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第118話 四千対九

 四千人を相手に、十人足らずで何ができるか?

 何もできない。


 だが、十人足らずを相手に、四千人に何ができるのか?

 これもまた、『何もできない』のだ。


「囲んで槍で叩け!」

「ダメです! 連中、列の間に体をねじこむように動いていて……!」

「展開して包囲すればいいだろ!?」

「そんな一瞬で包囲なんかできませんよ!」


『列の間に入り、動き続ける者を、指揮官の号令一喝でサッと展開・包囲し、槍の穂先を突き付ける』。

 なるほど可能であれば有効だ。

 実戦を繰り返し、訓練を必死にし、『十名足らずが槍を並べた四千名に唐突に突っ込んできたら』という想定をして、その想定が現実になった時に素早く対応するための展開法が体に叩きこまれている兵であれば可能であろう。

 あるいは列と列の間にもっと隙間があれば、兵たちが自らの判断で素早く展開し、少数の狼藉者を囲むなんていうことができたかもしれない。


 だが、この天野あまのの里に、そもそも四千名は過剰戦力である。

 それは天野の里を滅ぼすには人数が多すぎる、という意味のみではない。純粋に、四千名を余裕をもって展開させるには、面積が足りない。必然、列は詰まり、人と人とのあいだに余裕はなくなる。

 いかに鋼鉄を運び入れるための道とはいえ、現在は『決め』のためにほぼ全軍をここに動員している。結果、列は『密』となり、余裕がなくなり、突っ込んでくる少数を包囲しようとすると横の人にぶつかる。

 横の人にぶつかれば、さらにその横にもぶつかり、『ぶつかり』が連鎖するのを避けるためには、軍の端っこが横にずれるのを待つしかない。


 だが少数を相手に、そのような端々まで敏く事情を察して動くことは不可能であった。

 そもそも指揮官がこのような事態、『四千名に突っ込んでくる十名足らずの出現』を想定していない。

 示威のための武力としての時間が長すぎた天女教勢、訓練はあり、教本はあっても、実戦経験が足りていないのだ。だいたいにして、実戦経験が足りているならば、総大将の青田あおたコヤネは天野の里攻めなどをせず、一気に天女教総本山を落としにかかった。


 では、列に入られる前に止められればよかったのではないか?

 実際のところその通りである。そもそもにして『超少数が列の間に体をねじこんで来た時の対処法』の訓練がなおざりなのは、『列の間に入り込まれる前に、接敵した部分・・が対応し、蹴散らすに決まっているから』だ。


 どのような者であれ、槍を並べた兵に囲まれては動きがとれなくなる。人数差というのは本来、個人の武力云々など関係なくなるほどに強力な補正・・であり、剣術の達人であろうとも、たった五人の槍足軽には手も足も出ず逃げ回るしかないというのが現実である。


 ただしその現実は、神力しんりきなるものがない世界での現実であり……

 その神力を持った女相手に勝利を続けてきた剣神けんしんのいない世界の現実である。


 宗田そうだ千尋ちひろは地を滑るように駆け抜けている。


 姿勢を低くし、倒れ込むような深さにまで頭を落とし、片手を地に着くようにしながらの三足歩行。

 そうしながら何をしているのかと言えば、足を斬っている。


 無茶な姿勢。片手で剣を振るしかない状況。無論、切断まではいかない。

 だが、脛当てに守られていないふくらはぎ、どのような鎧でも絶対に空く膝の裏、隙があるならば足指の先……いやらしい部分を、刻んでいくのだ。

 すると気がそがれる。たいが崩れる。

 密集陣形で一人の体が崩れれば、その崩れは周囲の軍勢に伝播する。

 崩れが伝播し、大軍ゆえに姿勢を戻すのが難しい隙を──


 あとから来た八名が突く。


 四千名に対し十名足らずでできることはない。

 また、十名足らずに対し、四千名ができることもない。


 ゆえにこの戦場、『人の壁』がそこらに立っているだけの、せいぜい五人対五人の戦いが無数にあるだけのもの。

 五人と五人という少数の戦いであれば、最初に突っ込んだ者の結果如何がそのまま勝敗に直結し……


 天野の里勢先駆け、『剣神』の魂を宿す宗田千尋。

 斬り、血を流すことのできる剣を得た剣神が先駆けに立ち、同じ数・・・同士・・の戦いで負ける道理なし。


「はっはっはァ! いやはや、楽しくて止まらんなぁ! 速度はゆるめてやらぬゆえ、しっかりとついてこいよ!」


 斬ることは喜びではない。

 血を流させることに興奮は覚えない。

 そもそも、神力なるものを身にまとった女どもの相手を続けた千尋は、普通に刃が通るような相手と戦うと『難易度が低い』と思ってしまうまでになっている。


 だが、しかし。


「優れた剣を奮う喜びというのは、いくつになっても心ときめくものよなァ!」


 新しい玩具を手に入れた子供も同然の動機にて、その昂揚テンション、留まるところを知らない。


 掘り進む。

 人の中を掘り進む。

 人の壁を抉り進む。


 目指す先は総大将の青田コヤネ。


 四千名を相手に十名足らずができることは、ない。

 五対五を無数に繰り返すとはいえ、こちらは十名足らず。対して相手は四千名。五名を倒したと思ったら、すべての傷が回復し、疲労もない状態でまた相手が復活するようなものである。まともにすべてを倒そうとすれば、先に体力切れで敗れるのは必定。


 であれば先に、相手を殺す。


 相手の頭を──総大将を落とす。


 それで本当に止まるか? と冷静な部分が告げる。

 これほどの『にしきの御旗を掲げた大軍』、頭を潰した程度で止まるか? 連中はその高い忠誠心と、この進軍が『お役目』であることへの理解から、頭が潰れてもなお、体だけで動くのではないか? いや、そうに決まっている……


 だがこの大軍に挑む者、すべてがそういう『冷静な指摘』への対応法を心得ている。


『うるせぇ。黙れ。つまらねぇことを言うな』


 ……結果を求めての行動には紛れもない。

 しかし、結果を最重要視しているわけでもない。


 四千人と斬り結ぶこの一瞬一瞬に、すべてを懸けてもいいほどの悦楽がある。


 だから、斬る。進む。


 ゆえに千尋、沈丁花じんちょうげ、並びに宿で拾った七名──


 命を燃やすために命を燃やす者。

 すなわち、剣客である。


「包囲! 包囲!」


 しばらく掘り進むと軍勢の中に『空白』が出来ていた


 なるほど最初に千尋がこの大軍に挑んだ時、コヤネがあえて軍勢を抜けさせてその先で包囲したことがある。それを思い出して、同じことをしたのだろう。

 冷静で見どころのある指揮官だ。

 ただし……


 コヤネは神力による特殊な術で、包囲のためのを千尋に見せないように隠した。

 一方で、今、対応しようとしている指揮官は、そういった芸当ができないらしい。


 なので、見えている『包囲のための場』。


「こっちだ! 俺を見失うなよ!」


 迂回し、避けるのみ。


「ああ、連中!!!」


 相手が万全に備えている場にわざわざ突っ込む阿呆はいない。

 命を懸けるために命を懸けている。だが、死ぬために自暴自棄になっているわけではない。


 この絶対不利の状況で『勝って、生き残る』つもりでいる。

 だからこそ剣客は、死を覚悟する者よりも頭のおかしい道楽者なのだ。 


 問題はその『死を覚悟していないのに四千名に十名足らずで突っ込んでくる連中』が、相手からするとどう見ても『決死隊』にしか見えないことだった。『決死隊』と思っている連中が命を大事にするような行動をとれば、相手の対応が一拍遅れる。

 そして超少数ゆえに動きが機敏な十名足らずを相手に、対応が一拍遅れると三手は不利になる。


 千尋ら、大軍の中腹を抜けることに成功する。


 軍はあとおおよそ半数。

 その向こうには派手な輿に乗った青田コヤネの姿がある。


 コヤネは……


「…………」


 ただ、見ていた。

 なまめかしい唇に淫靡な笑みをたたえ、大軍を掘り進む十名足らずを……

 あるいは、その十名足らずとの『実戦経験』を積む、自軍の様子を見ていた。


 ここに至れど、コヤネの主観において、これはあくまでも練兵だ。


 敵は止まらずに進もうとする十名足らず。

 自軍に死傷者は出てはいる。が、そう多くなく、傷も深くない。


 当たり前だ。相手はとにかく進まねばならず、一人一人確実に深手を負わせたり殺したりする余裕はない。


 だから、コヤネは笑うのだ。


「この経験は、本番・・で役立つことでしょう。……感謝いたしますよ、天野の里。我が軍勢の勝利を盤石にしてくださり……」


 青田コヤネにとって、これはまだ『勝負』でさえない戦い。

 彼女はまだ練兵のつもりでおり、少数に突撃されるという、追い詰められた天女ミヤビがいかにもとりそうな戦法に対する経験を先んじて自軍に積ませているにすぎない。


 そもそも、相手の勝機はこの青田コヤネの首をとるしかないのだ。

 つまり相手は最終的に自分のところにたどり着く。で、あれば、その時点になって自分が相手を叩き潰せば、それで終了。


 ゆえにコヤネの視点で勝利はゆるぎない。そもそも、『勝敗』なんていう言葉さえよぎらない。『轢き潰すのを練兵のために待っているだけ』の状態であり……


 後悔は先に立たない。

 慢心とさえ自覚できないその慢心こそ、青田コヤネの敗因である。

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