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第123話 男と女

「参ったな、『胸の小さい女』とごまかすわけにもいかんか」


 男と女。


 まずは骨格が異なる。

 特に腰の形が顕著だ。女の骨盤と男の骨盤とは、その機能面からそもそも形状が違う。一言で言ってしまえば、女の体は骨盤の形状ゆえにくびれができる。男の体にはできない。それはこのウズメ大陸においても、そうであった。


 そして脂肪のつき方が違う。

 わかりやすいのは胸や尻の肉付きだ。女の体は胸や尻に脂肪がつきやすく、丸みを帯びやすい。対して男は肉体を構成するパーツがどちらかと言えば四角くなりやすい傾向にある。その形状の違いは正面よりも横から見た方が顕著であろう。


 そして、この世界において……


 男は弱く、女は強い。

 男は保護対象であり、女は保護をする側の立場だ。

 男には神力しんりきがなく、女には神力がある。


 男と女は、生物として、どうしようもなく、隔絶している。


「…………お、と、こ?」


 隔絶しているが、ゆえに。


『男と戦って負けそうになること』。これは女の自尊心を打ち砕くし……


 そもそもにして。


「男性に、刃を向けてしまった……?」


 神力というものを宿しているがゆえに、絶対的に男より強い生物である、女。

 これが、男に刃を向けること……


 どうしようもなく社会的評価を落とす行為である。


 周囲が一気に白けていくのを、宗田そうだ千尋ちひろは感じる。


 いや、白けていく、というより。コヤネに向けて、冷たい視線が注がれるのを、感じる。


 その変化はこれまでのコヤネの戦いぶり、部下の掌握ぶりを見ていれば、受け入れがたいほどに急激であった。


 だがそれはあくまでも千尋の感覚。

『男と斬り合う』というのは──


 男に刃を向け、殺そうとする、というのは。

 このウズメ大陸を治める天女教の天使に選ばれるような、ほとんど頂点の権力者でさえもが『終わる』。

 そういう行為なのである。


「ち、違……」


 コヤネが声を発した瞬間、周囲からの視線は突き刺さるようであった。

 責めている。男に刃を向け、人前で男の衣服を剥いだ。そういう蛮行をしたコヤネを責めている。

 この苛烈にして急激な責め、それは『お前の指揮のせいで男性に刃を向けてしまったんだぞ』という……ようするに、自分が男性に刃を向けてしまったことの罪深さをごまかすため、責任ある者を責めるという、そういうものでもあった。


 軍勢の中には武器を落とし、泣き崩れる者さえ出ている。


 千尋は──


 混乱し、「違う、違う」と声を発するしかできなくなってしまったコヤネを見て、思い出す。


(賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんでもあったなぁ、こういうことが)


 ハスバなる盾刀使いに、十和田とわだ雄一郎ゆういちろうが一喝した時のことだ。

 あの時の女どもの混乱っぷりはすさまじかった。男性に卑怯となじられ、冷たい目で見られるというのは、これほどの効果があるのか、と恐ろしく思うほどであった。


 だがハスバたちは極端な思想の持ち主のようであったし、そのせいもあっての反応なのか、と思っていたのだが……


(……なるほど。そもそもにして、この世界において『男』は『高貴』の属性を自然と含むのか。『慕っていた真面目な上司が、高貴なる姫にとんでもない狼藉を働いた』と発覚した。しかもそれに加担させられた──という状況なわけか)


 普段、どのような高い評価を得ていたとしても、『終わる』行為というのは、社会が社会として形成されていれば、存在する。


 たとえば現代日本などでは痴漢行為を働けば大体の場合、一発でキャリアが終わる。

 犯罪行為なのもそうだが、社会的制裁を受ける。


 このウズメ大陸において『男性と戦う』という行為はそういうたぐいのものでもあり……

 なおかつ、宗教的に重大な意味を持つ行為でもあるらしい。


 武器を落とし泣き崩れる者。

 その者らが天女へなにがしかの祈りの言葉をつぶやいているのが聞こえる。


 男に手を出した者は死後、地獄に堕ちる──的な何かがあるらしい。

 特に今、相手どっているのは天女教の軍勢である。沈丁花じんちょうげらよりよほど信心深いであろう彼女らは、社会からの罰のみならず、神からの罰も畏れなければならないのだ。


 つまり……


 千尋が男だと判明してしまった時点で、この戦いは終了であった。


「……ふうむ」


 乖離かいりにされた忠告の意味が、遅ればせながら理解できた。

 男だとバレてはならない。バレたら戦えない。

 男だとバレればその時点で御前試合に出られない。


 それは男が弱いから気遣われてしまうという以上に、女たちが男に暴力を振るうことを恐れている、といった意味だったのだろう。


(とはいえ、誘拐されそうになったりといったことはあったがな。……『いい女』を見れば、それに手を出してはならぬことをわかっていても、機会があれば、と望む。そういう均衡があるのだろう)


「ち、違うのです。これは、その……」


 コヤネは何かを言い訳しようとしている様子だった。

 だが、言葉にはなっていない。ここから捻りだせる『うまい言い訳』がないのだろう。

 あるいは、コヤネ自身も、男と戦ってしまったことに動揺している、のか。


 千尋はそのように予想するのだが。

 コヤネの心中で起こっていることは、もっと救いがなかった。


(……わたくしが、男を相手に、逃げた?)


 自己喪失アイデンティティ・クライシス


 コヤネは天使である。

 天使になったのは、まだ天使が武的な天女の手足となる前であった。だが、それでも、天使に選ばれる条件の中には、かつてから武芸の腕前というものがあったのだ。

 そもそもにしてコヤネは優秀な人材であった。その欲望の強さから天女教に修業に出されたものの、そもそも、欲望に目がくらまず、姉妹を事故に見せかけて殺していなければ、普通に家督を継ぐことが当主の中で内定していた。政治的な手腕、何も言わずとも人を操り、従えさせるその特殊な才能は、多くの女が持ちえぬものである。


 何より他者から評価されたのは、無尽蔵とも思える神力の量だ。

 そもそも、コヤネがしていたような『透明化』、空気を操作する一族の中でも、ただの一人を数秒隠せるだけで『開祖以来の才能』と言われるほど、莫大な量の神力を必要とする。

 それを『集団を隠す』『己の姿を巨大武器ごと隠しながら神力強化をして大長巻を振るう』などの行為をしてみせる。もはや比較する者のないほどの神力量なのだ。


 女の強さは神力の強さ。


 ゆえに、青田コヤネは何より強い。


 強さはコヤネの自信の源であった。

 人を意のままにする手腕、あらゆる状況でも浮かべ続ける微笑。それも『最後の最後には、神力の多く、強い自分が暴力を振るえば勝てる』という自信を根幹にしていたものなのだ。


 その根幹たる『強さ』で。


 神力のない男に、追い詰められた。


「…………」


 コヤネの頭は真っ白だった。

 積み上げたものがすべて崩れ去った。

 ただ男に手を出して白眼視されたというだけなら、まだ立ち直れただろう。名声を回復し、あるいは力によって周囲を従え、このまま天女を殺しに行けただろう。


 だが、強さにおいて、男に下回ってしまった状態では……


 何も、できない。


「ふぅむ」


 コヤネに、天女教軍に。

 すっかり停止してしまった『敵』どもに、千尋はため息をつき、


「喝ッ!!!」


 大きな声を出す。


 視線が集まってくる中──


 千尋は、微笑み、語る。


「そなたらに物申したき義がある。しばし、ご清聴願う」


 それは千尋にとって、せっかくの『敵』との戦いをこのまま消化不良で終わらせたくないがゆえに放つ言葉であった。


 ……だが。

 女たちにとっては、まったくそういうふうには受け取れない──


 後世において伝説となる発言が、これより始まる。

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