遊郭領地『
その蟒蛇、紙園で起こった政治的な混乱をひと口で呑み降した。酒を呑み干し、夜を呑み干し、紙園に黄金に輝く夜明けをもたらしたという。
その蟒蛇、
そしてその二本の牙。
一本は
そしてもう一本は妖術を使う者。
領地を守るすべての『武』を怪しげな術で一切合切無力化し、たった一人ですべての武を降してしまった、神出鬼没の、領主金色の懐刀……
もし金色に逆らう者あらば、その懐刀の切っ先が向けられ、摩訶不思議な術によって抵抗の力一切を奪われるという……
詩人は、朗々と歌い上げる。
「紙園を炎に包みし
宿場町の酒場である。
酔客が景気よく小銭を放り投げるのを横目に、
「まァ、一時で千里をかけ、七十五日で潰えるのが噂というものよな」
対面に座る
「その『一時』でえらく
千尋は天井を見上げ、ため息をついた。
「その妖術使いの化け物、実在してくれたら斬り合ってみたいのだがなァ」
「……尾鰭ついてなかったわ。本物は噂以上の化け物だよ」
千尋と十子は、北西を目指している。
賭博船・
◆
ウズメ大陸ほぼ中央に位置する、大陸でもっとも巨大な湖である。
波はなく淡水。漁はさほど盛んではないが、その代わり、水源として重宝されている。
この湖には天女降臨伝説があり、もともと乾ききった盆地であった場所に天女が降臨したさい、この土地が水にあふれたといった伝説がある。
(いや、それは水攻めなのでは)
千尋はそういうふうに思ってしまうものの、天女教をあつく信仰する者からすれば、そのような考えは無粋である。
そもそも、現代の天女はともかくとして、天女教が崇める『天女の祖』は、千尋が生まれ変わる際に出会ったあの女である可能性が高い。
とくれば『なんらかの理由でこの土地を水攻めしたのではないか』と思うより、『奇跡! 最高! 神の御業!』と盛り上がる方が、礼儀なのかもしれないとも思われた。
「どうにもデカい賭場が立つって話は本当らしいな。千尋、気付いてるか?」
「ああ」
遊郭領地『
それは周囲を護衛に守らせた豪華な籠に乗った、いかにもなお
あるいは着流しに一本差しの、よくて剣客、歯に
もしくは鍔のない木の柄に布を巻いただけの剣を帯びた
共通点は一見するとないこの連中、一つの方向に向けて進んでおり、なおかつ、お大尽の横を通る渡世人や浪人風の者ども、
金のなさそうな者が、金のありそうな者の横を通るのに、視線どころか興味さえも向けない。
一人二人ならば『そういう人物の者もいよう』という感じなのだが、これが全員ともなると──
「大きな『儲け話』が視線の先に転がっており、それ以外には見向きをする価値もない──そういう雰囲気の連中よなァ」
「……ああ。ったく、イヤんなるぜ。あたしが失敗作だって捨て置いた剣が、こういう連中を引き寄せるんだからよ」
「仕方あるまい。十子殿の剣は、見事だ。その価値がわからんのは、本人ぐらいのものよ」
「褒められても素直に喜べねぇな」
「十子殿は素敵だということだ」
「……………………いやっ、そ、それは、さ、ぁ、なんかちが、違くねぇ!?」
「どうした? 挙動不審になって」
「うるせぇ! お前のせいだろうが!」
千尋は首をかしげる。
十子は肩をいからせてさっさと行ってしまう。
整備された街道を進む二人の前には、昼の日差しを受けてきらめく穏やかで巨大な湖があった。
船着き場に人々が集い、中型の船に乗り込んでいく。
船は数十人を乗船させられそうな大きさなのだが、それでもひっきりなしに、湖の中央と、岸とを往復している。
千尋が着目したのは、岸辺が見える位置からでは、船が向かっているはずの賭博船・百花繚乱が一切見えないということだ。
(本当に大きな湖よな。もしも何かあっても、泳いで戻るわけにもいかん。なるほど……湖上。そそる戦場だ)
「千尋、その顔やめろ」
「……ふむ? 殺気でも漏れていたか?」
「いや、なんだ、その……淫靡だからやめろ」
「いんび?」
「……なんでもねぇよ! とにかく、わくわくした顔をして、唇を舐めたりするのをやめろって言ってんだ!」
「どういうことかわからんが……まあ、確かに。あまり感情が表に出すぎるのはよろしくない。反省しよう」
「わかってねぇよなぁお前は……! 顔、隠すか? でもなあ、巫女の風体で顔を隠すのはいかにも不自然だし……ああくそ、どうしてあたしばっかりこんな、思い悩まなきゃならねぇんだよ!?」
「大変そうだなぁ」
「だからお前のせいなんだが!?」
「ははは」
楽しそうな十子と会話しながら、船着き場へと近付いて行く。
(弟のこと、紙園であったこと、それ以前にあったスイとの殺し合い……そういうことを、思い悩んでもいいはずだ。だが……やはり俺の心は、ここから先に待ち受ける戦いに踊るのみ、か)
ゆえに千尋は、心の中で、こう宣言した。
(さぁ賭博船よ、人斬りが今、参るぞ。我に七難八苦を与え給え)
魂と魂がぶつかる際に上がる火花を愛でるため……
千尋は、真っ直ぐに進んでいく。