二合目。
(速くない)
コヤネの大長巻はただ大振りで大質量をぶつけるだけのものではない。
長いということは、根元をわずかに動かせば先端が大きく動くということ。槍術においては『突く』より『叩く』が命中範囲と威力の問題で実戦的だとされる理由でもあるのだが、長物の術理をきちんと修めている者にとって、『振る』というのは大きな動作ではない。
コヤネは技術を持っている。ゆえに、小さな動きで先端を大きく動かすことができる。そこに強大な
そんな威力が出るのだから、当然、速度も出る。
コヤネから見た
だが、長巻がすり抜ける。
千尋が距離を詰めてくる。
三合目。
小さく振るというのは、逆方向に振り返すことも素早くできるということ。
だがそれだけではなく、振ったことによって発生した勢いに乗って回転する技も、素早く使うことができる、ということ。
特に
巨大長巻はその柄の長さも、そうして大質量を支える握力に耐える柄の丈夫さも一級品。そんなモノに質量と回転を加えて叩かれればひとたまりもない──
だが千尋、刀でこの回転技を受ける。
刃ではない。柄の頭で、横殴りにされた長巻の柄を受ける。
(強くない)
その受けは弱々しかった。
肩越しに相手を振り返るように視線を向けていなければ、受けられたことさえわからないほど、弱々しい。
このまま振り切れば、相手に当たったと気付かないまま、相手を上下に打撃力だけで分断するであろう。それほどに、弱い。
だが、コヤネの長巻が跳ね返される。
四合目。
(ただただ、不気味)
アレは人体にしか見えない。
細く、脆く、神力も感じない、上背もない。たやすく引き裂かれる弱者の人体。
だというのに、刃を振るえばすり抜け、横薙ぎを当てれば跳ね返り──
こちらの予想する速度を倍以上上回るゆえに、一瞬で接近されたように感じる。
(違う。動き、ですね。頭の高さが変わらない。腰の高さが変わらない。それなのにすさまじい速度で動く。だから、急に体が大きくなったかのような、遠近感以外では捉えきれない動きになる……)
この世界にも武術というものはある。
神力前提だが、その中にも頭の位置をぶらさないとか、腰で動くとか、そういう基本を教えようという項目は確かにあるのだ。
だが……
(あそこまで理論通りの動きができる人間が、まさか実在しているだなんて)
戦いの中で緊張しすぎないこと。
頭の位置をぶらさないこと。
腰から動くこと。
可能な限り最小の動作で回避すること。
相手の力をまともに受けないこと。
武術の基本だ。
コヤネも習ったことがある。
そこに加えて神力運用法なども習うのが武術だが……
(あの
神力というものがこの世になかったならば、武の精髄をすべて身に着けたと言えるであろう動き。
千尋の動きはまさしくそういうものだった。
だが、
(見事です。けれど)
三合目で崩れた体を、神力出力を上げて無理やりに整える。
同時に、片足に神力を集中し、距離を放すように飛ぶ。
中空で神力により空気を叩いて回転しながら、大長巻を振るう。
首を薙ぎ払う軌道。
空中での位置制御は、空気に作用する青田家の神力能力によるものだ。
ただの人にはできない。
こういう動きが、特殊な家系の者にはできる。
(あなたの動き程度、神力の多寡でいくらでも無為にできる)
この世には神力というものがあり、その強さが人の強さを決めると言って過言ではない。
神力の多い者に、神力が少ない者の攻撃は通らない。
また、神力の差が開けば、とりうる戦法がまったく別物になる。神力の多い者と少ない者は、同じ形状の生物でも、その内容がまったく違う生物なのだ。
ゆえに、いくら、『神力抜きの武』を修めようとも、『神力ありの武』を修めた者に敵わない。
それがこの世の摂理。
……だが。
コヤネに対する千尋──
摂理を覆す剣神である。
「な、ん……!?」
空中で回転するという通常は不可能な業により、完璧に不意を突いたはずだった。
速くもなく強くもない千尋が対応するのは不可能のはず、だった。
だというのに……
千尋は、空中で横薙ぎが振るわれることを読んでいたかのように跳び……
コヤネの長巻の刃に着地していた。
千尋が刃の上を進んでくる。
あまりのことに、コヤネの頭が真っ白になる。
その空隙は一瞬のこと。
だが、千尋の動きは一瞬も必要としない。
刃の上を滑り、柄の上を踏み、コヤネの体に切っ先が届く距離に迫る。
コヤネの身はまだ中空にある。神力により空気を叩けば動けるが、理外の動きをする千尋におどろき、対応が思いつかない。
千尋の刃が振るわれる。
桜色のきらめきが中空に残像を曳いて、コヤネの首へ滑り込もうとする。
コヤネの頭に、千尋の言葉がよみがえった。
──ああ、なるほど、なるほど。よぉくわかった。そういう手合いはなァ……いざ自分の首に刃を触れさせられると、『こんなはずじゃなかった』などと逃げ口上を言い始める。なので、一言、申し上げておこう。
──
「こ、の……!」
その時コヤネの心中に発した感情を、コヤネ自身はまだ知らなかった。
彼女はこういった感情とは無縁だった。ただ、欲望に身を浸し、欲しいと思ったものを奪う。先代天女の御代においてその欲望は忘れていたもののであり、彼女の主観においては、誰かに屈服し欲望をあきらめざるを得なかったことは一度もなく、人生において、一度たりとも失敗だの焦燥だの……
恐怖、だのを。
経験してこなかった。
ゆえにコヤネの行動は、人生で初めて、死の気配に応じるための緊急回避。
腕に神力を注ぎ込み、手にした大長巻を無理やりに振るう。
下から上へ。腕に止まった不快な蠅を振り落とすかのような、力任せの動き。
その動きで起きた風圧だけで、周囲を囲む天女教軍の者が飛ばされていく。
では、肝心の千尋はといえば……
ふわり、と。
一瞬、飛んだは飛んだのだろう。
だが、大した痛手もなさそうに、地面へと着地していた。
「……降臨伝説」
誰かの声がした。
……その着地、着地後の姿勢、そして何より、千尋の優美すぎる見た目。
それらは、天女教であれば誰もが知っている、天女降臨伝説──
天女に随伴しこの世に降り立った、『始まりの男性』を想起させるものであった。
「…………ちっ」
舌打ちをするなど、コヤネの人生にはなかったことだった。
猛烈に、不愉快だ。
何か……何かを、奪われている気がする。
自分の意のままであった軍勢が、魅了されている気がする。
絶対者であったはずの自分の立場が、脅かされている気がする。
だからコヤネは、考える間もなく、神力を使った。
空気に働きかける神力。
世界を包む目に見えぬものへ作用する神力、その主な用法は……
光の屈折による、透明化。
「ほお。面妖な」
千尋が喜ばし気に声を発する。
その声に舌打ちしそうになるのを抑えながら……
透明になったコヤネが、巨大武器を振りかぶった。
溢れんばかりの、殺意を込めて。