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第43話 北西へ

 遊郭領地『紙園かみその』には、二本の強靭な牙を備えた蟒蛇うわばみがいるという。


 その蟒蛇、紙園で起こった政治的な混乱をひと口で呑み降した。酒を呑み干し、夜を呑み干し、紙園に黄金に輝く夜明けをもたらしたという。


 その蟒蛇、源氏名なまえ金色こんじきと称する。


 そしてその二本の牙。

 一本はだいだい色。噂によれば刀鍛冶であり、なんとあの岩斬いわきりに連なる者であるとか。


 そしてもう一本は妖術を使う者。

 領地を守るすべての『武』を怪しげな術で一切合切無力化し、たった一人ですべての武を降してしまった、神出鬼没の、領主金色の懐刀……

 もし金色に逆らう者あらば、その懐刀の切っ先が向けられ、摩訶不思議な術によって抵抗の力一切を奪われるという……


 詩人は、朗々と歌い上げる。


「紙園を炎に包みし大火たいかの顛末! さァサ、続きが聞きたきゃお代はここだよォ!」


 宿場町の酒場である。

 酔客が景気よく小銭を放り投げるのを横目に、宗田そうだ千尋ちひろは微妙な顔をし、水をちびりちびりと飲む。


「まァ、一時で千里をかけ、七十五日で潰えるのが噂というものよな」


 対面に座る十子とおこ岩斬、こちらも渋面で酒をちびりと飲む。


「その『一時』でえらく尾鰭おひれのついたバケモンになってるが」


 千尋は天井を見上げ、ため息をついた。


「その妖術使いの化け物、実在してくれたら斬り合ってみたいのだがなァ」

「……尾鰭ついてなかったわ。本物は噂以上の化け物だよ」


 千尋と十子は、北西を目指している。

 賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんまで、あと二日といった距離であった。



 泰山木たいざんぼく湖──


 ウズメ大陸ほぼ中央に位置する、大陸でもっとも巨大な湖である。


 波はなく淡水。漁はさほど盛んではないが、その代わり、水源として重宝されている。

 この湖には天女降臨伝説があり、もともと乾ききった盆地であった場所に天女が降臨したさい、この土地が水にあふれたといった伝説がある。


(いや、それは水攻めなのでは)


 千尋はそういうふうに思ってしまうものの、天女教をあつく信仰する者からすれば、そのような考えは無粋である。

 そもそも、現代の天女はともかくとして、天女教が崇める『天女の祖』は、千尋が生まれ変わる際に出会ったあの女である可能性が高い。

 とくれば『なんらかの理由でこの土地を水攻めしたのではないか』と思うより、『奇跡! 最高! 神の御業!』と盛り上がる方が、礼儀なのかもしれないとも思われた。


「どうにもデカい賭場が立つって話は本当らしいな。千尋、気付いてるか?」

「ああ」


 遊郭領地『紙園かみその』から進むにつれ、『それらしい者』が増えているのがわかる。

 それは周囲を護衛に守らせた豪華な籠に乗った、いかにもなお大尽だいじんであったり……

 あるいは着流しに一本差しの、よくて剣客、歯にきぬ着せぬならば住所不定無職の浪人風の者であったり……

 もしくは鍔のない木の柄に布を巻いただけの剣を帯びた渡世人とせいにん、あるいは博徒ばくと風の者であったり……


 共通点は一見するとないこの連中、一つの方向に向けて進んでおり、なおかつ、お大尽の横を通る渡世人や浪人風の者ども、まったく・・・・見向きも・・・・しない・・・


 金のなさそうな者が、金のありそうな者の横を通るのに、視線どころか興味さえも向けない。

 一人二人ならば『そういう人物の者もいよう』という感じなのだが、これが全員ともなると──


「大きな『儲け話』が視線の先に転がっており、それ以外には見向きをする価値もない──そういう雰囲気の連中よなァ」

「……ああ。ったく、イヤんなるぜ。あたしが失敗作だって捨て置いた剣が、こういう連中を引き寄せるんだからよ」

「仕方あるまい。十子殿の剣は、見事だ。その価値がわからんのは、本人ぐらいのものよ」

「褒められても素直に喜べねぇな」

「十子殿は素敵だということだ」

「……………………いやっ、そ、それは、さ、ぁ、なんかちが、違くねぇ!?」

「どうした? 挙動不審になって」

「うるせぇ! お前のせいだろうが!」


 千尋は首をかしげる。

 十子は肩をいからせてさっさと行ってしまう。


 整備された街道を進む二人の前には、昼の日差しを受けてきらめく穏やかで巨大な湖があった。

 船着き場に人々が集い、中型の船に乗り込んでいく。

 船は数十人を乗船させられそうな大きさなのだが、それでもひっきりなしに、湖の中央と、岸とを往復している。


 千尋が着目したのは、岸辺が見える位置からでは、船が向かっているはずの賭博船・百花繚乱が一切見えないということだ。


(本当に大きな湖よな。もしも何かあっても、泳いで戻るわけにもいかん。なるほど……湖上。そそる戦場だ)


「千尋、その顔やめろ」

「……ふむ? 殺気でも漏れていたか?」

「いや、なんだ、その……淫靡だからやめろ」

「いんび?」

「……なんでもねぇよ! とにかく、わくわくした顔をして、唇を舐めたりするのをやめろって言ってんだ!」

「どういうことかわからんが……まあ、確かに。あまり感情が表に出すぎるのはよろしくない。反省しよう」

「わかってねぇよなぁお前は……! 顔、隠すか? でもなあ、巫女の風体で顔を隠すのはいかにも不自然だし……ああくそ、どうしてあたしばっかりこんな、思い悩まなきゃならねぇんだよ!?」

「大変そうだなぁ」

「だからお前のせいなんだが!?」

「ははは」


 楽しそうな十子と会話しながら、船着き場へと近付いて行く。


(弟のこと、紙園であったこと、それ以前にあったスイとの殺し合い……そういうことを、思い悩んでもいいはずだ。だが……やはり俺の心は、ここから先に待ち受ける戦いに踊るのみ、か)


 ゆえに千尋は、心の中で、こう宣言した。


(さぁ賭博船よ、人斬りが今、参るぞ。我に七難八苦を与え給え)


 魂と魂がぶつかる際に上がる火花を愛でるため……


 千尋は、真っ直ぐに進んでいく。

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