいるのか……

 あの兄ならばうまく逃げ延びたと白は信じている。


 だが今、天女、白、乖離しかいない謁見の間で、天女が千尋の存在について切り出したということは、


(バレてる、のかな)


 そう判断できる。

 そして、白が次に考えたのは、乖離のことだった。


(もし、兄さんを取り逃がしたと天女様に知られたら……乖離さんは、どうなるんだろう)


 大奥内で聞くところによると、今の天女様はかなり失敗に厳しい人だという話だ。


 その天女様にもし、『千尋を取り逃がした』という乖離の失敗を知られたら、乖離はどうなるのだろう?


 白は……

 自分を守りながら総本山に戻る道中、ずっと乖離と二人きりだった。


 特殊な環境の村で育ったのもあるが、白は女性のことが得意ではない。

 ギラついた目を向けて来て、鼻息が荒くて、じろじろとこちらのことを嘗め回すように見てくる……

 大事にされていたのは否定しないけれど、その『大事』も牛馬とか、そのうち絞める鶏とかに対する『大事』で、そこがどうにも不気味で、あまり得意ではなかった。


 だが、乖離は非常に淑女的に接してくれた。


 村を滅ぼした人だから、当然、恨みはある。

 だが、ともに旅する中で、彼女が乱暴ではなく淑女的で、彼女なりの立場の中で、最大限自分に便宜を図ってくれていたのも、わかる。


 だから白は乖離に一種の恩義のようなものを感じていた。

 ……義務だから、仕事だからそうしたと言われれば、まあ、そうなのだろうけれど。それでも、乖離が不利になるような証言をするのは迷うぐらいに、心理的に乖離に寄っていたのだった。


「千尋という名の兄か弟がいますね」


 白が何も言わないので、天女の質問がどんどん具体性を帯びてくる。


 白はやはり乖離を見た。

 乖離は肩をすくめ、鼻から息を吐く。


「天女様、白様に代わり」総本山において男性は天女以外から『様』付けで呼ばれる。「私が返答をしてもよろしいでしょうか」


 そこで訪れた沈黙はとても重苦しいものだった。

 少なくとも白にとっては生きた心地のしない静けさだった。


「……いいでしょう。許します」


 天女がそう述べると、乖離は「ありがとうございます」と述べ、天女の方へ向き直って片膝をついた。


「宗田千尋なる者、確かに宗田白の家族でございます。天女様の命にて男隠しの村へ行った際、私はこれを発見し、取り逃がしました」

「なぜ、存在を報告しなかったのですか?」

「失態を知られることを恐れました」

「では──なぜ、わたくしのいる塔へ、千尋を導いたのですか?」

「……」

「『失態を恐れた』? あなたが? 下手な嘘は結構です。わたくしがあの時に『塔』へ行くことを知っていたのは、あなたとコヤネのみ。事後に知った情報から考えるに、あなたがサグメを処した場で千尋と出会い、その時にわたくしの居場所へ千尋を導いたと考えるのがもっとも自然です。それとも、『天女様のお導きによるめぐりあわせ』などという言い訳を使いますか?」


 そこで乖離は──


 笑った。


「いやはや失礼。ミヤビ様・・・・はやはり聡明なお方だ」


 その声音に宿る親しさは、まるで姪や歳の離れた妹を褒めるようなものだった。

 天女も天女で「本当にムカつく女」と、これも怒りよりも親しみを感じさせる声音で応じた。


「乖離、あなたの実力と、『その感じ』をわたくしは好みます。しかし、あまりわたくしを試さない方がいい。わたくしは、天女なのですよ」

「わかっておりますとも。……あなたに会えるかは、賭けでした。しかし、千尋は一度、あなたを見ておくべきだと思ったし……あなたならば、あの『塔』でさえ、必ず千尋に出会うものと、そう考えておりました」

「根拠は」

「それこそ『天女様のお導きによるめぐりあわせ』でございます。……あの者、『何か』に愛されている。感じませんでしたか? あまりにも異質。あまりにも異様。力ではなく、技でもなく……その心のありようが、この世界の者ではない、と」

「……」

「そういうわけでして。あの者に、最高の『女』を見せたかった。女として、神力しんりき使いとして隔絶したあなたを見て、それでも折れなければ……くくくっ……いよいよあの者は『本物』だ。それで、どうでしたか?」

「ムカつく男でした。亡き兄を思い出させます」

「それは重畳」


 乖離は肩を揺らして笑い──


 白の方を振り返った。


「白様、お気遣い、誠にありがたく存じます。しかし、千尋を取り逃したのは、私のとが。あなた様が抱え込む必要はございません」

「……そんなことは」

「何、もしもミヤビ様が私を手打ちにしようとおっしゃるのであれば、それはそれで、面白い。この乖離、己を叩き折れる者との立ち合いは望むところでございますので」

「…………えぇ?」

「冗談です」


 まったく冗談には聞こえなかった。


 ミヤビは薄絹の向こうで「そういえばコイツもそうだった」とげんなりした声を発していた。


「宗田白」


 今度の天女ミヤビの呼びかけには、不思議なことに、先ほどまであった権力者特有の重苦しさは感じられなかった。

 だから白は「はい」と戸惑いながらも返事をすることができた。


「あなたは千尋なんかに似てはいけませんよ」

「…………えぇと」

「あの男が、『塔』でわたくしに行った乱暴狼藉について語り聞かせてあげましょう。……聞きたくはありませんか? あなたの兄だか弟だかのことを」


「ミヤビ様、男だとわかって総本山に引っ張ってこなかったというのは、少々問題ですよ」


「お前が言う? ……では、限りなく男のように感じられるけど推定男であって女、というような存在にしておきますか。では白、兄だか弟だか姉だか妹だかの話を聞きたくはありませんか? というか、聞きなさい。他言無用ですよ」


「はあ」


 天女の圧は強いのだが、これもやはり、先ほどまでの、権力者特有の──『どこか遠い場所にいるお方』みたいなものではなかった。

 強いて言うなら泣きそうな小さい子がぐぐっと黙り込んでいる。そういう時の迫力だ。


 だから白は押し切られるように、兄だか弟だか姉だか妹だかの話を聞くことになる。

 愚痴なのかのろけなのかよくわからない話が始まり……


(……兄さん、相変わらずなんだなあ)


 長らく触れてこなかった兄の話題。

 兄の安否がようやくわかり、安堵の息を漏らすことになった。

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