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第128話 天女教総本山のざわめき

 天女教総本山──


 その奥の奥にある謁見の間の中。純白の紙が壁に垂らされ、純白の石造りの床の中、御簾みすの内側にて、天女・天宮売命あめのみやびのみことは、このような議論を聞いていた。


青田あおたコヤネの天野あまのの里攻め、なぜ天女様はそのようなことをなさったのか!」

「だから天女様のあずかりしらぬことであると……!」


 天女のいる御簾を挟むようにして、最上位の神官たちが激しく議論を交わしていた。

 ……いや、それは議論というより……


(水掛け論、責任の押し付け合い。派閥の分断)


 つまり、政治だ。


 当代天女は若い。そして、急激な改革をした。

 そのせいで天女教内部がもともと『天女派』と『反天女派』にわかれつつあり、このたびの青田コヤネの独断による天野の里攻めで、二つの派閥の間にある亀裂がいよいよ修復不可能なところまで広がったと、そういうわけだった。


(この議論の時間に、いったいどれだけのことができるでしょう。反対派を残らず斬り捨ててしまえれば、どれほど早いことか)


 御簾の内側でミヤビは考える。

 そうしたい。が、そうしない。

 すべてを暴力で解決しよう──というようには、実のところ、ミヤビは思わないのだ。


 当代天女は『女性に強くあることを奨励する』『男を隠す者に重罪を課す』『男をすべて天女教で管理しようとする』などという改革を行っており、そのせいで気が短く専横的で、敵対者に容赦をしない性格だと思われている。


 だが、違うのだ。

 そもそも、本当に『容赦しない』なら、現在、天女教総本山の人員は半数がすでに殺されているだろう。


 ミヤビはわかっている。手続きや法に則らない暴力が、必要な女からの反発も生むということを。

 暴力で解決できないことはこの世にあまりに多いことを、知っている。……『強いだけ』で成せることなど、この世にはあまりにも少ないのだと、知っているのだ。


 ミヤビにとって『強さ』とはあくまでも前提条件。

 その上で、が重要なのだ。強いのは当然として、その上で、意思を持ち、危機感を持ち、能力を持った者が男性を守る。そのための制度改革。そのための政治。そのための……


 この、無駄と思える議論時間である。


(……とはいえ、あまりにも水掛け論が過ぎる。何か……時間を稼いでいるのでしょうか。はあ。必要とはわかっていても、こういう無駄な時間より……)


 あの、『塔』において。駆け抜けた時間のような。

 なんの不安も心配もなく刃を振るい、それだけでいられる時間の方が、心地よく、愛しい。


 ミヤビは議論を目の前に、あの時のことを思い出す。

 そうして、こっそりと、聞こえないようにため息をついた。



「おい、はく。お前は僕の弟も同然だ。何か困ったことがあったら、この僕に──十和田とわだ雄一郎ゆういちろうに相談するんだぞ!」


 宗田そうだ白は戸惑っていた。


 天女教総本山、男たちが集められ暮らしている場所。通称『奥』。

 そこには様々な男がいるわけだが……


 賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんから戻ってからというもの、この十和田雄一郎という男がやたらと絡んでくるのだ。


 世話好きというわけでもなかったと思う。そもそも、白にとって、この男がいきなり世話焼きみたいなことをし始めたのはまったくの唐突だ。

 賭博船での経験で何かの心に目覚めたのはわかるのだが、別に白以外に対してこういうふうに世話を焼きたがることもないので、その理由が本当にわからない。


「僕のことは兄だと思ってくれていいからな」

「はあ……」

「ところでお前、本当に、姉か妹はいないのか?」

「いませんが……」


 兄ならいるが──とは、口にはできない。

 ここは『奥』。


 男性のみが過ごす場所ではあるが、どこに天女教の耳目があるかわからないのだ。


 そうやって白が『いない』と答えると、雄一郎は「うん、そうか、そうだよな。そうだ」と何かに勝手に納得して、


「まあ、言えないこともあるだろう。僕はお前を急かさない。お前が本当に僕を信頼した時……打ち明けてくれればいいからな!」

「はぁ……」


 本当にわけがわからない。

 悪い人というわけではないのだが、どうにも、自分の世界に最初から最後までいるので、何を言いたいのかがさっぱりわからないのだ。


 白はそんなふうに雄一郎にわけのわからない絡みをされながら……


(兄さん、無事だといいけれど)


『男』のことを思い出す。

 天女教総本山で『奥』に入り、改めて特異であることがわかった、兄のことを。



 夜……


 天女教総本山の建物、その屋根の上で、乖離かいりは月を見ていた。


(腹が、ざわつく)


 何かを予感している。

 それは最近やけに顕在化している、天女教内部の派閥闘争のせいだろうか?

 それとも青田コヤネが軍を連れて起こした騒ぎが運んでくる、次なるトラブルだろうか?

 あるいはもっと他の、端緒さえつかめない『何か』を感じている?


 乖離は、眼帯に隠された目をさする。


 思い出すのは、幼馴染のことだ。


(……十子とおこ。お前は、お前の価値を知らない)


 乖離。

 天野あまの十子岩斬いわきりの処女作。


 この刀を巡った争いを、十子は知らない。

 もとより天野の里を警備する自警団だった乖離。幼馴染であったために処女作を贈られたただの少女が、この史上最高の刀を贈られた時に巻き込まれた、いかにも俗世臭い戦いを十子は知らない。


(お前はもう、私にとって『過去』だ。けれどな十子。人は、過去の上に現在を生きている。……お前の刀を奪って売り払おうとした者がいたこと。あの時点ですでに、お前の刀にはどうしようもなく俗世の金の匂いがこびりついていて、それを狙う者がいたこと。お前には、知ってほしくなかった。お前にはただ一心に、最高のものを打ってほしかった)


 だから、この刀を狙った者を斬った。

 むごたらしく斬った。

 里の者だということなど関係がなかった。純粋な者を汚さんとする者、それは、この刀を贈られた自分が斬るべき敵だった。


(だが、その行動がお前に異形刀なんていうものを打たせることになってしまった。……お前は刀匠として終わってしまった)


 純粋なものの、純粋さの結実。

 乖離はそれを美しいと思う。守りたいと思う。

 だが、自分のせいで、十子の純粋さはその輝きを失い、最高の刀匠は玩具造りしかしなくなってしまった。


 ……けれど。


(なぜだろう十子。『乖離』がざわめいている。……打ったのか、『刀』を。私のざわつきは──そのせいなのか、十子?)


 わからない。

 わからないが、居てもたってもいられない。


 乖離は、我知らず笑っていた。


 何かを予感し──


 笑っていた。

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