いかなる妖術──否、
その奇術を受けて
笑いをこらえきれない。
「『こう』でなくてはなァ!」
コヤネからすれば不可解極まりない笑み。
しかし千尋と旅をし、千尋のことを理解した
『敵が強いのに喜ぶんじゃねぇよ』と。
姿の見えない巨大武器が、背後から振り下ろされる。
完全に千尋の後ろに回り込んでの一撃だった。
空気の屈折を操作し、透明になり、なおかつ背後へ移動し、武器を振り下ろす。
まぎれもなく必殺の一撃だ。コヤネの強い神力から繰り出される攻撃は、そのどれもが動いてからでは対応が間に合わない。
しかも『
透明化して背後から振り下ろされたこの一撃、速度、重量、奇襲性、すべてにおいて必殺。
だが。
「いやいや、そうではなかろう」
千尋、これを見もせず紙一重で回避する。
そして、そっと、見えない長巻の刃に、刀を添える。
「そうではなかろうよ、コヤネ殿。『姿を消した』『後ろに回り込んだ』『振り下ろした』では興覚めであろう。そもそも、戦いの最中に視覚などというのは、頼るべき五感のうち一つにしかすぎんのだ。たかが見えぬ程度で他の工夫もないようでは、当たってやるわけにはいかんぞ?」
コヤネからの反応はなかった。
驚いていないわけではない。
逆だ。
驚きすぎて声が出ない。
(必殺の、一撃……繰り出せば、終わる、そういう……)
千尋に慣れてしまうと麻痺してしまうことではあるが……
見えない相手に背後から斬りかかられて紙一重で回避するなどということ、普通、できない。
ある程度の武芸者は、もちろん、視覚以外にだって頼る。むしろ視覚が数ある感覚のうち一つにしかすぎないというのは、納得できる物言いではある。
だが、それでも。
目の前で消え失せた女が、背後から強烈な一撃を放ったのだ。
技術的には紙一重での回避が可能であろうとも──
見えないのだ。背後からの攻撃なのだ。当たれば死ぬのだ。
で、あれば、たとえ紙一重での回避が可能であったとしたって、大きく避ける。万が一を避ける。そういうふうに、体が勝手に動くはずだ。
コヤネの腰が自然と引ける。
指先に痺れと冷たさが襲い来る。
この状態をコヤネはまだ知らない。
まだ、この状態の名前を、頭に思い浮かべることはない。
だから、大長巻を持ち上げ、横薙ぎにする。
この速度で透明な巨大刃が迫るのだ。これはもう、しゃがむなり、倒れるなりして、紙一重の回避とはいかないはずだろう。
はず、なのだ。
まともな人間ならば、対応できても、大きく避けるはず、なのだ。
だというのに、
「いやいや」
透明な刃に、千尋の刃が合わされる。
合った刃の鎬で滑らされ、軌道を変えられる。
コヤネの制御を振り切って斜め上方向に跳ね上げられた大長巻は、千尋の頭上を通過し、コヤネの
その、透明な、体の崩れたコヤネに──
千尋は真っ直ぐに接近し、刀を振り下ろしていた。
「っ、ぐうううううう!!!」
つい、はしたない声を上げながら神力を流す。
姿勢など気にしていられない。余裕などない。流された大長巻の勢いに体を持って行かせるように、ごろんと地面に倒れ、転がりながら回避する。
急激な神力操作によって、透明化が解ける。
純白の衣装に土をまみれさせ、片手を地面についた、獣のような姿勢のコヤネを……
「いやいや、コヤネ殿、そうではなかろう。……どうした? 透明になってから、動きが急激に雑になったようだが。よもやその術、かなり集中力を割かねばできんのか?」
「……」
「であれば、それは『つまらん手品』だ。使わぬ方がいい」
事実、ではあった。
透明化はかなり集中力を要する技術だ。立ち止まって、これ一つに集中すれば数十人規模の軍団さえ隠してみせるが、戦いながらはどうしても、完璧にはできない。
だが、それで問題ないはずなのだ。大質量・超高速の攻撃をする者が透明になって奇襲を行えば、たいていの者に対して必殺となるはずなのだ。
だというのに、宗田千尋、まったくものともしない。
(……手が痺れる。背中が冷たい。足が、じわじわと、奇妙な感覚になっている)
コヤネは初めての症状を自己分析する。
隙を見せるコヤネに、千尋は斬りかかってこない。
何かを悩むように首を傾げ、それから、「ああ」と思い至ったように声を発する。
「コヤネ殿、もしやそなた、生まれつき負けなしか?」
「……いきなり、なんです?」
「いやいや。どうにもな、戸惑っているようだから、教えてやろうと思ったのだが。手足の指先が痺れたようになり、背中が冷や汗で濡れ、呼吸が知らずに浅くなり、腹の底にずずんと石でも詰まったような心地なのであろう?」
「……」
「それはな、『恐怖』をそなたが覚えておるからだぞ」
「…………なんですって?」
「武術の基本中の基本に『
「……」
「どうか怖がらないでくれ、コヤネ殿。そなたはまだやれる。さあ──」
優しい笑顔を浮かべた千尋が、下ろしていた刃を持ち上げる。
体の右側で、切っ先が半月を描くようにして、頭上へと至る。
「──まだまだ、斬り合おう。我が『敵』よ」
瞬間、千尋が目の前にいた。
「!? う、あああああああああ!」
コヤネは自分の喉から勝手に出た声におどろきながら、力づくで千尋の剣を払いのける。
だがその『払いのけ』の力がうまく伝わっている感じがしない。たっぷり綿を詰めた布団。それを折り重ねて殴る。そういうことをしたような、奇妙な感覚。
千尋の姿が消える。
背筋がゾクゾクと震える。
震えに任せて前へ転がる。
空と地面をせわしなく行き来する視界の中で、いつの間にか背後にいた千尋が、剣を突き出しているところだった。
速くない。
強くない。
だが、何をしているのか、まったくわからないし──
──あの剣を受ければ、死ぬ。
恐怖。
「っうううう! あなたたち、取り囲んで突き殺しなさい!」
足軽たちに指示を飛ばしながら、軍勢の中へと後退する。
一騎打ちではなかったのかと混乱する軍列の中へ潜る。それはまぎれもなく『逃走』であった。
だが『逃走』というのは『
当然、千尋にも嗜みがある。
「なるほど、面白い趣向だ」
「ヒッ」
軍勢を潜っているというのに、人の間から千尋の声がする。
大長巻を力任せに振るう。
味方が吹き飛ぶ。
その、人の
速くない。強くない。
だが、こちらを殺す剣が突き出される。
血の染みたような桜色にきらめく刃が、光を棚引かせて迫る。
コヤネが選ぶのは後退。背後にいた部下へぶつかりながら強引に体をねじ込んで距離をとる。
混乱があたりに満ちていく。
軍団長として軍勢を従えねばならない。軍勢の士気が下がりきらないタイミングで
これはただの練兵だ。だから、この軍団を維持したまま、このまま天女へぶつけねばならない。だから自分がこの軍勢を率いるにふさわしいと思わせたままでいなければならない。
だというのに、人影に隠れるように逃げ続け、危機回避で振るった大長巻に味方を巻き込む。
もはやコヤネには、世間体を気にしている余裕など、なかった。
眼中にもなかった。必ず勝つ戦いだった。
だが、今は──
死の冷たさが、首筋を撫でている。
もはや軍は列を成していなかった。
混乱に乗じて天野の里衆もまた活動を開始している。四千人対九人。負けようはずがない人数差。だというのにそこかしこで悲鳴があがり、混乱が起きている。
それをいさめる総大将が何より混乱し逃走を続けているのだ。この混乱を収める者はいない。
コヤネがめちゃくちゃに大長巻を振る。
すり抜けるように近づいて来た千尋が剣を突き出してくる。
速くも強くもないはずなのに、避けにくく、一撃でこちらを殺しうる剣。
心臓に迫るその刃を前に、コヤネ──
大長巻を投げ捨て、左腕で剣を払う。
そこからの動きは肉体が勝手に動いた、としか言えぬものだった。
武器をかなぐり捨てるほど恐慌し、恐怖していた。
だが何を思ったのかコヤネの体は千尋へ踏み込み、その襟首をつかんだのだ。
投げようとか抑え込もうとか、そういう判断ゆえではなかった。
恐慌した時に『逃げよう』と行動できる者は実のところ少ない。混乱している時には思考も視界も狭まるものだ。
それゆえに『目の前の自分を殺してくるやつをどうにかしよう』と思ったコヤネ、逃げるのではなく、『抑え込む』という行動に出てしまう。これは、彼女がその剛力において今まで一度も人後に落ちたことがなかったゆえの、積み重なった彼女の人生がとらせた行動であった。
正解だった。
千尋は真正面から組みつかれ、抑え込まれると、女の腕力に対抗できない。
なぜならば、千尋は──
びりぃ。
コヤネの腕力に耐え切れず、襟首から千尋の服が裂ける。
布切れがコヤネの手の中に残り、千尋との距離が離れる。
そうして目撃した、千尋の、裸になった上半身……
それは、
「…………男?」
自分が恐慌状態であったことを忘れるほどの。
……周囲で混乱の渦中にあった者どもが、その混乱を忘却するほどの……
衝撃的な、事実。
男が、戦っていた。
否。
……天女教軍は、ついに、『男に刃を向けていた』という事実を、知ることになったのだった。