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第41話 夢の果て

 夜籠やかごは、領主酒匂さかわの姿を見て、つい、疑問をこぼしていた。


 なぜ、ここにいるのか。

 なぜ、一人でいるのか。

 なぜ、安全な場所にいないのか。

 なぜ、いざという時には逃れられる場所にいないのか。


「夜籠」


 酒匂の声が降ってくる。

 夜籠はもはや、答える力を持たない。


「アタシ──」


 耳朶を打つ声はかすれていて、あまりにも心地よい声だった。


 酒匂。

 史上最高の男装女優。


 姿も、性格も、声さえも、女たちを天上へ連れていく、天女の遣い。


 ……だが。

 彼女は、その扱いを嫌っていた。


「──ごめん」


 何をしに来たのかわからない酒匂は、夜籠に背を向けて駆け出した。

 この場にいれば殺される。ゆえに、その逃走は生物として正しい。

 だが、そもそもなぜこの場にいるのかがわからない。ゆえに、その逃走は文脈的に不可解であった。


 ……不可解であった、が。


 夜籠には、わかった気がした。


(……ああ、そうか。あなたは、『女らしく』なりたいと、ずっと願っていたな)


 女──

 度胸があり、勢いがあり、強く、多くの者に頼られ、決断力を持ち、自然と人がこうべを垂れてしまうような威厳がある。そういう存在。


 ……とはいえ、そこまで『女らしい女』など、この世に何人いるものか?

 女としての理想がそうなのは、否定のしようもない。けれど、多くの女は、そうはなれない。そこまでの度胸はなく、そこまでの覚悟はなく、そこまでの勇気がないし、そもそも、そういったものを持っていても、発揮する機会がないまま、一生を終えていく。


 だが、酒匂は、そういう女になりたがっていた。


 対抗勢力の長である金色こんじきが、まさしくそういう、『女らしい女』であったから、刺激されたのだろう。


 他の部分を比べれば、酒匂は金色に勝っている。

 だが、女らしさという一点で、追随さえ許さないほど、金色に劣っている。


 だから、来てしまったのだろう。

 女らしく、度胸のある振る舞いをしようとして。金色が出るなら、自分も出なければと思い、わざわざ、その弱々しい体で戦場に立って……


(……まあ、簡単には、変われないものな)


 目前に『死』が迫って、その冷たい手が首にかかって……

 逃げてしまったのだろう。あまりの恐ろしさに。男みたいに、情けなく。


(わかるよ。ほんの数回言葉を交わしただけの者のことなどわからない私だけれど……あなたのそばには、ずっといたから)


『金色と酒匂アタシ、どっちが大事なの?』

 酒匂は繰り返し問うてきた。


 夜籠は答えなかった。


 でも、答えは出ていた。


(私は、あなたの下で生きてみて、大事なものが増えてしまった。……似たような境遇の子ら。この領地に生きる人々。夢を追うあなたたちを守りたかった。金色のことも死なせたくなかった。でも……)


 夜籠は、力のこもらぬ体に力をこめ、腹に突き刺さった刃を抜く。

 血があふれる。その熱さと裏腹に、体が冷めていく。

『死』が、己の首筋に手をかけていた。


 それでも、立ち上がる。


(……誰か一人を選べと言われたら、今の私は、あなたを選ぶんだ、酒匂)


 夜籠は自身を『誰かの夢の番人』と定義した。

 ゆえに……


「あなたの夢を守るよ」


 抜き放った、血まみれの剣を、酒匂へと放った。


 手練れを貫くには足らない。

 しかし、抵抗力の乏しい弱い者を背後から刺し貫くには充分な速度で剣は舞い……

 酒匂の背を、貫いた。


 背中から突き刺され、動きを止め、酒匂は夜籠を振り返る。

 美しい口の端から血が垂れ、大きな瞳が疑問をたたえて夜籠を見ていた。


 夜籠は、かすれた声で、答える。


「……責任をとって、死ね。それが、『女らしい』生き様だ」


 酒匂は、しばし、目を見開いたままでいた。

 だが……


「……」


 最後に美しく微笑み、どさりとその体を地面に倒れこませた。

 同時、夜籠も地に膝をつく。


 その体が地面に崩れる前に、誰かの手が夜籠を支えた。


 金髪に黄金の瞳を持つ、傷面の女──

 金色こんじきであった。


「夜籠ォ! なんで、なんで……あたしは、アンタのこと、何一つ、わかんないよ……!」


 夜籠はふと思い出す。


「……そういえば、あの日も、こんなふうに、言われた気がする」


 さらわれた金色を救い、お大尽だいじんを斬った、あの日。

 まだ生々しく血が流れる、傷を刻まれた顔で、金色は夜籠の行動の理由がわからないと、そこまでしてもらう理由がないと、そんなふうに夜籠を責め立てたのだ。


 夜籠は、笑った。


「……領主酒匂は、自ら腹を斬ったことに、してくれ」

「……アンタ」

「彼女は、『女らしく』、立ち向かっ……」


 声が、出なかった。

 最後の吐息は音が乗らずにこぼれて消える。


 異形刀『虎鶫とらつぐみ』の使い手、夜籠は……


 今、絶命した。


 金色は、喉奥から絞り出すように唸る。


「最期ぐらい、自分の願いだの、夢だの、そういうのをさァ……! なんで、酒匂のことなんだい……! なんで……」


 夜籠を抱きしめ、血に汚れながら、『なんで』と繰り返す。


 その様子を見て、千尋は……


(『きっと、今、口にしたそれが、夜籠の願いだった』というのは、言ってやるべきか、やらぬべきか。……この俺が、どの口で、という話、か)


 金色は恐らく、夜籠の行動に、わかりやすい理由を求めていた。


 彼女が想像していたのは、『悪い領主酒匂と、それに隷属するかわいそうな幼馴染』であり、『それを救う』ことを目指していた。


 だが、そうではなかった。

 そうではなかったことを、教えてやるべきか。そもそも、千尋の想像が正しいのか。夜籠が死んでしまった今となっては、わからない。

 だったら、望んだ物語の中で悲しみに浸らせてやるべきではないか──千尋はそうも、思うのだ。


 ……しかし。


「そりゃあよ、今、言葉にしたソレが、そいつの願いだった──ってことじゃねぇかな」


 千尋が悩んでいる横で、十子とおこが口を開く。


 金色は、自嘲するように笑った。


「……じゃあ、あたしは、夜籠を救い出してやるつもりで、追い詰めたってことかい?」

「いやあ、そうじゃねぇ。そうじゃねぇよ。……そうじゃねぇに、決まってる」


 十子の物言いは、十子自身がそう願っているかのようであった。


「……金色さん。あたしにはうまく言えねぇけどさ。きっと夜籠は……誰かの幸せが、自分の願いだったんじゃねぇかな。誰かのために力を欲して……その力で、きっちり、『誰か』を守ったんだ」

「酒匂を、ね……」

「いいや、そいつは違う。あんたのことも、守ったろう」

「……」

「あんたも生きてる。きっと……酒匂のことは、よく知らねぇけど、きっと、酒匂を『女らしく』死んだことにするのが、何か、大事なモンを守ったんだと思う。だから、悲しんだり……夜籠を責めるのをやめてくれ。もし、夜籠が手段を間違えたってんなら、それは……あたしの刀のせいだ」


 そばで聞いていた千尋は、思わず眉根を寄せた。


(……なんだかなァ)


 重ねている。

 完全に、夜籠と、乖離かいりを重ねている。


 遊郭ゆうかく領地『紙園かみその』──


 ここは、女が男のふりをして、女が女に、『理想の男たれ』と願いをかける場所。

 誰もが誰かに、自分の夢をかぶせて、その甘い夢に酔うことが許された場所。


(この場所がそうさせるのか? あるいは、人とはそういうものなのか。『人から見える姿』『願い』『本当の姿』という三つが、ばらばらに──乖離しているようにしか見えん)


 ゆえに千尋、ため息をつく。


(ここはたまらなく幸せな夢を提供する、なんと不幸な場所であることか)


 人を通して見る夢は、甘く、しかし、苦い。


(俺は、ここにある『夢』という名の酒の匂いには、いまいち酔えんな。……体が、受け付けぬわ)


 まばゆい日差しの下で、女どもの影が濃く伸びている。

 千尋は明るさよりも、その影の濃さが気になって仕方なかった。

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