邪魔する者はいない。周囲で空白地帯を作り出す天女教軍も、千尋とともにこの大軍の中を掘り進んで来た
一合目。
超巨大長巻が空気をちぎるような音とともに振るわれる。
その速度は『いきなり真横に刃が出現した』かと錯覚するほどのものだった。風圧だけでも人を吹き飛ばすような一撃が、千尋の細い首にいつの間にか迫っている。
直撃すれば『首を断たれる』などという生易しい現象では終わるまい。首を起点に体がひしゃげ、風圧で吸い込まれてひき肉にされる。そういった類の大破壊が予感された。
それに応じる千尋の動き、あまりにも緩慢に見えた。
右手をだらんと垂らして軽く柄を握るだけの構えである。
コヤネの長巻は千尋の左側から迫った。速度も、質量も、千尋で対処できるはずがないものである。
コヤネの刃が千尋の首に、触れる。
ほぼ同時、千尋の刀がいつの間にかコヤネの
当然、見かけ倒しの武器ではない。みっしりと鋼の折り重ねられた超重量武器である。軽量化のために構造に弱いところを持たせているということもない。見た目通りの、並の人間が使うことを想定していない、重く、硬い武器である。
だが、その武器の刃部分に向けて千尋の刀が振るわれた時……
コヤネは思わず、長巻の刃を
急激に引かれる刃。
その切っ先を、千尋の持った刀が霞める。
突き出すような構えに移行するコヤネ。
二人が互いに構えに戻った一瞬後、硬く乾いた土の上に、何かが落ちる音がした。
それは、金属片である。
天野十子岩斬作異形大長巻の切っ先が斬り落とされ、落ちた音、であった。
千尋はどこか酔ったように笑う。
「風圧利用では切っ先を断つのが関の山かァ。久方ぶりに『
「……その刀は、なんですか?」
コヤネの心にわずかな不快感が巻き起こる。
問いかけには今までのような余裕も慈愛も憐憫もなかった。
千尋は刃を動かし、コヤネに見えやすいように掲げる。
「天野十子岩斬作
その刀身は決して長くない。
せいぜいが二尺と少し。千尋が持つから多少は長く感じられるものの、普通の女が持てばおさまりのいい長さでしかない。
その刀身は決して重くない。
この世界の基準で言えば軽い部類にさえ、入るだろう。
だが、その刀身は、美しい。
薄く桜色の光を発する刃。刃紋は刃に沿って花吹雪が舞うようであり……
どこか、血がしみ込んでいるような、刀。
天野十子岩斬に曰く、その刃の色は、千尋の魂の色だとか。
ゆえに当代岩斬──
己の作品に滅多なことでは銘を切らぬ当代岩斬。
この刀の銘を、こう称する。
「──『
この大陸に伝わる神話。始まりの男性を連れて降臨し、様々な奇跡を起こした天女。
現在の大陸名ともなっているその存在を断つ刀。
男の身で、女を断つ、刀。
神の力を宿さぬ人の身で、神の力を宿せしものを斬る、刀。
……天女伝説に付随する、とある伝説がある。
天女との間に三人の子を成した『始まりの男性』。
現在の天女教総大主教たる天女の、もう一人の始祖。
その男性は、数々の伝説を残した天女に随伴して戦い──
女さえ斬ったと言われている。
天女伝説とともに語られ、多くの熱心な
その中心人物たる男は、説の一つで、このようなことを成したとも言われている。
天女を、斬った。
すなわちその男性の異名の一つ。おおっぴらには語られぬ隠された伝説において語られるその名こそが、『細女断』であった。
大仰な名前に比して、あまりにも見た目に特筆すべきことのない刀である。
そもそもにして、刀で人を斬るというのは、多くの者にとって『当たり前』のこと。その『当たり前』を成すだけの刀が、異形である必要はなく……
千尋の脳裏に、十子の言葉がよみがえる。
それは、九名による四千名への突撃という馬鹿げた戦術を語ったあとで言われたことだ。
──まあいい。お前が行くってんなら止められねぇからな。
──人生には無茶だと思っても……怖くても、逃げちゃならねぇ時がある。
──あたしはずっと、『異形刀』に逃げてた。
──まともな刀を打って、
──乖離があたしの最高到達点で、あとはおちぶれていくだけなんじゃないかって思い知るのが怖くて、逃げてたんだよ。
──だから、立ち向かったこの刀は、平凡で、特筆すべきことのない、普通の刀だ。
──ただただ、技術の粋と、あたしの魂を込めた、普通の刀だ。
──『刀で、人を斬る』っつう、当たり前のことをするだけの、普通の刀なんだよ。
「人を斬れる刀を持ち、人と立ち会ったならば、人を斬るのみ」
千尋の構えが変化する。
無形は敵の出方をうかがうための構え。
ただの一合。とはいえ、無数の戦いを繰り返してきた魂に、その一合はあまりにも多くの情報を与えた。
千尋が選んだのは、切っ先を地に向けて垂らすような、下段構え。
この刀と、相手の出方、反応、振る時の癖、隠しきれていない意識の隙、視線、体重の乗せ方、重心の安定性……
すべてを明文化するにはあまりにも多く、本人とてすべてを言葉としてではなく捉えている、そういった情報がもたらした、最適な構え。
「コヤネ殿、なんでも使うといい」
「……はい?」
「その大長巻はもちろんのこと、神力の特殊な技も、そこらに控える兵どもも、なんでも使うといい。そうするとな」
「……」
「俺も遠慮なく、そなたを斬れる」
「……錯乱者め」
「応よ。錯乱者がめちゃくちゃに振り回す凶刃に倒れたくなくば、精一杯身を守れよ。ただし……」
千尋が、進む。
その動きを捉えられた者は、この場に誰もいなかった。
「……この俺の錯乱は、半端ではないぞ!」
ようやく、コヤネの意識も追いつく。
これよりは、『強者が弱者を蹂躙するつもり』の遊びではなく。
互いに互いを殺せると確信した者同士の、『殺し合い』である。