(これで、
賭博船・
『船の長の部屋』というよりは、『祭儀場』と述べた方がしっくりくるような空間である。
ちなみに、役割としては『領主の執務室』になる。
ここは賭博船と呼ばれてはいるが、実態は水上領地と述べた方が近い。天女教直轄であることも合わせて、ここの主人となるサグメは、ウズメ大陸有数の宗教的・経済的影響力を持つ大大名と言うことができた。
その品格にふさわしい調度品の数々は、地上の領主でもなかなかお目にかかれないものばかりである。
ただし、宗教色が強い。部屋に入るとまず目を惹くのはサグメの背後にある大きな神棚であり、その左右に供えられた鉢の中には子宝草と呼ばれる植物が植えられている。
これは天女教における縁起のいい、神聖な植物である。丈夫で育ちやすい植生ゆえに、男が少ないこの世界では男の子が生まれると『無事に育ってほしい』という願いを込めて贈られることもある。
時期的に今は緑の葉をつけているが、もっと寒くなれば全体がピンク色になる。その色合いや雰囲気からこのウズメ大陸においては媚薬効果があるとも言われていた。
子宝草の間にある祭壇には一枚の紙があり、その上質な真っ白い紙には筆文字で天女神話の一説が書かれていた。
天女教は偶像を崇めるようなことをしない。なので祭壇にはこうして神話の一説を書いた紙などを置くことが多い。だいたいは布だが、経済的に余力があれば、紙だ。
天女のイメージカラーは白であるので、なるべく祭壇などは白いもので作る。この執務室の祭壇もまさにまばゆいばかりの純白であるし、部屋全体もそれに合わせた色調となっていた。
天女教に傾倒するものでも一瞬、足を止めて気圧されてしまうほどの、思わず姿勢を正してしまうほど、濃く『天女教』の気配が薫る部屋──
そこでサグメは書見台に置かれた帳簿を見ながら事務をしつつ、くすりと頬をゆるませる。
(
サグメはこの船に乗り込んだ者の素性をおおむね把握している。
とはいえ事前に乗船券を獲得した者や、有名な者だけではあるが、それでも大層な情報量である。
十子は引きこもりがちでその容姿があまり人に知られていないのだが、橙色の髪や瞳、いかにも鍛冶屋という服装、加えて最近
もう一人の方は、刀鍛冶の十子岩斬が連れているし、本人の風情も剣客といったところだが……
(……ずいぶんかわいらしい顔をしていましたね。男の子のような。……あるいは、本当に男なのでしょうか?
だが、他の男と違い、天女教に保護されているままに過ごすのをよしとせず、身の程知らずにも外に出て自活したいなどという夢を見ている。
(男性は弱く、愚かで、身の程を知らない。しかし、脆いゆえに、我々が身の程を教えて差し上げるわけにもいかない。うっかり壊してしまってもいけませんからね。……であるならば、頑なな雄一郎様のような男性には、自らの努力が及ばない経験を積ませて差し上げるに限る)
ふふ、とサグメの口から笑みがこぼれた。
物静かで冷静で落ち着いた大人の女性といった風情の彼女が、一人しかいない船長室で浮かべる笑みは……
きわめて
(きゃんきゃんと『自由をよこせ』と吠えていた男性が、現実に打ちのめされ、夢を諦め、自分が女に管理されるしかない脆弱な生命だと実感をする──なんと、甘美なのでしょう)
サグメは、当代天女の方針に強く共感し、当代天女を崇拝する
天使、すなわち天女から直接命令を降される立場。かつては天女の向かうことのできぬ場所へ、天女の代理として向かい、土地に祝福を与えたり、死者を弔ったりという、宗教的行事を担う存在のことを天使と呼んだ。
だが、当代天女の御代になってからの天使は、天女の思想の体現者である。
つまり──
(男はすべて、天女教で管理されるべきであり、すべての男に、『女は強い。これの庇護なしで、弱く愚かな男は生きていけない』と思い知らせるべきなのです)
この世界では、市井で
かつての天女はそれを認めていた。むしろ、推奨さえしていた。男性が男性の意思で一人の女性を選び、個々人の幸福を追い求めるというのが、天女教の推奨する『男性の生き方』であった。
だが、当代天女は、すべての男性を管理し、監視する方針である。
サグメはその方針の強烈な支持者であった。
とはいえ、ただ武力や知力で男性を敗北させて従わせるといった強引な手段を、サグメは好まない。
なぜなら、男性には自ら理解し、望んで、『女性には絶対に敵いません。どうか、脆弱で愚かな私たちを管理してください』と思ってもらいたいからだ。
その程度の賢さはあってほしいと、サグメは男性に望んでいる。
(さて、雄一郎様は果たして、賢いお方か、それとも、
ゆえに、サグメはこう考えるのだ。
(当方が『試練』を与え、あなたを試してさしあげましょう。乗り越えることはさせませんが、経過を見て、あなたが人か家畜か、決めます)
男性の
強者たる存在、天上たる存在たる女。絶対的上位者の視点から相手を見下ろし、相手の運命を気まぐれ一つで変えるというのは、サグメにとって何よりの快楽なのだ。
(当方が望めば、水の流れも
女性絶対上位の認識から、男性の運命を──それも、生意気な男性の運命を決めるというのは、サグメにとってこの上のない快楽であった。
そして、確実に得られる快楽でもある。何せこの世界において、男性は存在そのものが『外れ』なのだ。女性には絶対に勝てない、劣等生物。ただ人類の繁栄のために股を開くだけが使命の存在でしかない。
……だが、彼女は知らないのだ。
その絶対的強者を二人も屠った『奇跡の体現者』が──
かくして、サグメは己が賽の目を握っていると思い込んだまま、宝物遊戯へ挑むことになる。
対するは、賽を斬り裂く超大穴。ありえぬ出目を出し続ける女装の剣客である。